車の歴史
更新日:2025.05.02 / 掲載日:2025.05.02
80からA4、A5へ進化を続けるアウディミドルクラスヒストリー【名車の生い立ち#13】

ここ最近、SUVのQシリーズや電気自動車のe-tronなど、ニューモデルラッシュが続いているアウディ。そんな同社から新型アウディA5が発表されました。それまでA5といえばクーペやカブリオレでしたが、ネーミングの再編でA4(セダン/ワゴン)の後継モデルとして生まれ変わったのです。そこで今回は、アウディのミドルクラスを担ってきたA4の歴史を紐解いてみましょう。
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眠れる名門アウディブランドの復活

アウディA4を語る前に、その前身となったアウディ80についてお話しなくてはなりません。時は1960年代にまで遡ります。今でこそアウディはドイツでも指折りのプレミアムブランドとして知られていますが、当時はアウトウニオンという自動車メーカーに属するブランド名のひとつでした。アウトウニオンは1932年、ホルヒ、アウディ、ヴァンダラー、DKWという4社が合併して結成された民族資本の自動車メーカーで、現在のアウディのブランドロゴ「フォーリングス」もこの4メーカーが由来となっています。しかし、戦後から60年代前半までアウディの名を冠した新型車はなく、当時は歴史に埋もれたブランドというイメージが強かったのです。

ところが1964年になると、アウトウニオンはフォルクスワーゲンの傘下に入り、門出を迎えることになりました。1965年9月のフランクフルトショーでアウディ72というセダンがデビューしたのです。長らく休眠していたアウディ車の復活でした。アウディ72はミドルサイズのベーシックなセダンですが、エンジンを縦置きする前輪駆動を採用したのが大きな特徴。このレイアウトは現在まで連綿と続くもので、以降のアウディの雛形となりました。その後、「72」をベースに「80」や「スーパー90」などの派生車もリリースされ、アウディブランド復活の狼煙が上がったのでした。なお、「72」から始まった一連の派生車はまとめてF103シリーズと呼ばれています。
看板モデル「アウディ80」がデビュー

アウディの復活は、まさに眠れる獅子を起こしたかのような快進撃を見せます。特に1968年秋に登場したアウディ100(現在のアウディA6)は北米市場開拓の主役となり、同社に大きな躍進をもたらしました。そして1972年、アウディ72シリーズ(F103)の後継モデルとなるアウディ80がデビュー(※アウディ72の派生車である80とは異なる)。1972年といえば、日本は高度経済成長の真っ只中で、日産 スカイライン(C110型、通称ケンメリ)が発表された年でもあります。F103時代の縦置きエンジン+FFレイアウトはそのままに、エンジンは1.3Lから1.6Lの直列4気筒を搭載。その走りは高く評価され、1973年には欧州カー・オブ・ザ・イヤーに輝きました。そして初代80は生産台数100万台を超える異例の大ヒットモデルとなったのです。
高性能4WD「アウディ クワトロ」の誕生

1978年、アウディ80がフルモデルチェンジして2代目(B2)となりました。パワートレインや駆動方式などはヒット作となった先代からのキャリーオーバー。ただし、安全性や快適な居住空間を確保するべく、ボディサイズはひと回り拡大されました。デザインを担当したのは、かのジョルジェット・ジウジアーロ。シンプルだけど飽きのこないルックスは、令和の視点から眺めても秀逸といえるでしょう。ボディタイプは2ドアまたは4ドアセダンを基本としつつ、ステーションワゴン(アバント)やクーペまで幅広く用意されました。

2代目80が好調な販売を見せるなか、1980年のジュネーブショーでは後世に語り継がれる1台のモデルが発表されたのです。その名は「アウディ クワトロ」。一見すると80のクーペですが、メカニズムにフルタイム4WDを搭載したのが大きな違い。エンジンはアウディ200から流用された2.2L 直列5気筒ターボを搭載し、最高出力は200馬力に達しました。現代とは異なり、4WDといえばクロカンなどのオフロード車というのが常識。当時は乗用車の4WDはまだ珍しい存在だったのです。それまでの常識を覆したアウディ クワトロはまさに革命児。その走りっぷりは豪快のひとことで、モータースポーツでも大いに活躍しました。1983年にはWRC参戦用のホモロゲーションマシン「クワトロスポーツ」も登場し、ラリーの世界でも名声を轟かしました。
最新テクノロジーを満載した新世代「80」

モータースポーツでも実績を残した「アウディ クワトロ」は、アウディにとって今後の方向性を決定づけるモデルとなりました。ここで培われた4WDシステム「クワトロ」は80を皮切りに、200、90、100と各モデルでも展開。同システムはアウディのアイデンティティとなり、現在でも多くのモデルに設定されるに至っています。1986年9月、アウディ80はフルモデルチェンジを受けて3代目(B3)に。その前年、社名は「アウディNSUアウトウニオンAG」から「アウディAG」に変更されたこともあり、3代目80は新時代のアウディを象徴する存在となりました。6ライトでショートデッキを持つプロポーション、プレーンなルックスながらも高品質さをアピールした新型80は、メルセデスやBMWにはないスマートさを持ち合わせ大ヒット。駆動方式はFFを基本としつつ、伝家の宝刀4WD(クワトロ)ももちろん設定されました。

90年代に入ると、プレミアムカーセグメントの勢力図に新しい風が吹き込みます。それは日系ブランドの台頭でした。北米市場にレクサス、インフィニティ、アキュラといった新勢力が参入し、アウディをはじめとする欧州ブランドも商品力の見直しや強化を迫られたのです。そこで同社はラインアップを大胆に整理し、80と100、そして最上級のV8の3モデルを軸に展開することになりました。これは現在のA4、A6、そしてA8となるものです。1991年には4代目の80(B4)が登場し、90年代アウディの看板モデルとして売り出されました。見た目は従来同様アクのないデザインながら、ホイールベースを伸ばして室内空間を拡大。また、新たに2.8L V6エンジンも追加され、プレミアムセダン/ワゴンらしいステータスと性能を獲得したのです。
ハイパフォーマンス市場への足がかりとなった「RS2アバント」

また、B4シリーズと呼ばれる4代目80には、とんでもない隠し球も用意されていました。それが1993年のフランクフルトショーで発表されたアウディ RS2 アバント。80アバントをベースに、2.2L 直5ターボ+4WDを搭載したこの特別なワゴンの開発には、なんとポルシェも参加したのです。足まわりはブレンボ社製ブレーキを採用し、サスペンションまわりも大幅強化。最高出力は315馬力という途方もないパフォーマスを絞り出しました。その走りはそこらのスポーツカーを置き去りにするほど。迫力あるフロントバンパーを含め、見た目も専用デザインとなっています。現在アウディスポーツ社が展開するハイパフォーマンスシリーズ「RS」シリーズはここから始まったのです。
「80」から「A4」へ。新時代ミドルクラスが登場

1994年、アウディ各車は新しいネーミングが与えられて再出発することになりました。前年にはメルセデス190はCクラスへと車名を一新するなど、この時代はプレミアムカーの価値が見直されていった頃。アウディもミドルクラスの80をA4に改称し、新時代に相応しい洗練されたデザインが与えられました。
フロントサスペンションには4リンク式を採用し、アーム類には軽量なアルミ合金を採用。これにより、80時代と比べて乗り心地が格段に向上し、メルセデスやBMWにも引けを取らない走りを獲得しました。また、運転席&助手席エアバッグはもちろん、年次改良を重ねることでサイドエアバッグなどの安全装備も充実化。パワートレインは1.8Lから2.6Lまで幅広く用意されましたが、1997年には2.7L V6ツインターボを搭載したS4も設定。さらにRS2アバントの後継となるハイパフォーマンスワゴン「RS4アバント」も登場しています。この世代以降、S4とRS4はA4ベースの高性能モデルとして展開されることになります。
より安全で快適になった2代目A4

21世紀が迫ると、世界の自動車メーカーは大きく再編されることになりました。特にドイツのダイムラー・ベンツとアメリカのクライスラーが合併するというニュースは、自動車業界に大きな衝撃を与えました。アウディの親会社であるフォルクスワーゲンも、イギリスの名門「ベントレー」、イタリアのスーパーカーブランド「ランボルギーニ」、さらにフランスの「ブガッティ」を次々と買収。多数のブランドを抱える巨大メーカーに成長していきました。
そんななか、2001年にアウディA4はフルモデルチェンジを受けて2代目(B6)が登場。初代A4のイメージを残しつつ、アウディらしい精緻なデザインは21世紀に相応しいものでした。特にCd値0.28という空力性能は、燃費性能にも貢献。リアサスペンションに新開発のトラペゾイダルリンクを採用し、上質な乗り心地を実現したのも見どころ。アウディ=高品質という印象は、2代目A4で確固たるものになったのです。

2004年には、3代目A4(B7)が本国デビュー。翌2005年から日本でも発売されました。最大の見どころは、なんといってもシングルフレームグリルの導入でしょう。これまでのアウディは、メルセデスやBMWと比べて大人しく目立たないデザインだったことは否めません。しかし、フロントに大きく開いたシングルフレームグリルは見るものに強いインパクトを与え、以降アウディブランドに共通する“顔”となっていきました。シャシーやルーフ部分は先代モデルから流用されたものの、スポーティさを高めた新型A4は世界的にも大好評。また、80時代で人気だったカブリオレ(日本未導入)も新たに設定され、A4シリーズは存在感をさらに高めていきます。
徹底的に走りを磨き上げた4代目A4

2007年のフランクフルトショーで、4代目となるアウディA4(B8)が発表されました。先代モデルは、従来からのビッグマイナーチェンジに留まるものだったのに対し、新型はプラットフォームも完全リニューアル。ホイールベースを160mm延長して前後重量配分を適正化したほか、アウディが得意とするアルミ素材をふんだんに用いることで大幅な軽量化を実現したのです。ちなみに、同時代のライバルだったメルセデス・ベンツ Cクラスも「アジリティ(=俊敏性)」をキーワードとして走りが強化されました。2000年代半ばのミドルクラスは、セダンやワゴンでもドライビングプレジャーが求められてきた時代で、アウディA4もそれに応えるべく走りが強化されたのでした。

また、この世代からクーペ/カブリオレには「A5」という独立した車名が与えられたことも大きなトピックです。A4の走りはそのままに、美しいボディを与えることでプレミアムクーペの市場も開拓していきました。80をベースとしたクーペから16年ぶりにミドルクラスのクーペが復活したこともあり、大きな話題に。なお、A4と同じくこちらにもRSバージョン(RS5)が設定され、ハイパフォーマンスなクーペとしても注目を集めることになったのです。
新世代プラットフォーム「MLB evo」で生まれ変わった5代目A4

2015年のフランクフルトショーでは、5代目A4(B9)が発表されました。この世代は、新しいモジュラープラットフォーム「MLB evo」を採用し、軽量化を推進。また、アウディプレセンスをはじめとする最新世代の安全技術も盛り込まれ、プレミアムセダン/ワゴンとして大きくステップアップしたのです。エクステリアは従来のイメージを踏襲しつつ、スポーティさを全面に押し出したもの。それでいながら、未来感のあるコックピットや最新のインフォテイメントを盛り込むことで、クルマとしての完成度が高まったのが見どころといえるでしょう。なお、クーペやカブリオレのA5シリーズ、高性能なS、RSシリーズも継続投入。幅広いニーズにしっかりと応えたことも見逃せません。
「A4」から「A5」へ。新たな時代を歩みはじめたアウディ

さて、ここまでアウディ80からA4の半世紀以上に及ぶ歴史を振り返ってみました。ミドルクラスのセダン/ワゴンとして成熟したアウディA4ですが、今年(2025年)に大きな変革が訪れたようです。次世代ミドルクラスは、車名が「A4」から「A5」に変更となりました。A5は、これまでクーペやカブリオレに与えられるネーミングでしたが、今後はセダン、ワゴンもA5を名乗ることに。これは、アウディの電気自動車は偶数、内燃機関車は奇数という法則になったのが理由です。現在はセダン、ワゴンのみのしかありませんが、今後クーペやカブリオレが追加されるかもしれません。いずれにせよ、内燃機関のミドルクラスはA5が統一呼称となったのです。
また、シャープなディテールだった先代から一転し、立体的で曲面的なエクステリアも見どころ。シングルフレームグリルは薄くなり、端正な顔立ちとなりました。ホイールベースの延長で室内が広くなり、デジタル化を推し進めたインテリアも新しいA5の特徴となっています。内燃機関ながらも48V電源を備えたMHEV plusシステムで燃費にも貢献。新時代に相応しい知見や技術が多数盛り込まれました。時代は違えど、新しい技術を先取りしてきた80、A4、そして新型A5。その先進的なモノづくりのDNAは今なお息づいているのです。