車の歴史
更新日:2024.09.20 / 掲載日:2024.09.20
カペラからアテンザ、マツダ6へ。マツダミドルクラスをプレイバック【名車の生い立ち#5】

マツダのミドルクラスセダン「マツダ6」が2024年4月に生産終了しました。初代アテンザから続く3代目のモデルとなったマツダ6は、国内で22万6437台(初代アテンザ~マツダ6までの全ボディタイプ累計)が販売され、街でも見かける機会が多いクルマです。今まで多くのセダンを生産してきたマツダですが、マツダ6の生産終了により、同社のセダンはマツダ3セダンのみとなりました。ミドルクラス以上はSUVが担うことになり、セダン市場の規模縮小に一抹の寂しさを感じている人も多いはず。そこで今回は、カペラから続いたマツダのミドルクラス(セダン/ワゴン)の歴史を紐解いてみましょう。
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ファミリアの上位モデルとして生まれた「風のカペラ」

高度経済成長期の日本は、文字通り活気に満ちた世情でした。その最たるは、1970年に開催された大阪万博。岡本太郎が手がけた万博のシンボル「太陽の塔」はあまりにも有名です。およそ半年にわたる開催で来場者は累計6400万人を超え、大盛況に終わりました。同時期、自動車メーカーがさまざまなニューモデルを投入した時代でもあり、この年に生まれたのがマツダ カペラでした。
1970年のマツダ乗用車のラインアップは、軽自動車のキャロル360、コンパクトなファミリーカーのファミリア、そしてフラッグシップのルーチェで構成されていました。カペラはファミリアとルーチェの間を埋めるミドルクラス市場に投入され、それが現代のマツダ6の直接的なルーツになるモデルなのです。キャッチコピーは「風のカペラ」。流麗でスタイリッシュなデザインは、トヨタや日産のような大手メーカーにはない艶やかな魅力を放っていました。初代カペラは4ドアセダンに加え、流麗なフォルムの2ドアクーペも設定。そしてクーペには、レシプロエンジンのほかにロータリーエンジン(12A型)が搭載されたのです。戦闘機を彷彿とさせるダイナミックなデザインに、ロータリーエンジンが繰り出す鋭い走りはたちまち世間の注目を集めました。この頃のマツダはロータリーの開発に力を入れており、すでにファミリアやルーチェにも採用されていました。カペラ ロータリークーペは最高出力120馬力を誇り、最高速度はなんと190km/hを達成。「風のカペラ」というキャッチコピーに相応しい、軽やかな走りを見せつけたのです。

日本の経済発展の裏側には深刻な環境問題もありました。1970年代は公害問題が取り立たされており、自動車メーカーはその対応に追われていたのです。特に燃費が悪いロータリーエンジンに逆風が吹いており、世間の風当たりは強い。それを受けて1974年に登場した2代目カペラは、翌年の排ガス規制に対応します。ロータリー搭載車は「カペラロータリーAP」として販売されました。APとは、「アンチ・ポリューション(公害対策)」の略。ロータリーはもちろん、レシプロエンジンもAP仕様となり、厳しい排ガス規制を乗り切ることができました。2代目カペラは初代のビッグマイナーチェンジといえる内容で、ボディやシャシーは初代と共通。しかし、フロントデザインはよりスタイリッシュな形状に変更され、スポーティかつ環境にもよいセダン/クーペとしてテコ入れがなされたのです。
グローバル化を目指し、品質を大幅に高めた3代目カペラ

1978年、カペラがフルモデルチェンジを受けて3代目に進化。この年は、日本テレビの『24時間テレビ「愛は地球を救う」』放映がスタート、新東京国際空港(成田空港)の開港、そしてインベーダーゲームが大流行。そんな時代に登場した3代目カペラは、グローバルに認められるファミリーカーをテーマに掲げ、質感が大幅に高められました。流線型のボディが特徴だった先代モデルから一転し、直線的でスマートなデザインに一新。ボンネットを可能な限り低くし、フロントグリルを傾斜させたスラントノーズを採用したことで、空力性能の指標となるCd値0.38を達成しました(ハードトップ車)。シャシーは初代から続く後輪駆動(FR)で、パワートレインは1.6Lから2.0Lと幅広く設定。そつのない走りと高い実用性は、ミドルクラスセダンとして不足のない仕上がりでした。走りの性能も高く評価され、欧州を中心とした海外市場でもカペラ(海外名:マツダ626)の名は知られていくことになったのです。
FF化を実現し、日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した4代目

1980年代に入ると、時代はまた大きく変わろうとしていました。高度経済成長が終わり、日本の産業はより活発化。特に自動車産業の躍進は目覚ましく、自動車の生産台数は世界でトップになりました。これを受けて自家用車の普及率もどんどん上がり、クルマは贅沢品ではなく必需品に。そんな時代背景のなか、1982年に登場したのが4代目カペラです。

1982年といえば、ソニーが世界初のCDプレイヤー「CDP-101」を発売したり、フジテレビ「森田一義アワー 笑っていいとも!」の放映が開始された年。新しくなったカペラは、駆動方式をそれまでの後輪駆動(FR)から前輪駆動(FF)に一新したのが話題となりました。当時のライバルだったトヨタ コロナや日産 ブルーバードに先駆け、いち早くFF化を目指したカペラは、広くて快適なキャビンを実現。パワートレインには「マグナム」と呼ばれる新開発エンジンが搭載され、大幅な軽量化を達成しました。またCMにはフランスの名優、アラン・ドロンを起用して話題に。80年代という新時代の風を吹かせた4代目カペラは、見事第3回日本カー・オブ・ザ・イヤーに輝きました。

カペラを皮切りに、80年代前半は乗用車にFF化の波が押し寄せます。プロペラシャフトを介して駆動するFRはコストや車両重量、そして室内空間が不利。乗用車のFF化は、もはや必然の流れでした。1987年に登場した5代目カペラも先代と同じくFFを採用し、エクステリアも正当進化しました。また走りの面でも革新的な技術が投入され、話題を集めたのです。それは、世界初となる車速感応式4WSを他メーカーに先駆けて導入したこと。4WSとは四輪操舵のことで、前輪も後輪も速度に応じた舵角を与えるシステム。これによりリニアな走行性能を獲得し、その走りは高く評価されました。また量産エンジンでは初のプレッシャーウェーブスーパーチャージャー付きディーゼルやフルタイム4WDといった新基軸も導入され、マツダらしい挑戦的なモデルとなったのです。そのほか、この世代からステーションワゴンのカペラカーゴも設定され、レジャー向けのニーズにもしっかり応えていきました。
無謀すぎ!? ブランド乱立と廃止が続いたマツダ激動の時代へ

80年代後半に入ると、日本は空前のバブル経済の時代へと突入していきます。景気は右肩上がりで、世の中はリッチなハイソカーが大人気。BMWやメルセデスのような高価な輸入車も飛ぶように売れる時代がやってきました。マツダもその波に乗るべく、1989年に販売網を国内5チャンネル体制に拡大したのです。具体的には「マツダ」、「アンフィニ」、「ユーノス」、「オートザム」、「オートラマ(日本フォード)」の5つで展開。各々のブランドで新型車が数多く投入され、以降5年間のあいだに25車種以上ものニューモデルが発売されました。

そんななか、1991年にはカペラに変わる後継車としてマツダ クロノスが登場。1970年から続いたカペラというビッグネームを捨て、全く新しいモデルとして発売されることになったのです。ライバル車の大型化を受け、クロノスもボディサイズを拡大。全長4695mm、全幅1770mm、全高1400mmの数値は、現在の視点からみても大きいと感じるもの。また従来のカペラから一転し、滑らかな曲線を多用した上品なデザインも注目されました。そして、前述の5チャンネル体制により、クロノスの兄弟車として「アンフィニ MS-6」、「ユーノス500」、「オートザム クレフ」、「フォード テルスター」、さらにはこれらをベースとしたクーペ「マツダ MX-6」や「フォード プローブ」も登場。クロノス兄弟として車種の拡充が図られました。しかし、消費者にブランドイメージが浸透しないままの拡大路線が仇となり、さらにバブル崩壊が重なったことで販売台数は一気に低迷。マツダは大打撃を受けてしまいました。

「クロノスの悲劇」を経て、カペラ復活!

カペラ後継車として投入されたクロノスでしたが、馴染みのないネーミングはあまり浸透せず、さらに兄弟車が多いことも相まって多くのユーザーが混乱。販売台数も思うように伸びず、マツダは乱発された車種の統合を迫られました。そんな「クロノスの悲劇」を経た1994年、クロノスと一時併売される形で6代目カペラが登場。3ナンバーのワイドボディが特徴だったクロノスに対し、新型カペラは5ナンバーサイズに抑えられ、ひとまわり小さなボディを採用。精悍なデザインのフロントフェイスをはじめ、引き締まったデザインは高く評価されました。また、リーズナブルな価格やマツダらしい軽快な走りも好評でしたが、1997年にフルモデルチェンジ。6代目カペラはわずか3年という短命モデルとなってしまったのです。時を同じくし、クロノス兄弟の多くも一代限りで消えていきました。

心機一転、1997年には7代目カペラがデビューしました。90年代は国産スポーツカーが大きなブームとなり、セダンにも付加価値としてスポーティさが求められた時代。特にスバル レガシィ、三菱 ギャラン、ホンダ アコードなどはスポーツグレードを設定し、スポーツカー顔負けの走りで名を馳せます。しかし、ここでマツダが送り出したのは昔ながらの手堅いセダンで、高性能なスポーツグレードも用意されませんでした。とはいえ新しいカペラの見た目は若々しく魅力的だったことも事実で、ドレスアップやホイール交換で映える隠れ美人のようなルックスが評価されました。しかし2000年代に入ると、強力なターボと4WDで走りをアピールしていたスバル レガシィやFRを売りにしていたトヨタ アルテッツァのようなライバル車の影に埋もれてしまい、カペラは平凡なセダンというイメージが増していきます。1970年から続いたカペラのネーミングは、2002年をもって消えることになりました。

「Zoom-Zoom」の世界観でブランド一新、マツダ アテンザが登場!

90年代から00年代前半にかけて、世界の自動車メーカーは再編を伴う激動の時代を迎えます。その大きな出来事のひとつは、1998年にメルセデスを擁するダイムラー社とアメリカのビッグスリーの一角クライスラーが統合され、ダイムラー・クライスラー社が誕生したこと。ドイツとアメリカのグローバル企業となったダイムラー・クライスラーは多数のブランドを抱え、トヨタやGMに対抗したのです。対する米フォードも、1999年にプレミアムブランドを統括するPAGを設立。同年フォードはボルボの乗用車部門を取得、翌年にはBMWからランドローバーを取得し、こちらも多国籍なブランド展開で対抗します。一方日産は、1999年にルノー傘下となり、カルロス・ゴーン氏のもとで再建への道を辿ります。自動車メーカーは生き残りをかけた群雄割拠の戦国時代へと突入していきました。

そんななか、マツダもブランド力を高めるべくラインアップの若返りを迫られます。その先駆けとなったのが、2002年に登場したニューモデル「アテンザ」。カペラの実質的な後継車でありながら、今までとは異なる新鮮なデザインは新生マツダを象徴するもので、「Zoom-Zoom」と呼ばれるブランドメッセージとともにミドルクラス市場へ投入されたのです。ボディタイプはセダン、ステーションワゴンに加え、スポーティなイメージを全面に押し出した5ドア(アテンザスポーツ)を設定。プラットフォームも一新され、上質でスポーティな走りは欧州車顔負けの実力を誇りました。なお海外市場では「マツダ6」と呼ばれ、海の向こうでも高評価。さらに2005年には、272馬力の2.3L直噴ターボ+6速MTを搭載した「マツダスピードアテンザ」も登場し、その走りっぷりは名だたる欧州車も顔負けでした。

2008年にはフルモデルチェンジを受けて2代目アテンザが登場。基本的にはキープコンセプトながらも、最高の高速ロングツアラーを目指してクラストップレベルの空力性能を実現するなど、全面的に進化させたのが見どころ。パワートレインは、MZRと呼ばれる2.5Lエンジンを設定し、動力性能をアップ。レーダークルーズコントロールやリアビークルモニタリングシステムなどの運転支援技術なども盛り込まれ、安全性と快適性を高めたのです。ただし、先代モデルに設定されたマツダスピードアテンザの設定は見送られました。
「魂動」デザインを採用してワンクラス上を目指した3代目アテンザ

2012年、アテンザはフルモデルチェンジを受けて3代目に進化しました。注目なのがその美しいデザイン。この頃マツダは新しいデザインコンセプトの「魂動(こどう)」を展開しており、初代CX-5に続いて新型アテンザにも導入されたのです。インテリアの質感も大きく引き上げられ、欧州プレミアムセダンにも負けない魅力を身につけました。また、パワートレインにはクリーンディーゼル「SKYACTIV-D 2.2」をはじめ、ガソリンの「SKYACTIV-G 2.0」と「SKYACTIV-G 2.0」を用意。特にミドルクラスセダンにクリーンディーゼルを搭載する国産車は少なく、マツダの独壇場といえるもの。走りはより上質に進化し、ワンランク上のプレミアムセダン/ワゴンとしてミドルクラス市場に投入されたのです。

度重なる改良で走りを熟成させたアテンザは、2019年のマイナーチェンジを機に、車名を「マツダ6」へと変更し、海外市場でのネーミングに統一しました。また、ほぼ同時期に弟分のマツダ アクセラは「マツダ3」に、コンパクトカーのデミオは「マツダ2」になっています。この改良では、新たに2.5Lガソリンターボの「SKYACTIV-G 2.5T」を導入したほか、「Gベクタリング コントロール プラス」を標準搭載することで走りを一段とアップ。その魅力がさらに引き上げられました。
さよならマツダ6、セダン市場の縮小でSUVに注力へ

カペラに始まり、アテンザ、マツダ6と続いたマツダのミドルクラスは、2024年4月、日本国内向けのマツダ6をもって生産終了に。一部海外市場では生産が続けられるものの、一時代を築き上げたマツダのミドルクラスの歴史はここで幕を閉じることになったのです。その要因は昨今のセダン市場の縮小。国内ではプリウスのような一部の人気車を除き、現在セダンは売れにくい時代。特にミドルクラスはどの国産メーカーも厳しい状況が続き、トヨタ カムリですら日本での販売が終了になったほどです。対照的にSUV市場は拡大していき、マツダもCXシリーズでフルラインアップを構築しています。セダンやワゴンからSUVへトレンドが変わったことが、マツダ6生産終了の大きな背景となっているのは間違いないでしょう。今年(2024年)、初代カペラの誕生から54年が経ちましたが、マツダのチャレンジングな「ものづくり精神」はCXシリーズに受け継がれ、今も連綿と続いているのです。