車の最新技術
更新日:2021.12.22 / 掲載日:2021.10.09
話題の水素エンジンに乗ってみた【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】

文と写真●池田直渡、トヨタ
5月22日、トヨタは富士スピードウェイで開催されたスーパー耐久に突如水素内燃機関を搭載したカローラスポーツを投入し、初レースで24時間を完走した。以後、大分県のオートポリス、三重県の鈴鹿サーキットで連戦し、凄まじい勢いで戦闘力を向上させてきている。
法規制により水素充填がピットで行えず、一度パドックに出てから行うため時間が掛かることや、満タンでの航続距離の短さなど、レースで上位に食い込むにはまだまだ無理があるが、こと走っている間だけに注目すれば、富士から鈴鹿の間わずか4ヶ月で、驚異的な進化を見せた。富士では1500cc以下で一番下のST5クラスに小突き回されていた水素カローラは、次のオートポリスでは、ひとつ上の2000ccのST4クラスに迫る勢いを見せ、鈴鹿では互角に戦うまでに成長した。
水素を燃やすエンジンは、本来まだ実験室レベルのはずだったのだが、にわかに現実味を増し始めていることになる。水素タンクに巨大なスペースを必要とすることを考えれば、市販化されるとしても主に大型トラック辺りからだと思われ、乗用車で実現するにはまだまだブレークスルーが必要だが、燃焼させてパワーを出すことに関してはかなり現実味が増している。
水素エンジンに注目が集まる理由

さて、そこでそもそもの話をしなければならない。何故水素エンジンが注目されているかだ。現在次世代のモビリティはバッテリーEV(BEV)と見込まれているが、BEVには不得意な領域がある。それはエネルギー密度の低さだ。同じ体積または重量当たりのエネルギー量がなかなか増えていかない。
しかしながらこれまでの様にガソリンやディーゼル燃料を燃やしていくわけにも行かない。CO2規制はやがて貨物車を例外としなくなるのは目に見えているからだ。
つまりガソリンでもディーゼルでもバッテリーでも無い動力源が現れなければ、貨物系の脱炭素はスタートできない。そこで俄然注目されているのが水素である。水素で走る方法は2種類あり、水素と酸素の化学反応を使って電力を取り出し、モーターで走る燃料電池(FCEV)と、内燃機関で水素を燃やして走る水素エンジンがある。
石油系の燃料を燃やそうとすると、それはつまり炭化水素(HC)を酸素と化合させることになるので、CとOが結び付いてCO2が発生する。しかし燃料が水素の場合、HとOの化学反応なので、排出されるのはH2O。つまり水である。だから水素は燃やしても環境への影響が少ない。厳密に言えば、窒素酸化物(NOx)の発生はあるのだが、理論的には「低温で燃やす」「高速で燃やす」「触媒で還元する」などの方法で、無害化できることは分かっているので、そう高いハードルではないのだ。
そして、今回のトヨタの水素エンジンが注目を集めたポイントは、ガソリンエンジンに対して、大幅な改良を必要とせずに燃料を水素に転換できることを証明した点にある。実質的にはほぼ専用インジェクターへの交換だけだ。エンジンだけに限らないのであれば、水素タンクというのもあるが、これはFCEVとしてすでに販売しているMIRAIからの流用で済んでしまう。
つまりは、今世の中に出回っている内燃機関をベースに脱炭素対応ができる可能性が高いのだ。CO2の削減は、国連気候変動枠組条約締約国会議で決められた約束事なので、実現しなくてはいけないが、その方法は何もわざわざ社会的犠牲が多い方法である必要はない。主立った先進国に共通した基幹産業である自動車産業に激震を与えることなく維持できるならそれに越したことは無い。内燃機関が生き残れる方法があるにも関わらず、わざわざそれを滅ぼして、雇用と経済を不安定にする必要はないからだ。薬で直る病気でわざわざ手術する人はいないのと同じ事だ。
水素エンジンの運転フィールとは
ということで、かねてより強い興味を持っていた水素エンジンを搭載したGRヤリスに先日ついに試乗する機会を得た。
と言っても四角いテストコースを2周しただけなので、ちょっとした味見レベルではある。車両は、レース仕様と同じパワートレインを搭載したGRヤリスで、レース仕様のカローラスポーツは、元々動力系はGRヤリスのものなので、動力系が元の鞘に収まった様なクルマだ。左ハンドルの6MTなので、ちょっとシフトに気を遣いながらだったが、ガソリンエンジンとフィールが違うことはすぐにわかった。まあシフト以上に気を遣ったのは助手席にル・マンからトロフィーを持って帰ってきたあの小林可夢偉がいることだったりはしたが。
比喩表現で「アクセルとタイヤが直結しているような」と言う言葉があるが、直結するとどういうフィールになるかを初めて味わった。水素エンジンはスロットルレスポンスが良いとは開発陣からもドライバーからも聞いていたが、それが実際どういうことかは、乗ってみて初めて理解した。つまり踏み込みに対してトルクの発生が遅れない。変な言い方かもしれないが、アクセルからタイヤまでの剛性が高い感じで、もの凄い安心感があった。板張りの床からコンクリート打ちっ放しの床に踏み出した時くらいガッチリ感が違う。
さらに言えば、エンジンが「優しい」と思った。パワーはしっかり出ているのだが、レスポンスに遅滞がない。ガソリンエンジンでは、踏み込みからの僅かな反応が遅れで踏み込み過ぎのオーバーシュートが生じ、その結果として荒々しく感じる部分が無い。今までは気付かないレベルで補正を掛け続けていたことになる。それが一発で欲しいトルクが出るので、自分の予測と現実の出力がピタリと合っう。結果として荒っぽさが無くなって、優しく感じたのだと思う。
短い試乗の結論として、水素エンジンは思った以上に素性が良い。大変楽しみである。長距離トラックのドライバーの疲労は相当に軽減されるだろう。
今回のまとめ
・EVには不得意な領域(重量物を運ぶ長距離トラックなど)がある
・水素を燃焼させてもCO2が発生しないため、水素エンジンはカーボンニュートラルに貢献する
・水素エンジンは応答性がよく、クルマの動力として純粋に魅力的である
執筆者プロフィール:池田直渡(いけだ なおと)

1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。