車の最新技術
更新日:2023.06.16 / 掲載日:2023.06.15
液体水素と超電導モーター【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】

文●池田直渡 写真●トヨタ、池田直渡
5月27日から28日にかけて、NAPAC富士SUPER TEC24時間レースが開催された。もはやスーパー耐久(S耐)に水素内燃機関(HICE)のカローラが出場することは新しくもないが、今回は大きなニュースが2つあった。
ひとつは100周年を迎え、世界3大レースにカウントされる「ル・マン24時間レース」の主催組織であるACO(フランス西部自動車クラブ)のピエール・フィヨン会長が来日し、会見を開いたことだ。
この会見で、フィヨン会長は、26年からル・マン24時間レースに水素燃料車の参加を認めると発表した。トップカテゴリーに参加が認められるのは燃料電池車(FCEV)とHICEを搭載する車両。つまりハイパーカークラスに、水素自動車がエントリーすることになる。
世界の流れを考えれば、やがてメジャーなレースに関しては、化石燃料での走行は難しくなっていくだろうことが予想され、徐々にハイパーカーは水素とカーボンニュートラル燃料にシフトしていくであろうことが予見される。

6月9日、サルト・サーキットでは、トヨタから水素エンジン車両のコンセプトカー「GR H2 Racing Concept」が発表された。これまで世界中で唯一、S耐のみで走っていた水素内燃(HICE)のレーシングカーが、3年後には世界を舞台に走り始め、欧州で水素自動車の認知が進むことになる。これは水素の未来に対する大きな一歩になるだろう。

さて、ではその S耐のカローラはこの富士24時間でどういう進化を遂げたかだが、2年前に「まずは走ってみること」ということから始まった水素カローラは、今回初めて液体水素を使う段階に突入した。
従来の気体水素に対して、満タンあたり走行距離は約2倍になった。理論上、24時間を走り切るために必要なピットストップが半分になる。ただし理論とエンジニアリングには差があるのは世の常で、実は燃料ポンプが24時間もたない。そこでレース中に燃料ポンプを交換するのだが、そのためにはマイナス253度の液体水素の入ったタンクを空にしなくてはならず、それも含めて4時間の作業が必要になる。

というあたりをもう少し詳しく解説せねばならない。これまでの水素カローラでは、MIRAI用の気体水素タンクに700気圧の高圧水素を充填し、これを減圧弁で適宜減圧して、GRヤリス用のG16E-GTSユニットの直噴インジェクターからシリンダーに噴射していた。圧力源は燃料タンクの700気圧である。
ところが今度の液体水素のタンクは大気圧、従来の様な高圧タンクではない。その常圧の液体水素は燃料ポンプで圧送されて、熱いエンジン冷却水を引き入れた熱交換器で加熱されて気化し、気体水素になる。以下、従来と同じく減圧弁で適宜減圧されてインジェクターへと向かう。
従来のシステムでインジェクター直前での最低必要圧にどの程度を想定しているのかは未発表だが、上死点近くで直接燃焼室に燃料が吹けるのだからかなり高圧である。
常圧の液体水素燃料タンクから、その高圧な燃料供給系の入り口たる熱交換器に液体水素を圧送するには、当然燃料供給系より高圧でなければならないので、液体水素タンクの燃料ポンプは通常のガソリン車の燃料ポンプとは比較にならないほどの大出力が求められる。そしてその高負荷で耐久性がもたないのだ。
筆者はポンプの現物を見たが、モーターは外径は30センチ近い。写真の手前のフランジ面に取り付けられて水素を圧送する。この巨大なモーターと二重隔壁の魔法瓶型断熱タンクの搭載で、重量は300キロ増加。富士ラウンドの仕様は、車両各部の軽量化でこれを50キロオフセットして、トータルで250キロ増加に留めた。
富士のラウンドさえクリアすれば24時間も走り続けるレースはないので、以後のレースではポンプ交換は不要になるだろうが、この重量増加をなんとかしなければ、性能向上が止まってしまう。
そこで浮上したのが超電導モーターの採用案だ。超電導に持ち込むための極低温の冷媒は、そこにマイナス253度の液体水素として搭載している。超電導とは何かを、ものすごく簡単に言えば、ある種の金属は、極低温に冷やすと、電気抵抗がゼロになる。素材によってその温度は違うが、液体水素の温度なら使える素材はいくつもある。
超電導状態では、常識より細い線に大電流を流すことができる。技術展示ブースに展示されていた超電導用の導線は、紙のように薄い。にもかかわらず、従来の銅でできた直径5ミリ角ほどの線と同等の電流が流せるそうだ。

となれば、目の前にある液体水素のマイナス253度を使わない手はない。超電導素材でモーターを作れば、当然小型化・軽量化が可能で、写真の回転子を実際に持ってみると重さは全然違う。この超電導モーターで大出力モーターを作れば、液体水素用の燃料ポンプは圧倒的に軽くなる見込みである。現在のところ実績はラボレベルなのであちこちで文献をあたっても諸説あるが、出力10倍とか体積1/10とか夢の様な数字が踊る。これが実際に完成した時一体どういうスペックになるか楽しみである。
トヨタに超電導モーター搭載のスケジュールを聞いてみると、年内はなかなか厳しいとのことだが、つまりは来年の富士24時間には間に合うと言いたいのだと思う。
さて、「で、その超電導に何の意味が?」という人もいるかもしれないが、液体水素と超電導モーターという組み合わせをFCEVに使ったらどういうことになるか想像してみて欲しい。つまりこのS耐用レース車両の向こう側には、超電導モーター駆動のFCEVの姿が見えてくるのだ。

ひと頃は、水素の未来は遠い先に思えていたものだが、そこに新しいビジネスの可能性があると、技術はものすごい勢いで進歩するものである。すでにトヨタは商用車物流の世界で、水素の安定かつ大量の消費が可能なネットワークを構築しつつある。消費サイドが整えば、生産にも投資が進む。もちろん「あと2、3年で」とは筆者も思ってはいないが、意外にも10年後くらいには水素を使う社会が始まっているかもしれない。