車の歴史
更新日:2021.01.12 / 掲載日:2021.01.03

スバル360に原点回帰 てんとう虫の讃歌3

軽自動車の偏見を一掃したスバル360の大きな功績

 1950年代の初め、街を走る自動車のほとんどはトラック、たまに見かける乗用車も外国車ばかりで、その大半がタクシーと公用車だった。国産メーカーの多くは外国車の部品を輸入し、自社の工場で組み立てるノックダウン生産で乗用車づくりのノウハウを学び、徐々に部品の国産化を進めていった。日産はオースチン、日野はルノー、いすゞはヒルマン、三菱はウイリスやカイザー・フレイザーと提携している。
 一方1949年、日本独自のカテゴリー「軽自動車」が誕生。当初は2輪車にリヤカーを付けたようなお粗末なもので、地方の中小メーカーも数多く参入したが、その多くはすぐに消えていった。軽自動車は価格が安いばかりでなく、維持費や運転資格でも優遇された。軽自動車免許(1968年まであった)は16歳から取得できたため、バンやトラックといった商用車ばかりでなく、乗用車としても勢力を拡大。その起爆剤となったのがスバル360である。スバル360は「軽は狭いし走らない」といった偏見を一掃。以後、スズキ・フロンテ、マツダR360クーペ/キャロル、ホンダN360など人気車が続々と誕生し、軽自動車は街にあふれていくこととなる。
 スバル360が発売された1958年当時、東京の自動車登録台数はすでに約37万台に達している。一方で有料の駐車場台数はわずか1500台あまり。繁華街の道路は違法駐車のクルマが連なり、事故や渋滞が社会問題となっていった。高度経済成長や高速道路の整備など、その後の10年間で日本のモータリゼーションはさらに劇的なスピードで発展していく。スバル360も時代の変化に合わせて改良を重ね、1970年の生産終了まで13年の長きにわたって販売された。

てんとう虫VSライバル 軽自動車のハイパワー競争

  • 生産の増強による価格の引き下げもあり、さらに販売台数を拡大していったスバル360。しかし、60年代半ばになるとライバルが増え、さらにはN360の登場で軽にも高性能が求められるようになる。スバルもツインキャブのSSを追加、軽のハイパワー競争はし烈を極めた。

  • ●ホンダ N360
    高性能オートバイCB450のDOHCエンジンをベースに、自動車用に改良されたSOHCエンジンは4サイクルながら31馬力を発生。FF方式による客室や荷室の広さと低価格で、スバル360を脇役へと追いやった。

  • ●ダイハツ フェローMAX
    1970年に登場した2代目フェローMAXには、当時の軽自動車で最強となる40PSエンジンを積むSSがラインナップされた。7200回転でピークパワーを発生するこのエンジンは、街中では扱いにくかった。

  • ●スズキ フロンテ(LC10)
    FFだった初代から、駆動方式をRRに変更した2代目フロンテにはレーシングカー譲りと謳われた3気筒2ストロークエンジンが搭載された。スポーツモデルのSSは3連キャブで36馬力を誇っている。

提供元:オートメカニック

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グーネットピット編集部

ライタープロフィール

グーネットピット編集部

車検・点検、オイル交換、修理・塗装・板金、パーツ持ち込み取り付けなどのメンテナンス記事を制作している、
自動車整備に関するプロ集団です。愛車の整備の仕方にお困りの方々の手助けになれればと考えています。

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