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更新日:2026.09.11 / 掲載日:2026.09.11
エコノミックアニマル以降の日本人【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】

「日本はもう終わった」という話は、この20年ほど何度も聞かされてきた。人口は減る。高齢化は進む。成長率は低い。内需は縮む。どれも間違いではない。しかし、世界の側が変われば、これまで弱点に見えていたものの値段が変わることがある。
いま世界では、米国、中国、ロシアといった大国が、自国の事情に合わせて関税や輸出規制、制裁、補助金、産業政策から果ては軍事政策までを大きく動かしている。われわれには馴染み深いEVを巡る各国の政策変更もその一つだ。昨日までその政策を前提に何千億円という投資をしていた企業が、政治の都合ひとつで前提条件を失う。そういう目に遭った企業にとって、次の投資先を選ぶ時に重要なのは「どれだけ儲かるか」とか「市場規模が大きい」だけではなくなっている。

日本でものづくりをすれば、人件費は途上国より高い。物流費も高い。しかし、それは最初からわかっている。人件費がいくら、電気代がいくら、輸送費がいくらと積み上げれば、事業計画は作れる。高コストでもそれを所与のコストとして織り込むならちゃんと経営判断の対象になるはずだ。一方、厄介なのは不確実性だ。来年、関税が何%になるかわからない。輸出できるものが突然変わる。補助金の条件が変わる。昨日まで合法だったビジネスが、政治的な判断で明日も続けられるとは限らない。あるいはその国から政治的事情で突然撤退を余儀なくされる。これでは計算のしようがない。高いコストと、計算不能なリスクはまったく別物である。
そう考えると、日本の見え方は少し変わってくる。日本は昔から「変化が遅い」と言われてきた。一度決めた制度をなかなか変えない。「世界中がルールを変えているのに、なぜ日本だけ律儀に昔の約束を守っているのか」と批判されることすらある。行政も政治も意思決定が遅く、融通が利かない。つまり硬直的だと言われてきた。ところが、世界中がルールをころころ変え始めると、その硬直性が突然別の意味を持ち始める。「昨日の約束が、この先も確実に有効な国」という価値である。もちろんこの世の中に絶対はないが、その継続性・安定性が群を抜いているとすればどうだろう。
これまで欠点として数えられてきた性質が、予見可能性という競争力に化ける可能性がある。さらに、もう一つ日本人には妙な能力がある。「空気を読む」力だ。
この言葉も普通はあまり褒め言葉として使われない。曖昧だ、忖度だ、同調圧力だと言われる。しかし、空気を読むという行為には別の側面がある。例えば朝の駅で電車に乗る時、いちいち「まず降りる人を通して、その後で左右から乗り込みましょう」などと打ち合わせをする人はいない。誰も号令をかけないのに、ホーム側の人は自然に脇へ避け、車内から人が降りる。降り終わる頃合いを見て乗り始める。なぜそうするかと言えば、その方が結局は早くて快適だからだ。

渋谷のスクランブル交差点も似ている。猛烈な人数が四方八方から同時に歩き出すのに、全員が細かな進路を事前に取り決めているわけではない。それでも相手の動きを見ながら、自分が半歩ずれ、速度を微妙に変え、かなり高い密度で衝突を避ける。これは一種の即興フォーメーションプレイだと思う。
誰かに命令されなくても、自分が何をすれば全体がうまく回るかを相手の動きから察して動く。国内では優柔不断の原因にもなるその性質が、見方を変えれば、摩擦を減らしながら共同作業を成立させる能力になる。歴史を振り返れば、かつて日本人は「エコノミックアニマル」と呼ばれた。猛烈に働き、製品を輸出し、海外市場を取りに行った。とりわけ自動車産業は米国市場で大きく伸び、その結果として激しい貿易摩擦も経験した。しかし、その後の日本メーカーは米国で現地生産を増やし、現地調達を進め、雇用を生み出してきた。単に日本から完成車を送り込み、利益だけ持ち帰る形から、相手国の中にも産業と利益を残す方向へ変わってきた。
ここには、結構大事な学習があったのではないか。自分だけが100を取れば、一瞬は大儲けできる。しかし相手が損をしたと感じれば、関係は長続きしない。60対40でも、あるいは場合によっては50対50でも、20年、30年続く方が最終的な利益は大きくなる。

以前、トヨタ・リサーチ・インスティテュートのギル・プラット氏から、「日本人の約束を守る力」「利他の精神」が武器になるという考え方を聞いたことがある。重要なのは、日本人は優しくて立派だから分け与えるという道徳の話ではない。相手にも利益を残した方が、長期的には自分も儲かるという経済合理性の話である。日本はこれから人口減少で内需が確実に縮んでいく。そういう中で成長しようとするならば、どうしても国外で稼がなければならない。しかし日本国内で作ったものを大量に輸出して、自分だけが利益を取るというやり方では、また「近隣窮乏化政策だ」と反発を受けることになる。
だから、これから日本が発明しなければならないのは、輸出の方法そのものなのではないか。日本でものを作ってもいい。海外で作ってもいい。技術や知的財産を輸出する国になるのでもいい。重要なのは、そこで生まれる付加価値を、日本とパートナー双方の幸福につながるように分配する仕組みを作ることだ。
米国はしばしばジャイアンのように振る舞う。しかし20世紀の米国が世界秩序の中心として長く受け入れられた理由の一つは、そのシステムに参加することで多くの国が物質的に豊かになれたからだろう。強い国が強いだけでは長続きしない。相手側にも「この仕組みに乗っていた方が得だ」と思わせる果実が必要なのである。
その点で、「空気を読む」日本人は国際協調のハブとして機能することに、案外向いているのではないか。相手がどこまでなら納得するのか。どこから先を取れば恨みを買うのか。どこを譲れば次の仕事につながるのか。契約書に書かれる前のそうした空気を読み、利益配分を調整する能力が、国際ビジネスで武器になる可能性がある。

しかも、この能力はなかなか真似しにくい。電車の乗り降りの作法だけなら、ルールを書いて掲示すればいい。しかし、皆が自然にそう動くためには「自分が譲れば相手も譲るだろう」「ルールを守れば他の人も守るだろう」という相互信頼が必要になる。落とした財布が交番に届く社会や、混雑した交差点で他人の動きを信用しながら歩ける社会は、法律をひとつ変えれば明日から出来上がるものではない。長い時間をかけて積み上げた社会の癖そのものが、ひょっとすると日本が持つ最大の参入障壁なのかもしれない。
もちろん、日本にも問題が山ほどある。しかし世界がゼロサムの争いに傾き、ルール変更と不確実性に疲れるほど、律儀にルールを守り、相手の空気を読み、全部を取りに行かずに利益を分けるという日本的な性質には、これまでとは違う価値が生まれる可能性がある。
エコノミックアニマルと呼ばれた時代から半世紀。あの頃とは違う形で、日本人がもう一度世界に必要とされる時代が来ても、別に不思議ではない。
文●池田直渡 写真●トヨタ