車のニュース
更新日:2025.04.11 / 掲載日:2025.04.11

サプライチェーンとトランプ政権【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】

文●池田直渡 写真●ホワイトハウス、トヨタ

 ここ最近の自動車産業では、トランプ政権の政策が、自国の自動車産業にどういう影響を与えるかの話題で持ちきりである。

 しかしながらその全貌を書くのは、この連載の文字数では不可能なので、もっとも重要なサプライチェーンの危機の話を説明したいと思う。

4月2日に公布された大統領令では、アメリカの貿易赤字を是正するべく、相互関税による輸入規制が実施された

 現在のサプライチェーンは、国際分業で成り立っている。コロナ禍によって海運が止まったとき部品不足が起きて、世界中の自動車メーカーで車両生産が大混乱したのはそういう精密機械のように成立している国際分業制度のあちこちが止まったからである。

 1989年にベルリンの壁が崩壊し、1993年にEUが発足する。当時のことを覚えている方なら、「ボーダレスの時代」という言葉に聞き覚えがあると思う。ボーダレスのボーダーとは国境のことで、つまり新しい時代の経済は国境を自由に越えるし、その前提でサプライチェーンを設計しなければならないという話なのだ。

 西ドイツを例に取れば、突然、自国のすぐ隣に旧東側である東ドイツが現れた。当たり前の話だが、経済発展度が異なる東ドイツは人件費も土地も安い。最新技術や設備が必要な部品作りは西ドイツでなければできないが、いわゆる手工業的な加工が求められる労働集約的な部品、例えばワイヤーハーネスの生産は、人件費と地代が安いところで生産した方が安くなる。

 ドイツの場合国境が消えて統一されたから良いが、欧州全体で見ると、国と国の間には国境がある。誰でもわかる話だが、国際分業を実現するためには国境が邪魔だ。輸出入の手続きがいるし、関税もかかる。せっかく安く作っても国境を超えて輸入すれば無駄が発生してしまう。そこでEUという自由貿易協定(EPAやFTA)による輸出入の自由化が必要だった。

自動車を構成する3万点にも及ぶ部品は世界各国のサプライヤーで生産され自動車メーカーの組み立てラインに集約される

 例えばトランスミッションを作るとすると、まずはケースのためのアルミと歯車のための鉄鋼の地金が必要である。これは鉱石を産出する国で生産される。アルミは鋳造技術がある国でケースに加工され、歯車は機械構造用炭素鋼合金にしてから、機械切削加工などが可能な国で加工される。トランスミッションの制御用半導体は電子部品の技術がある国で作られる。最終的に組み立てるには産業用ロボットが使える国でなければ難しい。

 パーツアッセンブルとしてのトランスミッションになるまでにはそれぞれ原材料や中間部品に適した加工技術のある国で、もっとも人件費が安い国で生産される。そのためには、適度に経済格差のある複数国が隣接した環境が望ましい。ただし、生産過程で何度も国境を越える必要があるのだが、その度に課税されてはたまらない。だから自由貿易協定域内でサプライチェーンを構築する。1990年代以降のフォルクスワーゲンの躍進の背景にはこうしたEU圏を利用した国際分業があるのだ。

 さて、この欧州の成功を見れば、当然その手があったかと考える会社が次々と現れる。米国はカナダとメキシコを巻き込んで「NAFTA(現USMCA)を作り分業化を進めた。

 日本の場合ASEANと組んだ。国際分業のメソッドで作られたトヨタのIMVシリーズ(ハイラックスなど)は、現在トヨタの利益の30%を稼ぎ出している。

タイで生産され世界180以上の国で販売されているIMVシリーズ。写真は2023年に投入されたハイラックス チャンプ

 さて、USMCAという言葉に「あれっ?」と思った方もいるかもしれない。トランプ政権はこの自由貿易協定を結んだUSMCAの相手国、カナダとメキシコに対して関税をかけると言い出した。

 自動車には3万点の部品があり、米国で販売するクルマについては、USMCAを当てにしてサプライチェーンが構築されている。それは日本をはじめとする外資系のメーカーに限らず、米国のメーカーも同じである。カナダやメキシコに数千億円級の投資をして工場を建てた後で、いきなり「自由貿易協定はやめました」と言われたら、大損害である。自動車産業は巨額の設備投資を20年から30年かけて回収していくビジネスだ。USMCA(まあ多くのメーカーが投資したのはNAFTA時代だろうが)を前提に長期回収計画を立てていた会社は、この先投資が回収不能になる。

 中国に次いで世界第2位の自動車販売台数の米国でこんなことが起きたら、多くのメーカーにとっては死活問題につながりかねない。

 一応、NAFTAからUSMCAに変わった時、米国は最終組み立て車に使われる米国製部品の使用率に規定を作った。いわば自由貿易協定の条件限定だ。比率が規定より高ければ従来の自由貿易協定のルールが適用されて、非課税扱いになるのだが、それ以外の場合には一定の税率が掛けられることになる。それを今回さらに上げると言い出したのだ。

 カナダのマーク・カーニー首相はこれに激怒。「米国との関係は終わりを迎えた」とまで発言する騒ぎになった。もしこのトランプ関税が長期に渡れば、自動車メーカー各社はカナダやメキシコの工場を縮小または廃止して、米国内に工場を作るしかなくなる。それでもまだ自動車メーカーや、メーカーと直接取引する一次サプライヤーはコストを捻り出す体力があるだろうが、5次や6次まで数珠繋ぎでできているサプライヤーの連鎖にとって、自分より上位のサプライヤーが移転すれば、選択肢の余地もなく一緒に移動するしかない。ジャストインタイムでの供給が義務付けられている以上、輸送レスポンスが悪くなるのは死活問題である。

 こうした中小零細なサプライヤーは自力で移転して、新たな生産設備に投資するだけの資金力がない。そうなればサプライチェーン全体で、つまりおそらくは最終的に自動車メーカーが負担しないと移転すらできなくなる。そうやってサプライチェーン丸ごとの費用を負担できるメーカーがどれだけあるのだろうか?

 さて、こうして1990年代に始まったボーダレスの時代が、もしかしたら終わるのかもしれない状況になっている。トランプ大統領のこうした過激な要求は、ディール(交渉)の一部であるという説もあるが、元はと言えばWTOに加盟しながら、20年以上もルールを守らず、ルール違反を咎められ米国から制裁関税を掛けられると第三国に迂回させてまで懲りずに輸出を続けた中国が原因なのは間違いない。うっかり迂回に協力したばかりに米国から制裁的関税を掛けられる国々はたまったものではないが、米国の怒りはそれだけ深い。

 トランプ政権で国務長官(日本で言う外務大臣)を務め、かねてより対中強硬派として知られるマルコ・ルビオ氏は、指名承認を巡る公聴会の冒頭で、中国について「われわれは中国共産党を国際秩序の中に迎え入れた。彼らはあらゆる利益を享受しながら、義務や責任はすべて無視した。それどころか、うそをつき、ハッキングし、ごまかし、盗みを働きながら、世界の超大国の地位を手に入れた」と強い言葉で非難した。

 米国にしてみると、米国の利益を脅かす中国の経済政策に、言葉で対抗する時期はすでにとうに過ぎ、経済戦争の領域に入ったということだ。共産圏の崩壊で始まったボーダレスの時代が、共産主義国家の自由経済参画で終わるという意味では極めて皮肉と言えるだろう。

 という記事を書いて、校正も終わり、あとは公開を待つだけというタイミングで現地時間の9日、相互関税が発動したその当日にトランプ大統領は、報復関税を掛けない国に対して、関税発動を90日間猶予すると言い出した。

 ちなみに報復関税を発表した中国に対しては猶予の対象外としただけでなく、さらに税率を上げ「敬意が足りない」と非難した。 これまで、各国の貿易ルールに対し、補助金を筆頭とする様々な非関税障壁があるとして、各国と米国間の貿易赤字を是正する関税、つまり非関税障壁とバランスする関税=相互関税と主張してきた米国だが、元々あまり説得力のなかったその趣旨説明は、さらに論理性を失った。

 要するに、中国との経済戦争であり、中国の迂回輸出に協力する第三国に対する警告であることがより鮮明になった。そういう意味では記事の主張が裏書きされた形になっているが、問題は米国の政策に対する信頼がさらに下がったことだ。自動車メーカーにしてみれば、数千億に上る命懸けの投資を、こんな朝令暮改の政策に応じてできない。関税回避を企図した米本土への投資はおそらく一気にトーンダウンしているものと思われる。

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池田直渡(いけだ なおと)

ライタープロフィール

池田直渡(いけだ なおと)

1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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