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更新日:2026.03.06 / 掲載日:2026.03.06
自動車メーカーの春闘満額回答と第3四半期決算の矛盾【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】

文●池田直渡 写真●トヨタ、日産
今年もまた春闘の季節がやってきた。自動車メーカー各社とも、ほとんど揉めることもなく満額回答が相次いでいる。しかしながら、各社の第3四半期決算は、昨年比で軒並み営業利益ダウン。中には通期見通しを赤字と発表している社もある。逆風が強い決算の中で賃上げに対して満額回答という結果になったことについて疑問に思う人もいるだろう。
何故なのか? ポイントはいくつかある。まずは営業利益ダウンの理由がはっきりしていることが大きい。マイナスの大部分が関税の影響による一時的なもので、すでにリカバーの見通しが見えており、中期的な利益体質については、明るい見通しがある点が挙げられる。
次に、日本経済全体が1990年代から続いてきたデフレのモメンタムが終了し、インフレが進行中という点だ。インフレ下では諸物価高騰の中で、生活はどうしても苦しくなる。同時に人材不足も深刻化。ここで待遇面を引き締めれば従業員の離脱が増え、流入が減る。事業の健全な存続を考えれば、条件向上は当然の対応だとも言えるのだ。

さて、まずはインフレの加速について。かつて、デフレの象徴でもあった牛丼の並盛りはかつての270円から現在450円前後。牛丼チェーンでも期間限定メニューはほぼ1000円前後であり、中には1500円前後のメニューまで登場している。
それでも値上げして存続できる牛丼チェーンはまだましで、弁当屋に至っては閉店が相次いでいる。外食の一般的な原価率は3割と言われているが、弁当の場合、客席も接客も省いて価格で勝負するビジネス。値頃感は必須になるため原価率は5割と言われている。
そういう中で米を筆頭に食材の原価が上がると、弁当に期待される価格が維持できなくなる。筆者のお気に入りの弁当屋はそもそも鮭弁当が650円と高めの価格設定だったが、その分、ご馳走と言えるほどに脂が乗って美味しい、大きな鮭の切り身が売りだった。しかし諸物価高騰の中で段々と価格が上がり、最後には1200円に。そしてついに閉店してしまった。流石にいくら美味しくても鮭弁に1200円は払えない。
他に値上がり著しいのはビジネスホテルの宿泊費だろう。特に都内の価格上昇は驚くほどで、一時期はビジネスホテルが1泊3万円超えということも頻発していた。この原因は2つあって、ひとつは人手不足。10:00のチェックアウトから15:00のチェックインまでの間にルームメイクを済まさなければならないので、人手を求める時間がどのホテルでも被ってしまう。人手不足の中で、ルームメイクスタッフの派遣業者はその需要を賄いきれず、結果全室のルームメイクが引き受けられないケースが頻発する。大手ホテルチェーンですら、部屋の稼働率が8割程度まで落ちてしまうこともある。
ただし、そこに運良くインバウンド需要が発生したため、単価を上げて経営逼迫を回避できた。ただし、コロナ禍で、ルームメイクの業者を支えていた外国人労働者が帰国してしまい。その補充が未だに追いつかない。結果として一時よりは回復したとはいえ宿泊費が高止まりしているケースがまだまだある。
エネルギー価格やそれに伴う資材費の高騰、コロナ禍の後遺症、人手不足など様々な要因が複雑に絡み合って、需要を減速させ、同時に供給を逼迫させているのが現在の日本経済である。
さて、こうした状況下で、生活のコスト上昇は避けられず、また日本全体としても長期にわたる所得の足踏みは大きな社会課題になっているのだ。日本経済の大黒柱である自動車メーカー各社は社会的責務としても所得水準の向上に寄与する義務がある。

一方で、営業利益ダウンはどうなのか。成績不振の原因は、第一にトランプ関税による関税影響。トヨタの場合第3四半期までの9ヶ月累計で約1兆2000億円のマイナス。さらに、為替の差損で約2700億円マイナスだ。為替は相場ものであり、所詮は時の運。照る日もあれば曇る日もあるが、関税影響はどうなのか。日米両国政府の交渉の結果、関税率は25%から15%に引き下げられたのでまずその分は確実に好転する。そもそも関税影響がこれだけの営業利益マイナスになったのは各社が関税を売価に転嫁せず、自社で吸収していたからであり、時間の経過と共に徐々に価格転嫁が進めば好転する道理だ。
というのも、日本からの輸出に対して米国内生産分の方が、関税影響が圧倒的に厳しくなることが見えているからだ。経済協力圏、つまり米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)圏内では車両も部品も原材料も輸出入を非課税とし、かつ輸出入手続きの簡略化も進んでいたため、USMCAの前身にあたるNAFTAが成立した1994年から30年の間に自動車に関する3カ国にわたる緻密なサプライチェーンがすでに構築されている。
しかしトランプ政権は、突如関税でカナダとメキシコへの25%の課税を言い渡し、両国も報復として同率の税を課した。こうなると地獄絵図で、これまで非課税を前提に、気兼ねなく幾度も国境を往復する前提で設計されたサプライチェーンが破綻する。とあるメーカーに聞いた実例として6回国境を跨ぐ部品があるとのこと、25%が6回課税されれば部品価格は4倍近くになる。
この問題に際してGMやフォードが「車両価格が5倍になる」という声明を出していた。多少極端な例かもしれないが、そういう可能性もあるわけだ。かと言って長年かけて構築されたサプライチェーンをゼロからリデザインし、現実に生産拠点を変えるとなれば大混乱と巨額の費用が発生する。トランプ大統領の「製造業の米国内回帰」は完全な机上の空論だ。
つまり、米国生産車は、原価ベースで価格転嫁をしようと思えば、少なくとも数倍の値付けが必要になり、全額転嫁は極めて難しい。対して日本からの輸出は全部を丸々転嫁しても15%で済む。それらの課税の被害に遭うのは米国民だが、それは自国のトップが立てた政策なので、甘んじて引き受けるしかない。
さらに言えば、米国内生産車の輸出はそのほとんどがUSMCA圏内であり、ほとんど全部が関税影響下だが、日本からの輸出に15%の課税がかかるのは米国のみ。カナダやメキシコ向け輸出では日本生産車はトランプ関税の影響を受けない。そう考えると価格転嫁後の販売競争に関しては、日本の有利は揺るがない。
また2月20日には、米国最高裁が今回の一連のトランプ関税に違法判断を下しており、今後すでに支払われた1700億ドル(約26兆5000億円)超の関税に対して、企業からの還付請求裁判が相次ぐものと見られている。見通しはわからないながら、今回関税影響として計上したマイナスが還付されるストーリーもあるかもしれない状況である。

そういう個社の事業見通しと、被雇用者の所得水準向上の必要性が大きい環境下で、今回の春闘は満額回答を迎えているわけだが、引き続き課題もある。これもトヨタの例だが、すでに2025年のトヨタ全社員の平均年収は約980万円と、国全体の正社員の平均年収約545万円に対して倍近い額になっている。
むしろ、これ以上社会的な平均値から逸脱すると社会の恨みを買いかねない。トヨタとしては、国民所得の水準向上に寄与する方法として自社社員の給与を上げるためにも、サプライヤーなど自社以外の企業の年収向上にどう寄与するかの方が重要課題になりつつある。
そこでトヨタは2018年から段階的に、ベースアップ(ベア)や賃上げ率の具体的回答を止めた。サプライヤー各社の動きを見ると、トヨタの回答を天井と見なして、そこからいくらマイナスにするかでベアを決める傾向が強かった。そこでトヨタは自社のベアや賃上げの具体的発表を止めると同時に、サプライヤーに対してトヨタのベア率を気にせずに決めることを奨励し始め、加えて、原材料費や光熱費の値上がり相場を見て、支払額を自動で増額するシステムなど、取引先の困りごとを解決する多くの制度をスタートさせ、その結果、2018年から2021年の間にトヨタのベースアップと賃上げ率を平均で上回った取引先が80社に達した。
日本経済全体にとって国民所得の向上は極めて重要である。国民所得は内需を支える。少し前まで絶好調だった中国経済急減速のターニングポイントは、所得の再配分に失敗し、4億人の富裕層と10億人の貧困者を作ってしまった結果、生産力に対して異様に内需が弱く、結果輸出依存型になる。それが世界各国との経済摩擦を産んでいる。そう考えると春闘は自動車産業で働いている人だけの問題ではなく、広く日本全体での問題なのである。