車の歴史
更新日:2021.01.13 / 掲載日:2021.01.01

スバル360に原点回帰 てんとう虫の讃歌1

戦後間もない1950年代、でこぼこだらけの日本の道路を走る自動車の多くは、屋根の代わりに幌を付けた3輪トラック。そんな時代に登場したスバル360は、頑張れば諸民にも手が届く価格とその愛らしいスタイルで、夢を現実へと変える真の国民車となった。高度な技術力と多くの創意工夫。いまや世界をリードする日本車は、この「てんとう虫」なくしてありえなかった。

マイカー時代到来を予見し始まったK-10の開発

 スバル360を造った富士重工(現:SUBARU)の前身が、終戦時には従業員25万人を超えるマンモス企業となった、あの中島飛行機であることはよく知られている。中島飛行機は終戦後、GHQによる財閥解体指令で12の会社に分割され、世界最高レベルの航空機造りに情熱を燃やした優秀な技術者達も離散してしまう。
 そんな彼らが生き残るために始めたのがバスボディやスクーターの製造。中でも倉庫に眠っていた双発陸上攻撃機「銀河」の車輪を流用して造られた富士ラビットS1スクーターは、50万台あまりが生産されるヒット商品となった。
 戦後の復興とともに、分割されていた会社のひとつ「富士自動車工業」が自動車開発に着手、これに5社が加わることでスバルのルーツ「富士重工業」が誕生する。ちなみにスバル車のエンブレムとして使われる「6連星」は富士自動車工業+5の6社を表すものだ。
 試作車「P-1」(1500ccクラスの6人乗りセダン)を経て、1955年に社運をかけて始まったのが「K-10」の試作記号で呼ばれたスバル360の開発プロジェクト。統括したのはその猛烈な仕事ぶりから「エンドレス」と呼ばれた百瀬晋六だった。
 当時の国産車の性能は欧米車に比べるとまるで大人と子ども。まして軽自動車は窮屈で坂道も登れない半人前のクルマと見られていた。小さなエンジンに限られたボディサイズ、そんな厳しい条件の中、百瀬をリーダーに「40万円以下の価格で買え、大人4人を乗せて赤城の峠道を登る」を目標に、スバル360の開発は進んでいった。ところでこの頃は、各社とも車両のテストには大いに苦労している。もちろん専用のテストコースなどなく、もっぱら一般道が使われた。ただ、まだのんびりした時代で、警察等関係機関の許可も取りやすかったという。

  • ●コマーシャル
    天井の後ろ半分が幌、さらにサイドパネル後部は窓ごと外側に倒せるので、全てを全開にすると2人乗りピックアップ風になった。

  • 前席に雨が吹き込んでしまうなどが弱点で、販売は失敗に終わってしまった。

  • ●ヤングSS
    モデル後期に追加されたスポーティ仕様。Sは内外装だけの変更だったが、SSには36PSのツインキャブエンジンを搭載。ライバルのホンダN360に対抗した。

  • ●コンバーチブル
    ルーフからリヤまでが幌で、全体を巻き取ることでオープンエアモータリングが楽しめた。量産化による値下げで41万円(東京渡し)と初期型K-111より安く買えた。

  • ●カスタム
    不人気のコマーシャルに代わり1963年に登場。バックドアを持ち、後席は折り畳むことができた。2名乗車時の積載量はコマーシャルより100kg増え250kgとなっている。

  • ●スバル450
    主に米軍統治下にあった沖縄などで売られた輸出仕様「スバル・マイア」は、「スバル450」として国内でも売られている。ボアアップされ423ccとなったエンジンは23PSを発生。

てんとう虫の足跡

1958年(昭和33年)
3月富士重工本社(丸の内)や
白木屋デパートなどで正式発表。
5月増加試作型K-111(42万5000円)発売
(60台生産、東京地区で50台限定販売)。
7月’58年後期型発売。増加試作型の
プラスチック式ベンチレーターを廃止し、
引き戸式のまま三角窓の
ベンチレーターを採用した。
1959年(昭和34年)
6月’59年後期型に改良。前シート調節を
2段式から3段式に変更など。
8月360コンバーチブル発売。
12月360コマーシャル発売。
1960年(昭和35年)
2月’60年後期型発売。フロントバンパー一本化、
H型シフトパターン採用など。 
9月’61年前期型発売。エンジンをEK32型
(16PSから18PSへ)に、ステアリングを
2本スポーク朝顔型に変更など。
10月スバル450およびスバルサンバー発売。
またスバル360の値下げを発表。
1961年(昭和36年)
3月’61年後期型発売。
電磁式スターターの採用など。
9月ひさし型ヘッドランプ採用の「DX」を追加。
1962年(昭和37年)
9月’63年前期型発売。後部窓を開閉式に、
ドア上部に雨樋新設など。
1963年(昭和38年)
3月’63年後期型発売。
フロントウインドウを昇降式に、
計器類を丸形から角形にするなど
インパネまわりを一新。
8月360カスタム発売。
12月副変速機(オーバートップ)付き車発売。
1964年(昭和39年)
4月電磁オートクラッチ車発売。
7月完全分離潤滑エンジン
「スバルマチック」の採用で18PSから
20PSにパワーアップ。
1965年(昭和40年)
8月燃料タンク容量を18Lから25Lに変更、
ワンキーシステム導入など。
1966年(昭和41年)
10月スイッチ類の形状変更など。
1967年(昭和42年)
9月内外装の変更、ヒーターの
全車標準装備化など。
1968年(昭和43年)
8月全車エンジンをパワーアップ
(20PSから25PS)。
11月ヤングSとヤングSSを相次いで発売。
1969年(昭和44年)
8月スバルR-2発売。
1970年(昭和45年)
5月スバル360生産終了。

提供元:オートメカニック

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グーネットピット編集部

ライタープロフィール

グーネットピット編集部

車検・点検、オイル交換、修理・塗装・板金、パーツ持ち込み取り付けなどのメンテナンス記事を制作している、
自動車整備に関するプロ集団です。愛車の整備の仕方にお困りの方々の手助けになれればと考えています。

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