車の最新技術
更新日:2021.11.22 / 掲載日:2021.07.02

設計も売り方も変わった 福祉車両新時代【池田直渡の5分でわかるクルマ経済第13回】

文●池田直渡 写真●ダイハツ、ホンダ、トヨタ

 福祉車両と聞くと、「ああ、あの車椅子を積めるヤツね」とか「手でペダル操作ができるヤツね」という程度にはご存知だろうが、なかなかその実態は世間に伝わっていないのが現状だろう。

 ほんの少し前まで、福祉車両は改造車だった。ディーラーで新車を購入して、専門の改造会社に持ち込み、あちこち切断したり穴を空けたり、補強板を溶接したりという、ある種鉄火場の作業を経て出来上がるものだった。

 肢体不自由者の状態は十人十色であり、それらは専門家が状況をヒアリングしつつ、オーダメイドで作るしかなかったのである。特に高齢者の場合、時間経過と共に、不自由の度合いも進行して行くケースが多く、購入時に想定していたソリューションでは徐々に追いつかなく成っていくことさえある。

 なんてことを書くのは実は、筆者自体が介護の経験者だからなのだが、すでに両親ともに身罷っており、いざそうなると、高額の改造費を掛けた介護車両は、普段使いには無用の機能によって使いにくいものになる。下取りに出して買い替えようにも、様々な改造の結果、査定は大変厳しい。介護車両専門の買取業者もあることにはあるのだが、全国どこにでもそういう業者がいるわけではない。

 そもそもクルマという製品は大量生産品であり、その標準的な使い方(昨今何が標準かというところには議論があるのは承知だが、少し前までの現実はそういうものだった)から外れたニーズに一々対応していくことは難しかったのだ。

福祉車両が特別なクルマではなくなる時代が近づいてきている

 この流れがここ数年で大きく変わりつつある。ベースになったのは「コモンアーキテクチャー」である。これは基礎となるプラットフォームに対して、予め様々なバリエーション展開を見込んで、想定した機能に対応出来る様に設計を行うやり方で、他の要素に加えて、介護仕様の様々なモジュールの装着を想定した設計を行う様になったのだ。

 すでに述べた様に、ハンデキャップは十人十色なので、その全てをカバーすることは難しいが、だからと言って全部を諦めることはない。介護ニーズの中で高い汎用性を持つ機能もあり、それらを予め織り込めば、後から改造費用の負担も発生せず、ディーラーでオプションリストから普通に選択し、装着するワンストップサービスで提供できるし、リセールの際の査定の問題も起きない。改造を行わないので、昨今の残価設定ローンでの販売への対応も可能になる。

 高齢化社会がかまびすしく言われる昨今、自動車メーカーもその良心に賭けて、より多くの人の使い勝手を考慮したユニバーサルデザインを自動車設計に盛り込み始めたというわけだ。

 この点でなかなか進歩的な取り組みをしているのはダイハツだ。例えばタント(記事末に写真あり)は、ほぼ90度近い角度で大きく開く助手席ドア、乗り降りに最適な位置に装備された大型ハンドル。このハンドルのために、全車のピラーには補強が成され、ネジ止め用のダボ穴が用意されている。

 さらにシートを30度回転する設計にし、電動収納式のステップを設けて高齢者の乗降をサポートする。ちなみにシート回転が90度ではなく30度なのは、実際の介護現場で医師や学者の立ち会いの下に実験を繰り返して、多くの人が最も楽に乗降できる角度を検討した結果である。90度回してしまうとアシストグリップを掴む手に力が入らないのだ。

 これらのオプション部品は、一部例外を除きディーラーで簡単に取り付け取り外しができる様になっているので、介護仕様にするのも、元に戻すのも極めて簡単にできる。一部機能を除けば、購入後にも装着が可能という仕組みが出来上がった。

 あるいはリヤのラゲージ天井に車椅子収納用の電動ウィンチのブームが簡単に取り付けられるブラケットが予め埋め込まれ、吊り下げの重量に対応すべく天井の強度が設計されている。従来なら床と天井に穴を空けて柱を上下にねじ止めで固定し、そこにアームを付けるしかなかったが、当然この柱に邪魔されて、タダでさえ限られている軽自動車のラゲージスペースが減少していたのである。もちろんこの天井取り付けブームも後で取り外すことが可能だし、何より仮に付けたままでもほとんど邪魔にはならない。

 実は、現在の老老介護の現場では、介護する側の運転能力や体力の限界、あるいは経済的理由もあり、軽自動車やBセグメントクラスのコンパクトな車体が選ばれるケースが多い。だからダイハツはタントにこうしたオプションを用意したし、ホンダはN-BOXやフリードに車椅子対応スロープを、トヨタはヤリスに回転シートと車椅子リフトを用意しているのだ。そしてどのメーカーも特別な改造を要すること無く、福祉車両を多くのユーザーへと提供し始めているのだ。

 超長期的未来がどうなるかはわからないが、こうした特別オプションが付いたクルマがカーシェアなどでオンデマンドに使える様になるにはまだまだ時間がかかるだろう。何しろ求める仕様がみな違うのだから、シェアリングとの相性は中々難しい。

 むしろ自動車メーカーが設計標準化して、介護仕様が残価設定ローンで購入できる様になったり、その先にはハンデキャップの変化に応じて、様々な介護デバイスを備えたクルマに切り替えて行かれるサブスクリプションなども考えられるだろう。例えばホンダではN-BOXの車椅子仕様に関しての月額利用サービスなどもすでに開始している。まだ多種多様な仕様を選択できるところまでは進んでいないが、あと一歩でそういう時代がやってきそうな予感はある。

 地味だがとても重要なこうした課題に日々取り組んでいるエンジニアが自動車メーカーに存在することに感謝と尊敬を捧げたいと筆者は思う。

  • ダイハツ タント ウェルカムターンシート

    ダイハツ タント ウェルカムターンシートは、Aピラーの手すりに合わせて最適な角度に回転する新設計シートを採用。車椅子の載せ降ろしをサポートするパワークレーンを標準装備

  • N-BOX スロープ

    N-BOX スロープはベースモデルの開発段階から福祉車両化を見据えており、収納したスロープがフラットな荷室の床になるなど使い勝手に優れる

  • ヤリス ターンチルトシート

    トヨタでは従来の福祉車両のイメージを変え、より多くの人々が気軽に購入できるよう、「ターンチルトシート」仕様の型式指定を取得。これにより通常モデルのオプションとして選択できるようになった

今回のまとめ

・福祉車両は利用者に合わせたカスタムメイドの意味合いが強く、敷居が高かった
・超高齢化社会の到来を見据え、ベースモデルの開発から福祉車両化を想定する車両が登場
・ハードウェアの進化に加えて、購入支援やシェアリングなどソフト面の進化が求められる

執筆者プロフィール:池田直渡(いけだ なおと)

自動車ジャーナリストの池田直渡氏

自動車ジャーナリストの池田直渡氏

1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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池田直渡(いけだ なおと)

ライタープロフィール

池田直渡(いけだ なおと)

1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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