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故障・修理
更新日:2019.06.25 / 掲載日:2019.06.25

ロータリーエンジンの歴史

マツダが世界で初めて実用化に成功し、世界を驚かせた「ロータリーエンジン」。
そんなマツダ、日本の技術力の高さを世界に知らしめることになった、ロータリーエンジンの歴史について紹介していきます。

 現在の自動車エンジンの主流を占める、往復運動をするレシプロエンジンに対して、ローターの回転運動から動力を発生させる内燃機関。1950年代にドイツのフェリックス・バンケル氏によって考案された。

回転型内燃機関を夢見た人たち

ペリトロコイド曲線の原理。ギヤを回転させた時、アームの先端が描き出すラインがまゆ型のトロコイド曲線となる。

 ロータリーエンジンの歴史を語る時、フェリックス・バンケルから始められることが多い。たしかにフェリックス・バンケルは、吸入、圧縮、燃焼、排気というオットーサイクルに似た作動をしながら、往復運動のまったくない、回転運動から動力を導き出すという、今日のロータリーエンジンを実用化に導いたパイオニアであることには違いない。しかし、バンケル以前にも、回転型内燃機関の実用化を夢見た多くのエンジニアが存在した。
 ある円周上を、円が回転しながら回る時に、その円の回転中心からある距離を持った点が描く軌跡をトロコイド曲線という。バンケル型ロータリーエンジンの基本ともなっているが、それは140年も前に知られていた事実なのだという。回転運動から圧力を取り出す方法はオイルポンプや空気圧縮機で既に実用化され、回転型ピストン内燃エンジンも、様々な形状のものがアイディアとして考案された。
 ガスタービンも回転運動から直接力を取り出す方法の一つに挙げられる。世界初のガスタービン自動車は1950年に発表されたローバー・ジェットI型で、その後オースチン、クライスラー、フォード、GM、フィアットなどが開発競争を繰り広げた。ローバー社は1963年に、その実力を知らしめるためにローバーBRMをル・マン24時間レースにエキシビション出走させ、平均時速173.85km/hで4172.5を走り抜いた。総合でも8位に値する疾走ぶりだった。しかし、ガスタービンエンジンは、熱効率の問題、騒音、制御の難しさ、コスト高という、いくつもの問題を抱え、普及するには至らなかった。

ロータリーを実用化に近づけたバンケル

 ロータリーエンジンに関するマツダの広報資料によれば、フェリックス・バンケルは、タービンとレシプロエンジンの違いさえ理解していない17歳の時、自分の作ったクルマでコンサートに出かける夢を見た。集まった友人たちに、そのクルマのエンジンはタービンとレシプロの混血だと、誇らしげに告げたところで夢から覚めたという。このバンケルこそ、回転ピストン型内燃機関、ロータリーエンジンの実用化へのきっかけを創り出した人物なのだ。
 1924年、バンケルは研究所を設立し、主に回転体、摺動バルブのシーリングの研究を行い、コンプレッサーの気密シーリングの研究へと発展させる。この研究に関心を持ったのが、後にバンケルとロータリーエンジンを共同開発するドイツのモーターサイクルメーカー、NSUだった。NSUの実験部長ワルター・フレーデはバンケルのシール技術の中に回転ピストンエンジン実用化のヒントが隠されているのではないかと考え、同社の首脳に開発を提案する。
 1956年、開発の過程で一つの実験が行われた。トロコイド型ハウジングの中にローターを収めたスーパーチャージャーが製作され、NSUのモーターサイクル「フライング・ハンモック」に装着された。わずか50ccの小さなエンジンは、これによって13psに出力が高められ、アメリカのソルトレークで195.2km/hという高速記録を樹立した。
 バンケルとNSUは膨大な数のトロコイド型ハウジングと回転ピストンの組み合わせを研究し、まゆ型のハウジングと、3つの頂点を持つローターに行き当たる。この方式はDKM(Dreh Kolben Machine)といわれ、ローターはハウジグの2/3の速度で回転するが、ハウジングも回転するものだった。これが1957年の実験で回った1号機にあたる。
 しかし、この実験の結果、ハウジングを固定し、ローターだけを回転させることが有利であることがわかり、1958年、KKM(Kreis Kolben Machine)タイプが開発された。これが現在のロータリーエンジンのツールともいえるものなのだ。バンケルとNSUはその後も開発を続け、KKM 150W、KKM150L、KKM400、KKM500と、様々な排気量で実験を行った。
 当時、断片的な情報しか流されていなかったこれらのエンジンの全貌が明らかになったのは1960年のことだった。ミュンヘンのドイツ博物館でロータリーピストンエンジン・シンポジウムが開催され、1500人の聴衆の前で、バンケルとフレーデが、その詳細を公表したのだった。125ccの小排気量でありながら、最高出力は29ps/17000rpmと発表され、驚きの目をもって迎えられた。
 しかし、同時にウィークポイントもリポートされた。アペックスシールとハウジングは長い摺動をするために摩耗が激しい。ハウジング内面に波状痕を発生する。対摩耗性の高いアペックスシールを使用するとハウジングの摩耗は激しくなり、反対にハウジングの硬度を上げるとアペックスシールの摩耗は酷くなるというものだった。バンケルとNSUによって、自動車用エンジンとしてロータリーエンジンの可能性が示されたが、まだ実用化に至る段階ではなかった。

1961年、NSUから送られてきたKKM400型1ローターRE。400ccながら48.8ps/9000rpmを発生した。

マツダとロータリーエンジンの歴史

試作第1号のシングルローター・ロータリーエンジン。ハウジング内の摩耗痕が開発の大きな障害となった。

 バンケルとNSUの発表を契機に、多くのメーカーが技術提携を申し入れた。日本からもマツダ(東洋工業)、など34社にもおよんだが、もっとも熱心に提携交渉を進めたのはマツダだった。1961年に正式提携し、第1次技術研修団がNSUへ派遣された。そこでエンジニアたちが目の当たりにしたのは、既にNSUからリポートされていたハウジングの摩耗痕、すなわちチャターマークだった。これがロータリーエンジン実用化の前の大きな障害として立ちふさがることになる。
 NSUから単ローター400ccのKKM400型エンジンを取り寄せることから開発が始まった。これをベースにマツダは独自にテストエンジンを開発する。しかし、チャターマークから逃れることはできなかった。アペックスシールは最大揺動角28°で、軸速度7000rpmの時に、レシプロエンジンのピストン速度の2倍の37m/secでハウジング内を滑る。この異常な速度とアペックスシールの振動が摩耗を増幅させたのだった。
 振動を減衰させるために取られた手法がクロスホロー・アペックスシールだった。金属製のアペックスシールの内部に、直径2.5の穴が縦、横に入れられた。これによってハウジングの摩耗は抑えられ、連続300時間の高速運転が可能になった。しかし、このタイプは実用化されることなく、後に開発されたカーボンシールにその座を譲る。
 もう一つの難関はオイルシールだった。レシプロエンジン以上に広いシール面積を必要とするロータリーエンジンでは、完璧なシールが難しく、オイルが燃焼室に侵入し、消費量が増大した。しかし、これも日本ピストンリング、日本オイルシールとの共同開発で解決へと進む。

コスモ・スポーツに搭載された10A型RE

ローターREを搭載し、1967年 に登場したコスモ ・スポーツ

 大きな2つの難関を突破したマツダは実用化へ向けたエンジンの開発に入る。それが2つのローターを持った単室容積399ccのL8A型だった。1964年、これの発展型としてL10A型が開発される。クロスホロー・アペックスシールに代わり、それ以上の密閉性と対摩耗性を持ち、ハウジングへの攻撃性の低いカーボンアペックスシール、クロームメッキを施したハウジング、各ローター当たり2本の点火プラグなどが採用されたが、L8A型との一番の相違は吸気方式だった。
 L8A型は吸気、排気ポートを共に、トロコイドハウジング上に設けたペリフェラル方式だったが、オーバーラップにより、低回転時に排気が新気に混入するというウィークポントを抱えていた。これの改善のため、L10A型では吸気ポートのみサイドハウジングに設けるサイドポート式に替えられた。一方、本家であるNSUでは1963年のフランクフルト・モーターショーで、50psの1ローターエンジンを搭載したNSUスパイダーを公開した。

ファミリアロータリーに搭載された10A型 ロータリーエンジン
主力エンジンとしてサバンナRX-7やカペラ、ルーチェ、コスモなどに搭載された12A型。

 LA10型エンジンは60台のコスモ・スポーツ試作車に搭載され、延べ60万を走行し、生産に向けてデータを収集していった。1964年のモーターショーにはこの試作車が展示され、同時に2ローターと1ローターエンジンの単体も展示され、注目を浴びる。LA10型エンジンは、1000時間連続最高回転運転に耐える、というハードルを課せられ、改良が進められた。
 特殊な方法でアルミを浸み込ませた高強度カーボンで作られたアペックスシールの採用は、10万の走行でも、摩耗が0.8に抑えられ、しかもチャターマークが認められないという好結果をもたらした。1967年、このエンジンは10A型と名前を改め、コスモ・スポーツに搭載され、市販が開始された。10A型は単室の容積が491cc、7000rpmで110psを発生。最大トルクは3500rpmで13.3kg・mで、レシプロエンジンを上回るパフォーマンスを発揮した。本家NSUは依然1ローターの開発のみにとどまり、2ローターの市販車は世界初だった。

進化を続けたロータリーエンジンの歴史

 コスモ・スポーツに続き、マツダからは続々とロータリーエンジン搭載車が発表された。1968年にはファミリア・ロータリークーペ、1970年にカペラ・ロータリー、1971年にサバンナ、1975年にはコスモAPが市場に送り出された。初期に開発された10A型エンジンの他に、それを573cc×2に拡大した12A型、654cc×2に拡大した13B型が、車両の性格に合わせて使い分けられた。2002年に生産を休止したRX-7にも13B型が搭載されたが、形式名が同じというだけで、この間に大きな改良が加えられている。
 最初の改良はマスキー法に対応するための公害対策で、排ガス中の、主にHCを低減するためのサーマルリアクター(熱反応器)が加えられた。1981年の改良では、12A型に6ポートインダクションが採用された。サイド吸気はローターの両側に吸気ポートが設けられる。中央部のポートをプライマリーポート、外側のポートをセカンダリーポートというが、この改良ではセカンダリーポート側に、制御バルブで開閉する補助ポートが設けられた。
 これによって一つのローターが3カ所の吸気ポートを持つことになった。補助ポートの制御バルブは排気の圧力によって作動するアクチュエーターによって開閉されるが、低回転域では閉じられ、高回転域では開かれる。これによって回転全域でのドライバビリティ、燃費を向上させた。

ツインスクロールターボを装着し185psに高められた13B型RE。サバンナRX-7の他、ルーチェにも搭載された。


 1982年には12A型にターボチャージャーが装着された。1985年には2代目のサバンナRX-7が登場するが、それに搭載された13B型にはツインスクロールターボが装着された。ターボエンジンの弱点であるターボラグを解消することと、低、中回転域での過給効果を高めるためのシステムで、排気をタービンに導く通路スクロールを2分割し、低、中回転では一方を閉じ、高回転域では両方を開くというものだった。1989年には、独立したタービンスクロールを持つツインインディペンデント・スクロールへと進化する。
 最初に電子制御燃料噴射装置が採り入れられたのはターボ仕様となった12A型で、インジェクターは1本だったが、13B型ではプライマリーとセカンダリーの2本のインジェクターを持つデュアルインジェクター型に進化する。軽負荷域では、プライマリー吸入ポートの直前に設けられたプライマリーインジェクターから燃料が噴射され、高負荷域ではこれに加え、セカンダリー側の吸気管に設けられたセカンダリーインジェクターからの燃料も加えられた。 

ユーノスコスモに搭載された20B-REW。ル・マン参戦で得たノウハウをもとに開発された量産3ローターエンジン。

マルチローター・エンジンの開発

 ロータリーエンジンは、往復運動がないという特性から、2ローターでも、レシプロエンジンの6気筒に相当する滑らかな回転が可能だ。マツダはさらなる可能性を求めてマルチローターの開発に着手する。3ローターではV12にも匹敵するスムーズな回転が得られる。しかし、マルチローター化には一つのバリアがあった。

 2ローターでは、エキセントリックシャフトの両側からジャーナル部へローターを組み込むことができるが、3ローターでは、中央のセンタージャーナルへは組み込むことができない。レシプロエンジンではコンロッドの下端部を2分割して、クランクシャフトにセットした後にボルトで合体するというが方法が採られているが、ローターにセットされる固定ギヤを2分割するわけにはいかない。

 そこで採用されたのがテーパー継手エキセントリックシャフトだった。センタージャーナルとリヤジャーナルだけを一体に鍛造したエキセントリックシャフトに、まず、両側から2つのローターをセットする。次にフロント側のシャフトに別体のフロントジャナール部をかん合し、フロントローターをセットする。マルチローター化はこの手法によって実用化へと進む。

 2本のクランクシャフトをテーパーによって接合する手法は、1900年代の始めにレーシングエンジンで採用されていた。1913年のプジョーL3ではクランクシャフトの中央にローラーベアリングを入れるために2分割のクランクシャフトを使用せざるをえなかったし、1925年のブガッティ・タイプAも同様に、8気筒の長いクランクシャフトの中央にローラーベアリングを使うためにこの手法を採用していた。

 この3ローターはエアミックスインジェクター、ダイレクト潤滑、シーケンシャルツインターボなど、周辺のメカニズムを整えて20B-REW型として完成し、1990年、ユーノスコスモに搭載された。 

タービンブレードとハウジング間の隙間を最小にするアブレーダブルシールや、慣性マスの低減とハイフローを両立したウルトラハイフロータービンを採用し280馬力を達成した13B-REW。


 レースシーンにもマルチローターは登場する。13Gの開発記号を与えられた3ローターエンジンは1987年のル・マンでマツダ757Cを7位に入賞させる。1989年のル・マンでは4ローターの13J改が投入され、7位を獲得する。そして1991年。長いル・マンの歴史に書き加えなければならない出来事が起こった。4ローターR26B型エンジンを搭載した787Bは過酷な24時間の闘いを終え、トップでフィニッシュラインを通過したのだった。44年前、ローバーのガスタービン車がル・マンを走ったとはいえ、レシプロエンジン以外のエンジンを搭載したマシンが優勝したのはル・マンの歴史始まって以来のことだった。

1991年4ローターR26Bエンジンを搭載したマツダ787B。ル・マン参戦21年目にしてつかんだ栄冠である。

1991年、ル・マンで787Bを優勝に導いたR26B型4ローターRE。2ローターの13Bの4ローター化ということで、13×2で、26Bと呼称された。

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グーネットピット編集部

ライタープロフィール

グーネットピット編集部

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