車の歴史
更新日:2025.12.27 / 掲載日:2025.12.27
70年の歴史を持つ日本の宝、トヨタ クラウンヒストリー【名車の生い立ち#21】

2025年の日本・カー・オブ・ザ・イヤー(COTY)では、トヨタ クラウン(エステート)がスバル フォレスター、ホンダ プレリュードに続いて3番目に得票数を獲得しました。惜しくもCOTY受賞には至りませんでしたが、クラウンは令和の時代でも高い評価を受けているのは間違いありません。そんなクラウンも誕生から70年という節目。今回は、日本のモータリゼーションを後押ししたトヨタ クラウンの歴史に迫ってみましょう。
▼あの歴史を振り返る「名車の生い立ち」記事一覧

- 国産乗用車の時代を切り拓いた初代クラウン
- より大きく豪華になった2代目(S40系)
- 幸せの象徴「白いクラウン」と呼ばれた3代目(S50系)
- 空力性能を意識した4代目、通称“クジラクラウン”(S60/70系)
- 最上級の「ロイヤルサルーン」を設定した5代目(S80/S90/S100系)
- 80年代に向けて先進技術を満載した6代目(S110系)
- 「いつかはクラウン」のキャッチコピーで売り出した7代目(S120系)
- バブル景気でより豪華に。ハイテク装備を満載した8代目(S130系)
- 90年代に突入、全車3ナンバー化でワイドになった9代目(S140系)
- フルモノコックボディを採用した10代目(S150系)
- ハードトップを廃止、エステートやアスリートを設定した11代目(S170系)
- そして21世紀へ。運転の楽しさを追求した12代目ゼロクラウン(S180系)
- エコカー需要に合わせてハイブリッドを設定した13代目(S200系)
- キーワードは「ReBORN」、伝統と革新を融合させた14代目(S210系)
- トヨタ初のコネクテッドカーとして登場した15代目(S220系)
- 未来に繋ぐニュージェネレーション。4タイプで展開された16代目(S30系)
国産乗用車の時代を切り拓いた初代クラウン

太平洋戦争終結からまもない1940年代後半から1950年代初頭、日本は戦後復興の最中にありました。この時代の日本車の多くは海外メーカーのノックダウン生産(部品を輸入し国内で組み立てを行うこと)が中心で、自動車の普及はまだ十分とはいえない状況でした。そんな時代、トヨタは1947年に「トヨペット SA型」を開発したものの、非力な動力性能や過酷なタクシー需要に適しておらず、当時それほど普及することなく生産を終えてしまいます。
1952年になると、トヨタはSA型の後継となる新型乗用車の開発をスタート。開発の基本方針は、明るく軽快なアメリカンスタイルとし、乗り心地と耐用性を確保しつつ、時速100kmに達する動力性能を持つこと。こうして開発が進められた新型乗用車は、1955年1月7日、東京虎ノ門にある東京トヨペットのショールームで世にお披露目されました。その名も「トヨペット クラウン」。これが今に続くクラウンの始まりとなったのです。

ボディサイズは全長4285mm、全幅1680mm、全高1520mm。現在のカローラよりもずっと小型のセダンですが、クロームメッキを多用した外観はこれ以上ない高級感あふれるものでした。前輪独立懸架(ダブルウィッシュボーン)を採用した乗用車専用シャシーを導入し、それは諸外国の高級セダン顔負けの高い完成度。当初搭載されたエンジンは1.5L 直4 OHVで、3速MTのほか「トヨグライド」と呼ばれる2速ATを日本の乗用車で初めて搭載されたことも特筆すべき点でしょう。1956年には、ロンドンから東京まで5万kmに及ぶドライブを敢行し、8カ月かけて走破。クラウンの信頼性を証明してみせたのです。
より大きく豪華になった2代目(S40系)

終戦から15年以上が経過した1960年代の日本は、高度経済成長の真っ盛りにありました。国産乗車の先駆けともいえるクラウンは、1962年10月にフルモデルチェンジ。この年は東京の人口が1000万人を超え、首都高速1号線(京橋~芝浦間)が開通するなど、好景気を誰もが実感する時代でした。

2代目クラウンはボディサイズを拡大し、全長は4610mmの伸びやかなフォルムが特徴。デザインは、フォード ファルコンを彷彿とさせるスポーティかつ豪華なものとなりました。また、初代では一部グレードの室内にあしらわれていた王冠ロゴが、2代目以降はクラウンを象徴するエンブレムとなってフロントグリルの中央に置かれたこともトピックです。
シャシーは、ラダーフレームからX型フレームに変更。X型にすることで室内空間が広くなり、乗用車としての快適性はさらに高まりました。エンジンは従来のR型を1.9Lにまで拡大し、最高出力は90馬力を発揮。高速道路の整備が整い始めたこともあり、高速ツーリングの性能もしっかりと確保され自動車の高速化の時代に対応していきました。
幸せの象徴「白いクラウン」と呼ばれた3代目(S50系)

1960年代の後半に入ると、一般家庭の自家用車の普及率は右肩上がりで伸びていきました。特に、1966年から1971年の5年間で自動車保有台数は約4倍に向上。これまでクラウンは公用車やタクシーのニーズが中心だったためボディカラーは黒が多かったのですが、1967年9月に発売された3代目には白のカラーが初めて設定されました。これは急速に普及した自家用車のニーズに応えたもので、幸せなハイライフの象徴として「白いクラウン」と呼ばれ、これまでのお堅いイメージを払拭したのが特徴です。
また、メカニズム面でも大きな進化を遂げます。先代はX型フレームのシャシーでしたが、3代目は日本車としては初となるペリメーターフレームを導入。このおかげでフロアが低く室内は広くなり快適性はさらにアップ。以降20年以上にわたり、クラウンはペリメーターフレームを採用することになります。翌年となる1968年には、このクラスでは珍しい2ドアハードトップも登場。全高は25mm低められたほか、全長も55mm短くなったことでスポーティさをアピール。ヘッドランプは角形2灯が採用され、新しいユーザー層を開拓していきました。
空力性能を意識した4代目、通称“クジラクラウン”(S60/70系)

戦後に目覚ましい発展を遂げ、先進国の仲間入りした1970年代の日本。お茶の間にはカラーテレビが普及し、国民の暮らしはどんどん豊かになっていきました。クルマもただ実用性一辺倒では売れなくなり、クルマそのものの魅力や個性が不可欠な時代に突入します。そんななか、1971年2月に登場したのが4代目クラウン。ブランド名の「トヨペット」表記が消え、車名はシンプルに「クラウン」となりました。

エクステリアは、フロントを絞り込んだスピンドルシェイプを採用し、その佇まいから“クジラクラウン”という愛称で呼ばれました。ちょうど同じタイミングにデビューした日産 セドリックもコークボトルラインを取り入れた2ドア/4ドアハードトップ車を設定。高級セダンも個性の時代と言わんばかりの挑戦的なモデルが立て続けにリリースされたのです。4代目クラウンの特徴は見た目だけではありません。新開発2.6L 直6エンジンを搭載した3ナンバー車も設定し、高級志向のユーザーニーズにもしっかりと応えました。
最上級の「ロイヤルサルーン」を設定した5代目(S80/S90/S100系)

奇抜なデザインが災いし、ライバルである日産 セドリックの後塵を拝したクジラクラウン。その苦い経験を活かし、クラウンらしい正統派な高級感をアピールしたのが1974年に登場した5代目です。流線型のフォルムから一転し、直線基調のデザインはユーザーから大好評。最上級グレードには「ロイヤルサルーン」を設定し、以降のクラウンの定番グレードとして継続採用されていきます。また、ボディタイプはこれまでの4ドアセダン、2ドアハードトップ、ワゴン、バンに加えて4ドアピラードハードトップも登場しました。

メカニズム面では、4輪ディスクブレーキ、パワーステアリング、世界初となるオーバードライブ付き4速ATなど、現代でも採用されるモダンな装備を充実化。エンジンは2.0L~2.6Lのガソリン、2.2Lのディーゼルなど幅広く設定し、法人から個人まで多くのユーザーに向けた商品展開を行いました。
80年代に向けて先進技術を満載した6代目(S110系)

高度経済成長も終焉を迎え、オイルショックに見舞われるなど時代が大きく揺れ動いた1970年代後半。そんななか、1979年9月に登場したのが6代目クラウン。開発テーマは「ゆとりと信頼性、静粛性に優れた室内、省資源」。先代モデルで熟成させた高級セダンのノウハウを活かしつつ、それをさらに発展させたのが特徴です。外観はより直線的なフォルムでまとめられ、フロントグリルは威厳を感じさせる力強いデザインとなりました。

1980年にはトヨタ初となるターボエンジン搭載車を追加したこともトピック。排気量を拡大することなくハイパワーを搾り出せるターボチャージャーは、この時代に流行したホットな先進メカでした。そのほか、電動ガラスサンルーフ、パワーシート、クルーズコンピューター、デジタルメーター、オートエアコンなどのハイテク機器を惜しみなく投入。新時代に相応しい技術を盛り込み、高級セダンの新しいベンチマークを築き上げたのです。
「いつかはクラウン」のキャッチコピーで売り出した7代目(S120系)

東京ディズニーランドの開園、ファミリーコンピューターの発売、中国自動車道が全線開通した1983年、クラウンはフルモデルチェンジを受けて7代目になりました。日本経済は右肩上がりで世の中はバブル景気の前夜。そんな好景気が追い風となり、クラウンはさらなる高級路線を突き進みます。キャッチコピーは「いつかはクラウン」。この世代から2ドアハードトップが廃止され、4ドアセダン/ハードトップ/ワゴン/バンのラインアップに。先代のスタイルを踏襲しつつ、クリスタルピラーと呼ばれるCピラーまわりの樹脂処理も大きな見どころです。

パワートレインは11種類もの多彩なバリエーションで展開されたほか、日本初となる4輪ESC(電子制御スタビリティコントロール)、マルチアジャスタブル・マイコンパワーシート、メモリー付きチルト&テレスコピックステアリングなど、数々の新技術を導入。さらに特別仕様車としてスポーティな「アスリート」が登場し、クラウンの歴史に新たな風が吹き込みました。
バブル景気でより豪華に。ハイテク装備を満載した8代目(S130系)

1980年代後半に入ると世の中は空前絶後の好景気に。いわゆるバブルの時代がやってきました。クルマの世界ではハイソカーブームが到来し、ここぞとばかりに豪華で高性能なモデルが次々と登場します。1987年9月には高級車の代名詞であるクラウンがモデルチェンジを受けて8代目に。外観はキープコンセプトで、従来型とよく似たデザインにまとめられました。4ドアハードトップには3ナンバーのワイドボディが用意され、メルセデスやBMWなどの輸入車にも負けないプレミアム性を身につけました。

パワートレインは、2.0Lから4.0Lが用意され、ガソリン/ディーゼルともに幅広く搭載。特に4.0L V8エンジンはセルシオに先行して搭載され、プレミアム志向のユーザーにアピール。そのほか、電子制御エアサスペンション、エレクトロマルチビジョン、運転席用ハンズフリー電話、トラクションコントロールなどのハイテク装備を満載し、時代のニーズにしっかりと応えました。8代目はバブル景気の追い風もあり、1990年にはクラウンでは過去最高の23万台の販売を記録。まさにクラウン黄金期がやってきたのです。
90年代に突入、全車3ナンバー化でワイドになった9代目(S140系)

バブル景気の終焉を迎えた1990年代の日本。世界でもソ連崩壊や湾岸戦争の勃発など激動の時代がやってきました。そんななか、クラウンは1991年10月にフルモデルチェンジを受けて9代目に。エクステリアは、角ばったデザインから丸みを帯びた若々しいスタイルに一新。全幅が1750mmとなり、全車3ナンバー化されたこともトピックです。また先代のV8モデルの後継として、モノコックボディを採用したクラウン マジェスタも登場しました。さらにスポーティ志向のユーザー向けに新グレード「ロイヤルツーリング」を設定。新時代に相応しいクラウンとして大胆なイメチェンが図られました。

パワートレインはラインアップが大幅に整理され、クラウンでは2.0L~3.0L、クラウンマジェスタには3.0L~4.0Lが搭載されました。「ロイヤルツーリング」にはクラウン初となる電子制御5速ATも導入し、より快適な走りを実現。しかし、先代と比べて押し出し感を抑えたデザインは高級車としては物足りなく、ライバルである日産 セドリックの後塵を拝する結果となってしまいました。
フルモノコックボディを採用した10代目(S150系)

1995年8月、通算10代目となるクラウンが発売されました。この世代の特徴は、なんといって全車にフルモノコックボディを採用したことが挙げられます。9代目ではクラウンマジェスタが先行してモノコックボディを採用しましたが、今回はクラウンロイヤルシリーズにも採用し、より近代的なボディ設計と軽快な走りを手に入れたのです。ボディタイプは、先代モデルはハードトップのみ(セダンは8代目のキャリーオーバー)でしたが、新型はハードトップに加えてセダンも一新。さらに、新しくなったクラウンセダンの派生車としてクラウンコンフォートも登場し、タクシー業界を主とした法人需要にも応えました。

エンジンは、可変吸気バルブシステム(VVT-i)を採用することで低燃費化を実現。また、衝突安全ボディ(GOA)、車両安定制御システム(VSC)の採用に加えて前席エアバッグの標準装備化、サイドエアバッグの導入などにより、クルマの安全性能が格段に高まったのも特徴といえます。
ハードトップを廃止、エステートやアスリートを設定した11代目(S170系)

20世紀も終わりに近づいた1999年9月、クラウンは11代目となりました。長らく設定されていたハードトップが廃止される一方、80年代に設定されていたステーションワゴンが「クラウンエステート」という名称で復活したのがトピックです。外観デザインはより存在感のあるフロントグリルを採用し、高級車らしい佇まいとなりました。

また、スポーティモデルとして「アスリート」も登場。こちらのトップグレード「アスリートV」には2.5L 直6ターボ(1JZ-GTE)を搭載し、最高出力は自主規制いっぱいの280馬力を発揮。海外の高性能セダンにも負けないハイパフォーマンスを手に入れました。さらに2001年8月のマイナーチェンジでは、マイルドハイブリッド(THS-M)を搭載したモデルも登場。高級セダンでは不得意の燃費性能をサポートしたことも話題となりました。
そして21世紀へ。運転の楽しさを追求した12代目ゼロクラウン(S180系)

21世紀を迎え、自動車業界も大きく変わろうとしていました。特に大きな出来事となったのは、ドイツのダイムラー・ベンツ社とアメリカのクライスラー社の合併。そのほか、多くの自動車メーカーやブランドが再編され、激動の時代を迎えました。そんな大変革がトヨタの高級モデル戦略にも訪れることになります。そんななか、2003年12月に登場したのが12代目クラウン。これまでのクラウンのユーザーといえば、シニアや法人が中心で若年層の割合はごくわずか。そんな状況を憂いたトヨタは、新型クラウンのコンセプトに大きくメスを入れました。そこで誕生したのが12代目、通称“ゼロクラウン”。新世代のNプラットフォームとスポーティで若々しいボディを採用し、大胆なイメチェンを図ったのです。

エンジンは、長らくクラウンに搭載されていた直6からV6へと変更。排気量は2.5L~3.5Lのガソリンモデルに集約され、5速または6速ATが組み合わされました。フロントがダブルウィッシュボーン、リアがマルチリンクとなったサスペンションも海外のライバルを見据えたもので、走りは以前とは比べ物にならないほど洗練されました。特に先代から導入されていたスポーツモデル「アスリート」は、それまでの退屈なイメージを払拭し、積極的に走りを楽しめるスポーツ性を獲得したのです。“脱おじさんセダン”戦略はユーザーの心を掴み、ゼロクラウンは大ヒットモデルとなりました。
エコカー需要に合わせてハイブリッドを設定した13代目(S200系)

2008年2月にはフルモデルチェンジを受けて13代目クラウンが登場しました。ちょうどこの頃、低燃費のエコカーのニーズが増えていった時代。プリウス開発で培ったノウハウを活かし、新型クラウンにもハイブリッドモデルを導入したのが大きな話題となりました。外観は、先代のゼロクラウンのイメージはそのままに、縦長のヘッドライトや前後のオーバーハングの延長でよりスポーティなスタイルとなったのが特徴です。

パワートレインは2.5L~3.5Lのガソリン、そして前述の3.5L+モーター(ハイブリッド)を設定。ボディタイプは従来と同じくセダンのみですが、ロイヤル、アスリート、ハイブリッドはそれぞれ内外装の意匠を変えることで幅広いユーザーに訴求しました。そのほか、ドライバーモニター付きプリクラッシュセーフティシステムを世界初搭載するなど、先進安全装備の充実もトピックといえます。
キーワードは「ReBORN」、伝統と革新を融合させた14代目(S210系)

2012年末、クラウンは14代目に進化。その前年には未曾有の巨大地震、東日本大震災に見舞われ、日本は大きな混乱に陥りました。かつてない逆境のなか、2009年からトヨタの社長に就任していた豊田章男氏は自社のクルマの変革を実施。「日本に元気な笑顔を取り戻したい」という願いを込め、新型クラウンを「ReBORN」=生まれ変わらせたのです。具体的には、躍動感のある外観の採用、落ち着いた室内デザインに大型ディスプレイを組み合わせることで伝統と革新を融合させるなど、クルマとしての魅力を大きく高めたのが特徴。

パワートレインは、アスリート以外のモデルには3.5L車が廃止され、主力モデルは2.5L車に統一されました。アスリートの3.5L車は8速ATへと多段化され、パドルシフトを採用。より走りが楽しめる仕様に。また、2015年には2.0Lターボの「アスリートT」、「アスリートS-T」などを設定。そのほか、ピンクにペイントされた特別なクラウンを設定したことも大きな話題になりました。
トヨタ初のコネクテッドカーとして登場した15代目(S220系)

2017年10月の東京モーターショーで新世代の「クラウンコンセプト」が公開され、翌年6月に15代目となる新型クラウンが発表されました。ちょうどこの時代は、インターネットに常時接続してさまざまな情報をやり取りする「コネクテッドカー」の黎明期。クラウンはトヨタ初となるコネクテッドカーとして大々的にアピールされました。また、従来はロイヤルとアスリートで外観デザインが差別化されていましたが、この世代からそれらを統合。上級モデルのマジェスタ系も廃止されました。

プラットフォームはTNGAを採用。開発車両はドイツのニュルブルクリンク北コースに持ち込まれ、走りの性能を徹底的にを鍛え上げました。サスペンションは、初代から連綿と続いてきたフロントのダブルウィッシュボーンが廃止され、前後ともにマルチリンク式に変更。さらに予防安全パッケージは第2世代の「トヨタセーフティセンス」に進化し、夜間歩行者や昼間自転車のプリクラッシュセーフティ機能を設定。より安全になったことも見どころです。
未来に繋ぐニュージェネレーション。4タイプで展開された16代目(S30系)

ここ最近のクラウンは世代変更のたびに大きな進化を遂げてきました。しかし、現行型となる16代目はさらなる躍進を見せます。2022年7月、新型クラウンはオンライン上でワールドプレミアを実施。そこには、ずらりと4台の新生クラウンが並べられていました。まず先陣を切ったのが、主力モデルのクラウンクロスオーバー。こちらはセダンにSUVテイストを加えた新しいモデルで、クーペのような流麗なフォルムが目を惹きます。

パワートレインは、2.4L 直4ターボと最新の電動パワートレイン「eAxle」、新開発バイポーラ型ニッケル水素電池を組み合わせたデュアルブーストハイブリッドを初採用。このほか、2.5Lのシリーズパラレルハイブリッドシステムも設定されました。室内は、大径タイヤの採用で高いヒップポイントが特徴となっており、見晴らしがよく乗り降りしやすいことも特徴。TNGAプラットフォームによる軽量かつ高剛性ボディと新開発リアマルチリンク式サスペンションは、より快適な走りを実現しました。

その後、SUVのクラウンスポーツ、クラウンセダン、そして2025年にはクラウンエステートも発売に至り、多彩なバリエーションで展開されたのです。1955年から70年、時代に合わせて進化を続けた純国産車のトヨタ クラウン。高級車という保守的なカテゴリーでありながら、時代のニーズには柔軟に対応してきたのは、トヨタの車づくりの底力といってもいいかもしれません。これから50年、100年と続く自動車の歩みに、未来のクラウンはどのように姿形を変えていくのか楽しみでなりません。
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ライタープロフィール
1977年の中古車情報誌GOOの創刊以来、中古車関連記事・最新ニュース・人気車の試乗インプレなど様々な記事を制作している、中古車に関してのプロ集団です。
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