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更新日:2026.06.26 / 掲載日:2026.06.26
EVの問題は「30分充電」ではなくなった【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】

文●池田直渡 写真●池田直渡、甲田岳生
EVは長距離が苦手である。長い間、それはEVを語る上での常識だった。実際、数年前までなら概ねその通りだったと思う。
今の読者には信じられないかもしれないが、つい数年前までEVの長距離移動はかなり覚悟のいる行為だった。条件の良い平地でも300kmそこそこ。冷暖房負荷が高く、上り勾配などであれば200kmくらいに低下することもあるほど航続距離は短く、それに対して高速道路の急速充電器は少なく、出力も低かった。長距離移動をしようと思えば充電計画を綿密に立てる必要があり、その結果、目的地によっては綱渡りな状況が発生し、行くことそのものを躊躇するケースも珍しくなかった。
ところが航続距離700kmを超え、補助金を利用すれば400万円代前半で購入できる車両群の登場で状況が変わった。それを実際に試してみるべく、トヨタbZ4Xツーリングで東京から長野県佐久市を経由し、さらに奥三河の下伊那郡売木村へ向かい、翌日は茶臼山高原から設楽、静岡を回って東京へ戻るという旅をしてみて、その認識は半分正しく、半分間違っていることを確認した。

まず率直に言えば、2026年現在の700km級EVは、もはや普通に長距離移動に使える。かつてのEVでは、昼食場所や宿泊場所の選択は常に充電計画優先だったことを思い起こせば、EVはようやく移動の自由を手に入れたとも言える。もちろんカタログ通り700km走るわけではない。今回も高速道路と山岳路(東京から長野は行程全体が登坂であることに留意されたい)をエコランなしで普通に走った実感では、実航続距離は概ねカタログ値の6割程度だった。
しかしそれでも400km前後は十分に視野に入る。かつてのEVが苦手としていた「東京から地方へ遊びに行く」という用途は、すでにかなり現実的なものになっている。実際、今回の旅も移動そのものに困る場面はほとんどなかった。少なくともこれら700kmクラブの車両であれば「EVだから長距離は無理」という時代ではなくなったと言って良いだろう。

ではEVの課題は解決したのか。筆者は全くそうは思わない。ただし問題のポイントが変わったのである。現在でもEVを語る際には、「ガソリンなら5分で済むのにEVは30分もかかる」という議論がよく出てくる。確かに数字だけ見ればその通りだ。しかし実際に長距離移動をしてみると、この比較は少し実態から外れている。例えば今回、高速道路での充電時間は概ね30分だった。その間にトイレへ行き、飲み物を買い、メールを確認し、写真データを整理する。同行者がいれば会話もするだろうし、昼食を取るケースもある。そうしているうちに30分は意外なほど早く過ぎる。もちろんガソリン車なら給油そのものは数分で終わる。しかし長距離ドライブでは人間の方が休憩を必要とする。結果としてサービスエリアで過ごす時間そのものは、実はそれほど変わらないのである。
ここだけ切り取ると、もっと条件的に厳しかった昔から頻繁に見かけてきたEV楽観論と同じ結論になる。700kmクラブ時代ともなれば尚更だ。「ほら見ろ、EVの充電時間なんて問題ではないじゃないか」。しかし筆者は今回の旅で、むしろ逆のことを感じるケースがあった。
問題は30分という時間そのものではなく、その30分の質なのである。例えば充電環境として日本でもトップクラスにある浜松サービスエリアの30分は確かに快適だった。飲食店があり、休憩スペースがあり、空調が効き、清潔なトイレがあり、なんならある程度のエンタメも用意されている。人が自然に滞在できる環境が整っている。コーヒーでも飲みながら待っていれば、充電時間はほとんど意識しない。

しかしこれが山間部の充電スポットだったらどうだろう。実際に今回、南信州(伊那谷・下伊那地域)のシーズンオフのスキー場で50kWの急速充電器を使うことになったが、苔が生えて座ることがためらわれるベンチがあるだけで、売店はおろか自動販売機もなければトイレすら閉鎖中という環境。熊が出てもおかしくはない。使えそうな設備は充電器と灰皿だけだった。今更喫煙者だけにメリットのある設備があったところで一般的なサービスにはならない。筆者は6月の梅雨時で雨天ではなかったからまだ良い方だったが、これが真夏の炎天下や真冬の寒風の中(ここはスキー場なので冬場は条件が変わるだろう)で、周囲に店もなく、座る場所もなく、ただクルマの中に退避して待つだけだとしたら。同じ30分でも体験価値はまるで違う。
建物からロックアウトされた気分というのは、やはりポジティブとは言えない。子供の頃悪さをして家から閉め出された経験は誰しもあると思うが、あれが罰として成立するのはそこに負の感情が生まれるからである。「尊厳のある人の居場所」を喪失すること。なんで高い買い物をしてまでそんな経験をしなくてはならないのか。そしておそらく充電場所の環境が大幅に整備改善されない限り、こういう体験は長距離移動の度に再三にわたって味わわされることになる。
しばしば見落とされるのは、充電時間の長さと充電体験の質は別問題だということである。現在のEV論には極端な楽観論と極端な悲観論の両方がある。悲観論は「30分も待たされるなんて使い物にならない」と言う。一方で楽観論は「もう何も問題ない」と言う。
しかし実際にはどちらも少し違う。700km級EVの登場によって、少なくとも長距離移動そのものはかなり現実的になった。だから悲観論は現状を十分に見ていない。しかし同時に、楽観論もまた現実を十分に見ていない。なぜなら快適な30分は自然発生しているわけではないからだ。問題がないことにされれば、そのための投資は永遠に生まれない。実は楽観論の方が、残されたEVの課題の解決には有害だとさえ思う。そんなことを言っていれば現状がOKとなって、改善のために投資する理由が消え失せる。誰だって投資より回収をしたいのだ。本当にそれでいいのか?
例えばサービスエリアの充電器が高出力化され、周辺施設が整備され、利用しやすい動線が確保されているのは、誰かが投資しているからである。利用者は結果だけを見るが、その背後には設備費も維持費も存在する。
そして全国を見渡せば、全ての高速道路の利用者から薄くインフラ・ランニングコストを徴収できる浜松サービスエリアのような環境ばかりではない。場所によっては依然として不便な充電スポットもあるし、快適性には大きな差があるし、投資原資がそもそも存在しない。

今回の南信州の充電スタンドは、スキー場に間借りしたもの。つまり本来のビジネスが別にあり、それは本質的には充電器とリンクしていない。道の駅への設置型もこのタイプ。充電器があることで本業の売り上げが増えても僅かだが出費だけは安定して発生する。こういうケースの充電器の方が、浜松SAのような恵まれた充電器より圧倒的に多い。そして快適な環境が用意できるのは恵まれた場所だけである。
つまり現在のEVを巡る本当の課題は、「30分は長いか短いか」という話ではなく、「その30分をどういう環境で過ごせるか」そしてその整備原資を確保できるかへと移りつつあるのである。
そしてこの瞬間、議論は車両性能論からインフラ論へと姿を変える。700km級EVの登場によって、クルマそのものの性能問題はかなり改善された。しかし快適な充電体験を全国へ広げようと思った瞬間、今度は設備投資や維持費の問題が浮上してくる。つまりEV普及の課題は、「航続距離を伸ばすこと」から「快適な充電環境をどう整備するか」へと移ったのである。
では、その快適さのコストは誰が負担するのだろうか。国か、自治体か、充電事業者か、自動車メーカーか、それとも利用者自身か。700km時代のEVを考える上で、次に向き合うべき論点はそこにあると思う。その議論は来週の後編で。