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更新日:2026.04.03 / 掲載日:2026.04.03
今スズキはインドで何をしようとしているのか?【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】

文●池田直渡 写真●スズキ
スズキは1983年、インド政府とのジョイントベンチャーとしてインドに上陸した。当時としては外資自動車産業で唯一の参入であった。
1991年インド政府は慢性的な貿易赤字と財政赤字、累積する対外債務の解消に向けて経済自由化へと方針を転換する。1993年に産業別認可制が撤廃され、1990年代半ばに外資系の自動車メーカーが相次いで参入する様になった。インドにおける自動車戦国時代の幕開けである。特に2000年代に入るとインドの自動車産業はモータリゼーションの時代に突入。作っても作っても片端から売れる。
そうなると工場の能増が販売台数にストレートに直結するので、自動車メーカー各社の工場建設ラッシュが始まり、インドの製造業全体が大規模投資時代を迎えるのである。スズキのインドの四輪子会社マルチ・スズキ・インディア(マルチスズキ)は、北部のハリヤナ州グルガオン、マネサール、カルコダの他、西部グジャラート州ハンサルプールにも4つの工場を有し、生産能力は260万台に及ぶ。

その能増ペースは急速で、2026年度までにマネサールで10万台、カルコダ100万台、ハンサルプール第4ライン25万台を積み上げた他、2028年度にはさらなる新工場を計画中ですでに用地の買収が確定している。ハンサルプールと同じグジャラート州だが、工場の名称はまだ決まっていない。計画では700万平米の用地に100万台を追加し、インドの国内トータルで400万台体制を築く計画だ。

作れば売れる環境ならば、最速製造ラインを作りたくなる。スズキはハンサルプールの第3のライン、Cラインを400mの直線構成で設計し、ラインの両サイドに搬入のトラックがアクセスできる構造とし、ジャストインタイムで必要部品を最短で搬入するという従来にないシステムを導入した。ただし、ラインサイドのスペースは構造上限られるため、多種多様なグレード構成の部品をストックできない。そこはグレード構成をシンプルにすることで対応する。
さらに広大な敷地の一部にサプライヤーパークと呼ばれるサプライヤーの工場群を誘致する計画で、輸送の困難な大型部品を中心に、生産から納品までのレスポンスを向上させる計画だ。
そうしておいて、特に販売好調なスイフトをワンラインフル稼働で生産して生産台数を稼ぐ。なお、長期的には追加車種や需要の増減に応じる可能性を考慮し、最速ワンラインであると同時に、必要とあれば混流生産も可能な設計になっている。現在はスズキ初のグローバル戦略EVであるeビターラが少量混流生産されている。

前述の通り、インドのスズキはかつてインド政府とのジョイントで設立された。当時はマルチ・ウドヨグ社であったが、2006年までにインド政府は持ち株を全て売却済み。2014年に日本のスズキ本社が100%全額出資で設立した自動車生産会社、スズキ・モーター・グジャラート社を、2024年にマルチ・ウドヨグ社から社名変更したマルチ・スズキが合併し、引き換えに、スズキ本社がマルチ・スズキの株式を取得。トータルで約58%を収めて子会社化した。
こうした資本の整理の結果、スズキは日本本社の決断で、自由に能増が可能になり。近年の工場増設ラッシュに至っている。スズキではこれをスズキ3.0と呼ぶ。

前述のハンサルプールで計画中の第4ライン(25万台)、DラインではCラインの反省に基づいたU字型ラインを計画しており、さらなる増産体制を計画中である。現在「作れば作るだけ売れる」自動車のマーケットは世界的に見てもインドだけだ。
実際日本国内の自動車メーカー各社の工場では、最速よりも、減産時にも効率が落ちないフレキシビリティが重要視されている。それは絶好調のトヨタですら、例外ではない。スズキのインド国内各工場は、2026年現在、世界でも稀に勢いのあるマーケットで、徹底した拡大戦を戦いつつ、先行する日本のケースを中長期の考慮に加え、最速かつフレキシブルという類例のない生産体制を築こうとしている。