モータースポーツ
更新日:2024.06.03 / 掲載日:2024.06.03

シビック タイプRで24時間レースに挑戦!【石井昌道】

文●石井昌道 写真●宮門秀行

 国内唯一の24時間レースであるENEOSスーパー耐久シリーズ2024 Empowered by BRIDGESTONE 富士SUPER TEC 24時間レースにドライバーとして参戦してきた。

 1990年代から2000年代まではワンメイクレースを中心に、それなりに多くのレースを経験してきた自分だが、ここ10数年はモビリティリゾートもてぎのJoy耐やメディア対抗ロードスター耐久レースなど年に2~3回しか走っていない。さらに言えば2005年にリニューアルされた富士スピードウエイでレースに出たのは1回だけ。それでプロドライバーも多く参戦するスーパー耐久にいきなり出るのも不安があったのは確かだ。

 しかも、オファーをいただいたのは、ホンダのワークス活動を担うHRC(ホンダ・レーシング)であり、車両はHonda CIVIC TYPE R CNF-Rときている。自分にとっては重責もいいところで、当初は丁重にお断りしようかと考えたぐらいだったが、HRCのスーパー耐久参戦はモータースポーツを持続可能なものとするための研究・開発であること、そのためにいま話題のカーボンニュートラル燃料を使用すること、といったところに職業的に大いに興味を惹かれた。また、昨年はプロドライバーを起用していたが、開発が進んでそれなりの速さと完成度になってきたので、今年はさまざまなドライバーに体験してもらおうというコンセプトに切り替えたという。F1やスーパーGT、スーパーフォーミュラーなどといった本当のプロのレースとは一線を画すスーパー耐久の理念にも一致するものだ。

 参戦するST-Qクラスは、自動車メーカー・部品メーカーが未来を見据えたクルマの開発の舞台とするもの。ホンダの他、トヨタ、日産、マツダ、スバルの計5社が、水素燃焼エンジンやバイオディーゼル、カーボニュートラル燃料などの車両で参戦していて、正式な順位はつかないというルールになっている。これがチームの足を引っ張るのではないかと不安を抱える自分にとってはポイントで順位が関係ないなら気が楽、なおかつ24時間レースはクルマを労る必要があるのでペースを抑え気味に走るという。こういったいくつかのエクスキューズを胸に抱いて参戦に踏み切った。とはいえ、1ドライバーとして、大きな舞台に挑戦してみたいという気持ちが一番だ。

 24時間レースは6人までドライバー登録が可能で、我がチームはプロドライバーの大津弘樹選手に武藤英紀選手、インタープロトカップKYOJO CUPのチャンピオンでFIA-F4などに参戦している辻本しおん選手に加え、いつもJoy耐で組んでいるモータージャーナリスト仲間の桂伸一選手と橋本洋平選手という布陣になった。

 5月8日の公式テストで30分の走行と10周の夜間走行、レースウィーク木曜日に20分の走行、金曜日に15分の走行をこなしてから24時間レースの本番を迎えた。クルマは市販車のシビック・タイプRの延長線上といった印象で、FFとしてはパワフルでシャシーは安心感があって乗りやすい。

 じつは大津選手が中心になってセッティングを担当していただいたのだが、自分のような不慣れなドライバーでも乗りやすいようにと、サスペンションや空力を安定志向の寛容な味付けにしてくれていたのだ。おかげでグリップの高いニュータイヤのときのみならず、1時間以上の連続走行を経ても操縦性の変化が少ないのがありがたかった。それよりも大変なのは、スピード差のある車両とのやりとり。もっとも速いGT-Xクラスは本格的なレーシングカーのGT3で予選では1分40秒台。もっとも遅いGT-5クラスはマツダ・ロードスターやホンダ・フィットなどで2分5~7秒あたり。これだけの差がありながら57台もの車両が入り乱れて走るのだ。全長4563mの富士スピードウェイでも決勝中にクリアラップが得られるのは奇跡に近い。

 我がシビックは予選を大津選手が担当して1分51秒827で、全車のなかでは比較的に速いほうだが、各コーナーではもちろん、普通はホッと一休みできるストレートでもミラーで後方を確認しておかなければならないから気が抜けない。遅くてチームの足を引っ張るのは致し方ないとしても、他車と接触したりコースから飛び出すなんてことだけは絶対にないように心がけていたので、ハラハラ・ドキドキの連続だったが、周回を重ねるうちにだいぶ慣れてきた。速いクルマにはウインカーで意志表示して抜かさせる。それも、自分がレーシングラインを外して譲るとタイヤカスを拾ってグリップが下がってしまうから、なるべく居座りながら。逆に自分が譲ってもらう立場のときには、相手のラインを尊重しつつ、綺麗な路面を選んで抜いていく。スーパー耐久はクルマ好き、モータースポーツ好きの仲間意識が強いという理念があるから、ドライバーのマナーが概ね良好だったのは助かった。ごくたまに「えっ!? そんな所から入ってくる?」ということもあったけれど。

 カーボンニュートラル燃料を使用していてもエンジンのフィーリングに特別なことはない。言われなければ通常のガソリンで走っているかのようだ。ST2クラスには多くのシビック・タイプRがガソリンを使用して走っていて、予選での最速は1分52秒086。我がシビックのほうが0.2秒ほど速いのだ。これは大津選手のドライビングのおかげもあるが、燃料による差はほとんどないことを意味している。ちなみにオクタン価はハイオクが102のところ、HRCが使うカーボンニュートラル燃料は100で、エネルギー量は少しだけ低いとのことだが、ECUのマッピングによって対応していてパワーはほぼ同等。燃費が少しだけ劣るというのが現状のようだ。また、特有の現象としてエンジンオイルのダイリューション(希釈)が起きている。ガソリンが爆発ガスとなったときにクランクケース内に入り込み、じょじょにオイルの粘度が下がって潤滑性能を発揮できなくなってしまう現象だ。以前は1時間強の走行スティント毎にオイル交換を強いられていたが、現在はマッピングでの対応、粘度の高いオイルを使う、油温を高めにして爆発ガスを揮発させるなどの対応をしていて、24時間レースでも1度のオイル交換で乗り切れるところまで改善されている。また、NAエンジンを使うスバルはダイリューションの問題がそれほど大きくはないそうで、筒内圧力の高いターボエンジンのほうが厳しいようだ。

 決勝レースは土曜日の15時に始まり、武藤選手のスタートから序盤は順調に進んでいった。自分の最初のスティントは夕方から夜にかけてで、終盤はナイトセッションとなったが、サーキットの照明は充実しているうえ、車両に追加されている夜間用ライトがかなり明るいので、思っていたよりは走りやすかった。気温も路面温度も下がるので、エンジンは調子良く回り、タイヤのグリップが増すのが嬉しいぐらいだ。

 天気予報では降水確率10%だったが、深夜になって雨が降ってきた。難しいコンディションの大半を大津選手が担当してくれて朝を迎え、9時頃に2回目のスティント。エンジン回転数は市販車のレブリミットが7000rpmのところ6000rpm程度に抑え、あえて高めのギアを使ってシフト回数を抑えトランスミッションの負担を減らすなど、クルマを労っているので、コンディションは良好。慣れてきた分、少しだけペースをあげながら乗り切った。とりあえず、絶対にぶつけないで無事にクルマを次のドライバーに渡すという個人的なミッションはコンプリートできた。

 緊張から解放されて、ピットで和やかに過ごしていたレース終盤、突如トラブルが起きた。200km/hオーバーで走る富士スピードウエイのストレートで、なんとボンネットが開いてしまったのだ。乗っていたのは辻本選手で、自らのボンネットで前方視界のほとんどを奪われながらも、パニックにならず冷静に隙間から視界を確保してピットに戻ってきたのは凄かった。彼女と身長差はそんなにないのに、座高はずいぶんと高い自分が運転していたら、果たして前が見えただろうか? ま、そんなことはどうでもいいのだが、レース用のボンネットピンが折れてしまったというトラブルは、見るのも聞くのも初めてで驚いた。予選までの走行で水温が高すぎるという課題があったので、決勝前に夜間用ライトを移設して開口部を確保し、目論見通りに水温が下がったのは良かったのだが、エンジンルーム内の風の抜けが十分ではなく、ハイスピードで強くボンネットを押し上げて負担がかかっていたのが原因のようだ。

 修復後は大事をとって武藤選手がステアリングを握ってくれた。車両後方にも他車との接触の跡があり、まさに満身創痍といったルックスになってしまったが、これぞ24時間レースという実感もあった。さらに、ゴールまであと少しというところで、ギアが4速に入ったまま抜けなくなるというトラブルが発生。なんとか4速固定で周回を重ねて無事にチェッカーを受けたのだが、あの状態でも2分ぐらいで走れるってどういうこと!? 武藤選手のプロの技にも感銘を受けた次第なのである。

 いろいろあった24時間レースだったが、まさに貴重な体験をさせていただいた。この機会を与えてくれたHRC、一緒に走ったドライバーの皆さん、長時間のレースでタフな働きをしていたエンジニアやメカニック、サポートスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。本格的な体制でレースに出るって、こんなにも気持ちがいいものなんですね。

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石井昌道(いしい まさみち)

ライタープロフィール

石井昌道(いしい まさみち)

自動車専門誌の編集部員を経てモータージャーナリストへ。国産車、輸入車、それぞれをメインとする雑誌の編集に携わってきたため知識は幅広く、現在もジャンルを問わない執筆活動を展開。また、ワンメイク・レース等への参戦も豊富。ドライビング・テクニックとともに、クルマの楽しさを学んできた。最近ではメディアの仕事のかたわら、エコドライブの研究、および一般ドライバーへ広く普及させるため精力的に活動中。

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自動車専門誌の編集部員を経てモータージャーナリストへ。国産車、輸入車、それぞれをメインとする雑誌の編集に携わってきたため知識は幅広く、現在もジャンルを問わない執筆活動を展開。また、ワンメイク・レース等への参戦も豊富。ドライビング・テクニックとともに、クルマの楽しさを学んできた。最近ではメディアの仕事のかたわら、エコドライブの研究、および一般ドライバーへ広く普及させるため精力的に活動中。

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