車の歴史
更新日:2018.11.14 / 掲載日:2018.02.26

名車探訪 ISUZU ベレット

OEM車ヒルマンの生産が終了しても、新たに操業が予定されていた藤沢工場の生産ラインが空かないようにと、ベレット( 社内開発コード=SX)の開発は急ピッチですすめられていた。ベレット開発には排気量1000~1500ccクラス、ディーゼルエンジンも搭載可能などいくつかの決めごとがあったが、ベレルの反省をもとに、生産性のいいデザインも要求された。そんな厳しい条件の下、開発陣は卵をイメージした楕円曲面のボディラインや傾斜を持たせたセンターピラーなど、今までの乗用車とはひと味違ったデザインに挑戦。ベレットの美しいシルエットは、国産乗用車デザインの傑作のひとつだ。

変革を重ねて熟成していった長寿モデル

 明治以降の日本の近代化を牽引したのは、政府が後押しする国策企業。その仕事の中心は、富国強兵の旗印の下で、軍が資金を出すプロジェクトだった。
 いすゞ自動車の前身も、帝国海軍の軍艦を数多く建造した東京石川島造船所。さらに辿れば、ペリーの黒船来航に対抗するために、徳川幕府が設立した造船所まで遡ることができる名門だ。
 1900年代初頭には、米英に次ぐ世界第3位の造船王国となった高度な設計、製造技術を活かして、1916年に始めたのが自動車の開発だ。英国のウーズレーと提携して、’22年には第一号車が完成している。もっとも、船の建造と同様に、ほとんど手作りとあってはビジネスにはならず、’26年までに100台余りが売れたに過ぎない。
 それでも、’29年には自動車部門が独立。石川島自動車製造所が設立される。それを後押ししたのは陸軍だった。当時、すでにフォードとGMが日本に組立工場を設立し、自動車販売を拡大していた。海軍が後ろ楯となった造船業と同様に、陸軍には、米国車に技術と市場を席巻されていては、有事の際に軍用車を賄えないという危機感もあったのだろう。
 そうして、欧米列強に追いつけ追い越せと技術を磨き、’32年に、鉄道省などと共同開発した商工省標準形式自動車と呼ばれるバストラックの車名として初めて使われたのが、いすゞの名だ。’33年には欧米でもまだ発展途上だったディーゼルエンジンの研究を始め、’36年にそれを完成させている。
 戦後は民間向けのトラック生産で復興に貢献。’49年にいすゞ自動車に改名するが、国に守られてきた名門の血筋は、以後の同社の歩みに色濃く影響を残す。志と技術は高いが、移り気な末端顧客相手の商売は巧みとはいえなかった。
 乗用車市場への進出に当たっては、’53年に英国のルーツ社と提携。ヒルマンのノックダウン生産で技術を学び、それを活かしたオリジナル車、ベレルを’61年に発表する。
 広く愛されるクルマにするために、社内に初めてデザイン部門を立ち上げ、凝った造形を実現させたのはよかった。ところが、生産技術が追いつかず品質不良が多発。生産の安定に1年も要している。バスやトラックでは定評を得ていた得意のディーゼル車も振動騒音が大きく、当時の最大顧客であるタクシー業界からクレームがついた。
 ベレットはその経験を糧に、より小型のファミリーカーとして開発され、先進的なメカや走りが高く評価される。SS1/4マイル21.6秒の加速は当時の1.5L車では群を抜いていた。

スタイルもメカも艶やかだったGT

生産性を考えながらも追求されたエレガントなフォルム
 ベレルの轍を踏まないために、ベレットのデザインは生産性もよく考えて進められた。その甲斐あって、完成したデザインはスポーティでありながら無理なく造れ、市場でも好評を得る。
 ボディサイドのキャラクターラインを低い位置に走らせて、下半身の安定感を表現。一方、十分なウインドウ面積を取りつつ、ピラーを傾斜させてスピード感を出すなど、スポーティなディテールも随所に取り入れられていた。
 ’63年6月に発表され、11月に発売された4ドアセダンでは、ベンチシートとセパレートシート、コラムシフトとフロアシフトが選べるなど、当時としては画期的なバリエーションも用意された。
 さらに’64年4月6日、国産車としては初めてGTを名乗る2ドアクーペ、ベレット1600GTを発表する。プリンス自動車が第2回日本GPの必勝マシンとして、スカイラインのボディに6気筒を押し込んだGTの市販を発表する、その3日前のことだった。
 フロントにダブルウィッシュボーン、リヤにスイングアクスルの4輪独立サスを備え、いち早くラック&ピニオンのステアリングも採用したベレットは、セダンでもシャープな操縦性を誇った。それより車高の低いクーペボディに、88PSの1.6Lを積んだGTは、当時の国産車では随一のハンドリングを実現。「和製アルファロメオ」とも呼ばれている。
 GTはさらに’64年9月に、国産車初のディスクブレーキを装着。’66年にはファーストバックも加えるなど、毎年のように進化していく。その究極となったのが、’69年登場のGTRだ。117クーペ用に開発された自社製のDOHC1.6Lエンジンは、120PSを発揮。最高速は190km/hに達した。
 その後もベレットはGTRが’71年にGTタイプRに改称するなど、絶えず話題を発した。だが、’66年のサニー、カローラの登場で火がついた日本のモータリゼーションは、トラックと同列の悠長ないすゞの商品計画を許さなかった。
 サニーとカローラが’70年に2世代目になった後も、’73年までおよそ10年にわたって造り続けられたベレットを置き去りにして、時代は駆け抜けていった。

●主要諸元(ベレット2ドア1600GTR・’70年式)○全長×全幅×全高:4005mm×1495mm×1325mm○ホイールベース:2350mm ○トレッド(前/後):1260mm/1240mm ○車両重量:970kg ○乗車定員:4名 ○エンジン(G161W型):水冷直列4気筒DOHC1584cc ○気化器:SUキャブレター×2 ○最高出力:120PS/6400rpm ○最大トルク:14.5kg・m/5000rpm ○最高速度:190km/h ○最小回転半径:5.0m ○トランスミッション:前進4段オールシンクロ後進1段 ○サスペンション( 前/後):ウィッシュボーン式独立/ダイアゴナルリンク式独立 ○タイヤ:165HR13 ○価格(東海道統一価格):116.0万円

  • 回転計と速度計をドライバー正面に、水温計や燃料計など5つの計器やトグルスイッチをフェイシア下に配置した初期の1600GTは、レースカーを意識したデザインとなっている。

  • フロアチェンジのミッションはショートストローク。バケットシートはリクライニング式。2点式のシートベルトも装備されていた。

  • リヤシート乗員の乗り降りのため、前席は座面ごと前倒しすることができた。ウインドウ部までクッション素材で覆われる。

  • 1600GTのツインキャブOHVエンジン。アルミ製のシリンダーヘッドと2個の独立した可変式キャブレターを備え、最高出力88PSを誇った。

ベレットの挑戦。その魂を受け継ぎしもの

サーキットでも証明されたベレットをはじめとするいすゞの技術の高さ
 いすゞの技術力が当時の最先端レベルにあったことに、疑う余地はない。それは数々のレースでの戦績も証明している。
 登場当初から幾多のモータースポーツに参戦して優れたハンドリングを見せつけたベレットは、’64年の1600GTの登場後は多くのイベントで勝利を重ね、「ベレG」の名を不動のものにした。
 ’69年には、開発中のDOHCをチューニングしたエンジンを搭載するプロトタイプレーシングカー、ベレットGTXで鈴鹿12時間レースに参戦。スカイラインGT-Rなどの国産車勢のみならず、純レーシングカーのポルシェカレラ6を抑えての総合優勝もしている。
 同年の日本GPには、同エンジンをリヤミッドに搭載するグループ6スポーツプロトタイプレーシングカー、ベレットR6も参戦している。そのエンジンを搭載したベレットGTRが、生まれながらの悍馬としてファンの喝采を浴びたのも当然のことだろう。
 さらに多くの人の度肝を抜いたのが、ベレットMX1600だ。当時のグループ4カテゴリーでのレース参戦を目指し、ごく少数ながら市販前提で開発されたそれは、デ・トマソ・バンテーラを手がけたトム・ジャーダの手になる、正真正銘のミッドシップスーパーカーだった。
 MX1600は’69年と’70年の東京モーターショーに出展され、市販間近とまで報じられたが、結局、実現することはなかった。この時代になると、いすゞの乗用車事業は完全に行き詰まり、施行が決まった排ガス規制に対応する投資さえ、難しくなっていたのだ。
 いかに高度な技術を持ち、高性能なクルマを造ることができても、それを売る技術が伴わなければビジネスにはならない。その厳しい現実を乗り越えるために、いすゞは’71年にGMと資本提携。ベレットの生産終了翌年の’74年、待望の後継車となるジェミニを送り出す。
 GMグループのオペルカデットをベースに、いすゞらしいトルクの太いエンジンを搭載したFR駆動のジェミニは、ふたたび欧州車テイストの走りでファンを喜ばせ、’79年にはDOHCエンジンのZZも加えて好評を得る。
 ただし、やはりその後も、技術に商売は追いつかなかった。紆余曲折の末、’02年にいすゞは乗用車事業から完全撤退。創業以来の姿であるトラックメーカーとして、世界で存在感を示す道を選ぶのだ。
 ちなみに、ベレットの生産台数は足掛け11年で17万台あまり。うちGT系が約1割。目の肥えたファンには愛された名車も、大衆に支持されたとは言い難かった。

  • ベレットMX1600(プロトタイプ)
    さらに市販に近づいたMX1600-2はボディがFRP製となり、エンジンも117クーペに載る140馬力の1.6LのDOHC「EG161WE型」とされた。4本スポークのステアリングや7連メーターなどインテリアも完成度が高かったが、3台が試作されただけでついに生産は夢に終わってしまった。





    提供元:月刊自家用車

  • ベレットジェミニ
    ベレットの後継という立ち位置を明確にするため、ジェミニはデビューから約1年「ベレット・ジェミニ」を名乗っていた。日本車離れしたデザインに、ディーゼルやDOHCもラインナップ。1974年から’88年まで長きにわたって販売された。

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グーネットマガジン編集部

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