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更新日:2022.06.10 / 掲載日:2022.06.10

【水素エンジン】走る実験室の復活【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】

文●池田直渡 写真●トヨタ、三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

 遠い昔、レースは「走る実験室」と呼ばれた。様々な新技術がレースの中で生まれ、市販車の性能を向上させてきた。あるときはそれがよりハイパワーを発揮する技術であり、あるときはそれがより確実に安全に減速させる技術であり、あるときはそれがより空気抵抗を減らす技術であった。

 しかし、やがてレースの技術はリアルロードから乖離していき、限り無くレースのためだけのものになっていった。サーキットとリアルロードのふたつの世界が離れて行った結果、レースから新たな技術が市販車にフィードバックされることは希になって行く。そしてやがて、自動車メーカーにとってのレースの意義は、ほとんどが宣伝効果だけになっていった。

 レースが、ただの宣伝に過ぎないとすれば、レース活動を続けられるかどうかは、業績次第になる。会社が儲かればレースができるが、経営環境が厳しくなれば、効果がハッキリしないイメージ広告に使える予算は、当然のごとく絞られる。

 トヨタには何としてもレースをやりたい人達がいた。彼らは考えた。レース活動が打ち切られるのは、レースが事業になっていないからだ。もし、レースをやって会社が儲かれば、レースは会社の重要な収益源になる。

 トヨタの事業の本質とは何か? それは業務のカイゼンである。もっといいクルマを、安く作ること。そう考えると、何もレースで生み出す価値は、ハードウェアそのものである必要はない。むしろ「新しいクルマの作り方」をより効率良く生み出せるのだとすれば、それは絶対に止めるわけにはいかないトヨタの事業の根幹だ。

 レースによって猛烈なスピードで「カイゼン手法」を生み出すことができれば、レースは再び重要な「走る実験室」として復活する。

 トヨタはまず、レースでしか通用しない特殊な環境を棄てた。大事なのは、レースのための開発と、市販車のための開発のルールを全く同じに揃えることだ。レースに勝つための開発が、市販車開発のルールと違っていては、あくまでも特殊な環境の中でのプロジェクトになってしまい、「カイゼン手法」を生み出すことにならないからだ。

 レースのためにエンジニアが夜なべで突貫作業をするのはダメだ。それでは労働基準法に通らない。24時間の耐久レースがあれば、そこで働く社員は、キチンとシフトを組み、労働基準法を遵守して働く。全てはトヨタの正規業務であり、レースという鉄火場であってもルール破りは許されないのだ。

 レースで限界走行を続ければ当然部品は壊れる。その時、勘と経験でカイゼンするのもダメだ。全てのカイゼンは法規と社内の開発規定に則って、原因を明確に特定し、必要十分な対策を論理的に行い、市販車と同じ手順を踏んで検査を行う。全てを市販車の開発と同じルール、同じ基準、同じ手順で行い、全ての記録を残す。

 だから、レース用に開発された部品は、そのまま市販車に採用することができる。レース専用の一品モノではなく市販車の部品と全く同じ手順で作られているからだ。

 昨年5月、トヨタは『NAPAC スーパー耐久第3戦 富士SUPER TEC24時間レース』に、突如水素内燃機関を搭載したカローラスポーツで参戦した。故障のための長時間ピットストップを挟んだとは言え、理論からしてまったく新しいエンジンを搭載して、初戦で24時間を完走したのは立派だった。そこから1年。耐久性でも、速さでも、たった一年で成し遂げたとは思えないほどに水素カローラは進歩した。

 その過程で行われた部品開発は早速にも市販車に採用された。そうやって作られたクルマがGRカローラである。GRヤリスから移植された1.6リッター直3インタークーラーターボユニットは、オリジナルの272馬力から、304馬力へと向上した。そのための部品は、水素カローラの開発の過程、たった1年間の間に作られたものだ。

 驚いた方が良い。レース専用の部品が1年で作られたのではなく、レースをやりながら開発した部品が、すでに市販車に採用されて発売されているのだ。こんな速度はあり得ない。

 そして、それらの市販車へのフィードバックはあくまでも副産物に過ぎない。トヨタにとってのレースの本当の価値は、開発を始めてから、市販車に搭載して発売をするまでの期間短縮という開発手法そのものにあるのだ。

 言葉にすると軽くなってしまうが、アジャイル開発であり、それはつまり事業のスピードアップである。その成果は途轍もない。レースをやることでトヨタ本体の事業がどんどん強くなる。長い年月を経て、レースは開発手法の実験室へと姿を変え、いままた市販車の長足の進歩に貢献しようとしている。

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池田直渡(いけだ なおと)

ライタープロフィール

池田直渡(いけだ なおと)

1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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