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更新日:2021.11.22 / 掲載日:2021.10.22

なぜ日鉄はトヨタを訴えたのか【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】

文●池田直渡

 10月14日、日本製鉄株式会社(日鉄)は、無方向性電磁鋼板の特許を侵害したとして、粗鋼生産量で世界最大の中国の鉄鋼メーカー、宝鋼集団傘下の宝山鋼鉄股份有限公司(宝鋼)ならびにトヨタ自動車株式会社(トヨタ)を提訴した。

 このうちトヨタに対しては、約200億円の損害賠償請求と、電動車の製造・販売の停止を申し立てている。無方向性電磁鋼板とは、主にモーターの巻き芯などに使用される、磁気特性を高めた鋼板で、電動車の中核部品のひとつであり、鋼板としては、引っ張り強度を高めた高張力鋼板や、性質の異なる異種鋼板をつなぎ合わせたテーラードブランク鋼板などと合わせて、自動車向けの高付加価値鋼材である。

 宝鋼は新日鉄(現・日鉄)や川崎製鉄(現・JFEスチール)の技術援助を受けて1977年に上海宝山鋼鉄総廠として設立された会社だ。中国がWTOに加盟した2001年から、中国では、製鉄事業者の乱立と共に、粗鋼生産量が急激に増進し、2000年頃から、世界の粗鋼生産量の約50%を占めるに至った。2000年代後半には、すでに過当競争へと向かい、2010年代に入ると赤字に転落する製鉄企業が続出した。

 粗鋼生産量こそ拡大したものの、技術的に劣っていた中国系の鉄鋼メーカーの製品は、いわゆる普及品の鋼材ジャンルに集中しており、日本などの先行する製鉄事業者は、普及品クラスの鉄鋼から徐々に閉め出されていった。労働コスト、環境規制、安全規制の差などに加え、自国で鉄鉱石を産出する中国とは価格では戦えない。

 日本の製鉄企業は、当然、中国メーカーが技術的に参入できない、前述の高付加価値鋼材へとシフトを進めた。ところが、というか当然というか、中国の大手鉄鋼メーカーは、より利益率の高い高付加価値商品を視野に収め始める。日本の鉄鋼メーカーとしては再び防戦に努めることになるが、やはりここでも、中国との過当競争で、原材料価格の高騰と鋼材価格の低迷による経営環境の悪化が進行している。

 加えて、菅前政権のカーボンニュートラル宣言と環境省からの要求の激化で、コークスを使う高炉の維持が難しくなってきた。日鉄では国内に14基あった高炉がすでに4基休止に追い込まれている。休止と言えば再稼働が可能な様に聞こえるが、現実には高炉の再稼働には莫大な費用が掛かる。休止を余儀なくされる環境下で再稼働など限り無く不可能に近い。

 政府は、安易に電気炉などCO2排出の少ない炉への転換を求めるが、現状では高付加価値の鋼材は、コークス炉でなければ生産ができない。もちろん技術は常に進歩する可能性を秘めているので、絶対不可能とまでは言えないが、企業体力が落ちている中で、できるかどうか分からない高額投資にはどの社も踏み切れない。

 という八方から追い詰められた日鉄にとって、この上知財でも中国に不当な競争を仕掛けられたら黙っているわけにはいかないというのが、訴訟の背景である。

日鉄が訴訟にトヨタを含めた背景

 では、何故トヨタを訴訟対象に含めたのかだ。そもそもトヨタにとっても日鉄にとっても相互に最大取引先の一社である。関係の悪化はどちらにとっても避けたいはずだ。問題は日鉄の電磁鋼板に対する特許が日本国内に限ったものだった点だ。つまり、使用者であるトヨタを被告に加えないと、手続き上訴訟が成立しない。逆に言えば今回仮に勝訴したとしても、宝鋼は日本以外の国に対しては、引き続き電磁鋼板を販売することができる。という日鉄にとって大変厳しい状況である。

 さて、これに対するトヨタ側の言い分を同社のリリースから全文抜き出してみる。

 “このたび、日本製鉄株式会社による電磁鋼板に関する特許に関する提訴提起につきましては、弊社としては、本来、材料メーカー同士で協議すべき事案であると認識しており、弊社が訴えられたことについては、大変遺憾に感じております。

 弊社では、様々な材料メーカーとの取引にあたり、その都度、特許抵触がないことを材料メーカーに確認するプロセスを丁寧に踏んでおります。当該の宝山鋼鉄股份有限公司製の電磁鋼鈑につきましても、取引締結前に、他社の特許侵害がないことを確認の上、契約させて頂いております。その旨は、書面でも提出頂いております。

 本件につきましては、日本製鉄より当該の指摘を受けたことから、改めて宝山鋼鉄に確認をさせて頂きましたが、先方からは「特許侵害の問題はない」という見解を頂いております。

 長年に渡り、日本の自動車産業、また弊社のクルマづくりを支えて頂き、また弊社の大切な取引先であります日本製鉄が、ユーザーである弊社に対し、このような訴訟を決断されたことは、改めて大変残念に思います。”

 と言うことだ。ちなみに仮に宝鋼が日鉄の特許権を侵害していたとするならば、トヨタへの賠償と差し止め請求は法的に成立可能だ。

 トヨタとしては、書面で確認してもダメだと言うならどうすべきだとするのかということになる。素人考えでは、「宝鋼だけでなく日鉄にも確認すれば良かったのではないか」という見方もあるかも知れないが、現実問題として、鋼板の特許と言っても、極めて多方面に及ぶ上、特許侵害の相手がいつも日鉄に限られるわけではない。世界中の全ての鉄鋼メーカーに確認を取ることなどできないし、それを自動車を構成する全ての部品に行うとなれば、これはもう机上の空論としか言えない。

 筆者がトヨタ関係者に取材できた範囲で追加で得られた有用と思われる情報は以下の通りだが、トヨタ側の言い分である点には留意したい。

・宝鋼の電磁鋼板が日鉄の鋼板より納入価格が安かったわけではない。

・輸送コストの無駄を考えれば、それぞれの生産拠点で鋼材を仕入れたいので、日本国内生産分に関しては、宝鋼の素材はあまり採用したくなかったが、供給の問題でやむなく宝鋼から購入を決めた。

 さて、全体的な話として、やはり日本の製鉄業全体が構造的に非常に厳しい状況にあるということが原点だと思われる。「鉄は産業の米」とは古くから言われて来た言葉だが、自動車産業もまた製鉄無しでは成立しない。政府は少なくとも、日本の製鉄業の存続に向けて、何らかの援助をすべき段階ではないのか?

 そして、製造業全体の未来を考えるのであれば、日本を代表する企業であるトヨタと日鉄が争っている場合ではないと思う。むしろ一致団結して、政府に対して製造業への向き合い方を申し入れるべきだと強く思う。

今回のまとめ

・いまや鋼材の仕入れは低価格帯だけでなく高付加価値領域まで中国企業が存在感を増している

・日鉄は宝鋼を訴えるために日本市場に商品を利用しているトヨタを被告に加えた

・日本のものづくりを支える企業同士が争うのは不毛、政府を含めた対応を考えたい

執筆者プロフィール:池田直渡(いけだ なおと)

自動車ジャーナリストの池田直渡氏

1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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池田直渡(いけだ なおと)

ライタープロフィール

池田直渡(いけだ なおと)

1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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