車の歴史
更新日:2021.01.12 / 掲載日:2021.01.07
スバル360に原点回帰 てんとう虫の讃歌4
昭和33年 てんとう虫が走った時代
昭和33年の大卒初任給は1万3500円。この年巨人に入団したスーパールーキー長嶋茂雄の年俸でさえ180万円だった。スバル360の42万5000円という価格は、トヨペット・クラウンの2分の1以下ではあったものの、庶民の年収の3倍以上だった。そんな当時を振り返る。
まるで工芸品
エポック「初代野球盤」
月産2000台の大ヒットを記録した野球盤第一号。60cm四方の大きな盤面は家具職人が手がけ、選手や審判はこけし人形。価格は1750円。磁石による変化球や消える魔球はなく、男らしい直球勝負だけだった。第5回全日本
モーターショー
前年まで開催されていた日比谷公園が地下鉄工事の影響で使用できず、この年は後楽園競輪場での開催となる。まだトラックやバスが多い中、600ccエンジンでトルコン付きのミカサツーリングやクラウンディーゼルが人気となった。
ステレオ電蓄国内第一号
「ビクターSTL-1S」
この年発表されたステレオレコード再生用に発売された。その広告コピーは「世界初の立体レコード再生機発売」。翌年発売されたアンサンブル型「STL-3」も大ヒット、ビクターはステレオ市場で50%に迫るシェアを誇る。世界中が賞賛した
「スーパーカブ」
静粛性や燃費の良さに加え、分離給油がいらない4サイクルエンジン。女性にも扱いやすいカタチや機構も受け、世界中で大ヒットを記録したリトルホンダ。日本初の缶ビール登場
「アサヒゴールド」
容量は350mlで一缶75円。プルトップはまだ先の話で、別売(5円)の缶切りで注ぎ口と空気穴の2つの穴をあけ、やっと飲むことができた。やがて自動販売機とともに缶ビールは爆発的に増殖していった。
1958年(昭和33年)の出来事
1月自動車工業会は1956年に比べ1957年の
自動車の輸出台数が約2.7倍になったと発表。
東京通信工業(現ソニー)の江崎玲於奈が半導体
「エザキダイオード」を発明。
石原裕次郎主演の「嵐を呼ぶ男」が大ヒット。
富士重工業製作の初の国産ジェット
練習機T1が初飛行。
2月東京の日劇でウエスタンカーニバル。
ロカビリーブーム到来。
英マンチェスターユナイテッドのサッカー選手
7人が飛行機事故で死亡。
「月光仮面」が15分番組(後に30分に拡大)で
スタート。視聴率68%を記録。
3月本州と九州を結ぶ「関門トンネル」
(全長3461m)が完成。
東京国立競技場が落成。
4月巨人の長嶋茂雄が対国鉄戦でデビュー。
金田投手相手に4打席4三振。
ブリュッセル万国博覧会開幕。
カラーテレビが人気となる。
5月NHKの受信契約数が放送開始から
5年3か月で100万件突破。
日産がダットサンの米国輸出を開始。
清酒と焼酎の自動販売機が登場
6月第6回サッカーワールドカップ
(スウェーデン)でブラジルが優勝。
17歳のペレが大活躍。
在日米軍が羽田空港を返還。
阿蘇山爆発で12人が死亡。
7月米が航空宇宙局NASAを設立。
政府全額出資で日本貿易振興会
「JETRO」設立。
8月日本ビクターが国産初の
ステレオレコードを発売。
秋田県八郎潟の干拓事業が始まる。
日清食品が初のインスタントラーメン
「チキンラーメン」(1袋35円)発売。
9月台風22号(狩野川台風)が関東を縦断。
伊豆の狩野川が決壊するなど死者874人の被害。
10月スイス・ジュネーブで核実験停止のための
米・英・ソによる3か国会談が始まる。
3連敗から4連勝。鉄腕・稲尾の活躍で
巨人を破り西鉄が3年連続プロ野球日本一。
米で大流行のフラフープ、
都内のデパートなどで一斉販売開始(270円)。
11月J・F・ケネディが上院議員初当選。
皇太子殿下が正田美智子さんと婚約を発表。
12月1万円札を発行(表面は聖徳太子)。
世界一のテレビ塔「東京タワー」完成。

写真提供:東京都生活文化局
数寄屋橋からのぞむ銀座4丁目。1954年には銀座線に続き地下鉄丸ノ内線が営業を開始したがまだ都民の足の主役は都電とバス。また兵器にもなりかねないと戦前戦中は禁止となっていたアドバルーン広告が、再び増え始めたのもこの頃だった。