車の最新技術
更新日:2026.06.12 / 掲載日:2026.06.12

スバルの改革 見えてきた次世代生産ラインの正体【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】

文●池田直渡 写真●スバル、池田直渡

 SUBARU(以下スバル)が群馬県太田市の矢島工場で、生産技術改革の取り組みを公開した。

 以前からスバルがEVラインを作るという話がずいぶんと流れていたので、この発表を聞いて、多くの人は「いよいよスバルもEVシフトへ本格的に舵を切ったのか」と受け取るかもしれない。実際、今回公開されたラインは、BEV(バッテリーEV)とICE(内燃機関)車を同じラインで生産できる混流ラインであり、これまでスバルが進めてきたEV対応投資のひとつの到達点でもある。

 しかし現場を見て感じたのは、これは単なるEV工場ではないということだ。

矢島工場の既存施設を改修して作られたバッテリー組み立て工場。生産上の安全性を確保しながら、より幅広い人材が働けるよう工程やも設備に配慮した最新施設

 むしろスバルが作ろうとしているのは、「何が売れるかわからない時代」に対応するための究極のフレキシブル生産システムである。

 思い返せば、この数年で自動車業界を取り巻く環境は大きく変わった。一時は世界中で「EV専用工場こそ未来」という空気が支配的だった。ところが現実には、EV需要の伸びは当初予測より穏やかになり、メーカー各社はHEV(ハイブリッド車)、PHEV(プラグインハイブリッド車)、BEV、ICE車を並行して展開せざるを得なくなった。加えて米国の関税問題や為替変動、地域ごとの需要差などもあり、将来の需要予測はますます難しくなっている。

 そうした環境の中で、スバルが出した答えが「柔軟性」である。

 今回の説明会でスバルは、「混流ライン」と「ブリッジ生産」を中核に据えた生産改革を披露した。

 混流ラインとは、同じ生産ラインで異なる車種や異なるパワートレーン車を作る仕組みである。例えばBEVとICE車を同じラインで生産できれば、BEV専用工場を建設する必要がない。BEVの販売が想定より少なくても、設備が遊んでしまうリスクを抑えられる。反対に無人でフルオートのEV専用生産ラインなどを作ってしまえば、工場は高い稼働率を維持し続けなければ採算が合わなくなる。別にアクセル全開で300km/h出せるクルマを作っても良いが、30km/hでも走れなければ危な過ぎる。最高速か停止かの二択では困るのである。多品種を同時に作れることだけではなく、生産速度そのものを自在に変えられることもまた、フレキシブルの重要な意味なのである。

 これは現在の市場環境を考えれば極めて合理的な考え方だ。仮にBEV専用工場を建設したとしても、その工場をフル稼働させるだけの需要がなければ固定費負担が重くのしかかる。特にスバルのような年間販売台数100万台規模のメーカーにとって、巨大な専用設備への投資はリスクが大きい。

 だからこそスバルは、専用化ではなく柔軟化を選んだ。

 しかし今回の取材で興味深かったのは、スバルの混流ラインが一般的な混流ラインとは少し発想が違うことである。

 例えばトヨタやマツダなどが進める混流生産では、車両側の設計をできるだけ共通化し、生産設備が扱いやすいようにハードポイントを揃えていく考え方が取られる。と書くと少し誇張もあって、リアルにはアタッチメントなどによって調整する仕組みも取り入れられているのだが、大筋としては車両設計と生産技術が一体となって最適化が行われている。普通のメーカーは車両設計と生産技術が同じ会社の中にあるので、設計側へ要求を出せる。

 ところがスバルには少し特殊な事情がある。スバルはトヨタとのアライアンスの中で生産受託を行うことがある。かつてはカムリの受託生産なども行なっていたし、現在も共同開発車であるbZ4Xツーリングとトレイルシーカーの生産を担うが、当然ながらトヨタの商品設計に対して「スバルの生産ラインに合わせて設計を変えてください」とは言えない。

 そこでスバルが採った手法は、生産設備側を柔軟化することである。

 実際に工場内で見た車体ハンガーは、後ろのハードポイント支持点が油圧で可変長になっており、車種ごとに支持位置を変えられる構造になっていた。通常なら車両側を設備に合わせるところを、設備側が車両に合わせるのである。

車体後部を支持するハンガーの基部が油圧によって可変。これにより、異なるハードポイントを持つ車両に柔軟に対応する

 これは簡単そうに聞こえるが、実際にはかなり高度な技術だ。なぜなら異なる車種、異なる設計思想、異なる組立工程に対応しなければならないからだ。しかも将来どのような車種が入ってくるかも分からない。

 つまりスバルは、「車両設計側の協力を前提としないフレキシブル生産」に挑戦しているのである。その意味では、現在世界で進むフレキシブルラインの中でも、おそらく最先端レベルの柔軟性を実現していると言って良いだろう。

 もうひとつの重要な変更点がAGV(無人搬送車)の活用である。旧来の自動車工場では、ベルトコンベアが生産ラインの主役だった。だがベルトコンベアは一度設置するとレイアウト変更が難しい。モデルチェンジのたびに設備改修が必要になり、多額の投資が発生する。出来上がってから、あそこをこうすれば良かったと思っても、大げさに言えば取り返しがつかない。

AGV(Automated Guided Vehicle:搬送用ロボット)を活用したサブアッシーの組み込み。AGVは車体を吊るハンガーと速度を合わせながらサブアッシーをリフトする。治具の工夫によりBEVとICE車の混流を実現した

 それに対してAGVを使ったラインは、言わば「地面に根を生やさないライン」である。車体を載せたAGVが搬送そのものを担うため、ライン長の変更も工程追加も、従来のベルトコンベア方式に比べればはるかに容易になる。やり直しもローリスクだし、必要ならばメインラインとサブラインを自在につなぎ替えることさえできる。これは単なる省人化技術ではない。工場そのものを変化に強くする技術である。

 そして今回の改革を語る上で欠かせないのが「ブリッジ生産」だ。

 スバルは群馬の国内工場と米国インディアナ州のSIA(Subaru of Indiana Automotive)の双方に生産拠点を持つ。ブリッジ生産とは、同じ車種を日米どちらでも(ここでは日米だが、国内の別工場間のブリッジという考え方も当然ありうる)生産できるようにしておき、市場環境に応じて生産配分を変更する仕組みである。例えば関税が上がれば米国生産を増やす。為替が円安になれば日本生産を増やす。あるいは市場ごとの需要変化にも柔軟に対応できる。言い換えればこれは生産技術によるレジリエンス強化である。

「ブリッジ生産」により、国や工場をまたいで生産量を調整。需要に対して柔軟に対応する(スバル資料より)

 近年のスバル決算を見ると、米国依存度の高さゆえに関税や政治環境の変化が大きな経営リスクになっていた。米国の関税政策ひとつで利益が吹き飛ぶ時代である。今回の生産改革は、その弱点を少しずつ解消するための布石としても理解できる。興味深いのは、こうした改革がBEV開発を契機として生まれたことである。一時はBEV専用工場構想まで語られていたスバルだが、結果として手に入れた最大の成果はBEV専用ラインではなかった。混流ライン、AGV活用、ブリッジ生産という、パワートレーンの種類を問わず使える生産技術改革だったのである。

 何が売れるのか分からない。どの国が何を言い出すのか分からない。地政学的リスクもいつどこでどうなるかわからない。どの技術が主流になるのかも分からない。

 そんな不確実性の時代において重要なのは、未来を正確に予測することではない。現代ではVUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧さ)の時代と言われる。いずれにせよ重要なのは、予測が外れても対応できる仕組みを持つことだ。その対応がもっとも難しかったのが工場の設備だった。

 ホンダや日産を見てみれば、中国でクルマが売れなくなったと言っても、彼の国に作ってしまった工場は減価償却が終わるまで動かさなければならない。他の選択肢は投資の回収を諦めて減損処理を行い、損失を計上することである。お金を出して購入した設備の価値が簿価から落ちるので、当然経営陣は説明を求められ、場合によっては辞任に至るかもしれない。需要は一晩で消えることがあっても、工場は一晩では変えられない。工場は最重要戦力だが、状況が変わると弱みにもなる。そうしたリスクを可能な限りフレキシビリティで回避できるように準備しておくことこそ、今回の改革の骨子なのである。

 今回矢島工場で見たものは、まさにそのための工場だった。

 スバルが作ったのはEV工場ではない。

 時代の変化そのものに対応するための工場なのである。

 一時はEVシフトのための投資と見られていた改革だが、その本質はもっと普遍的だった。BEVでもHEVでもICEでも作れること。日本でも米国でも作れること。そして需要予測が外れても生き残れること。

 この効果は一朝一夕に数字へ現れるものではない。しかし10年単位で見れば、今回の改革はスバルの競争力を支える重要な資産になるはずだ。スバルが手に入れた最大の成果は、新しい工場ではない。「変化への適応力」そのものだったのである。

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池田直渡(いけだ なおと)

ライタープロフィール

池田直渡(いけだ なおと)

1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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