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更新日:2022.09.02 / 掲載日:2022.09.02

BEV普及の前提条件が大混乱中【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】

文●池田直渡 写真●日産

 ここしばらく、BEVマーケットを大きく左右しそうな話が二転三転している。

 ご多分に漏れずスタートはコロナ禍とウクライナ問題。それに米中対立である。欧州は電力問題がどんどん重篤化しており、この冬のエネルギー危機はほぼ確定。むしろどの程度広がるかを世界が固唾を呑んで見守っている状態だ。エネルギー価格全般なので、もちろんガソリンや軽油だって無傷ではないが、エネルギーの貯め置きが比較的向かないBEVは事態がさらに深刻である。

 寒冷地が多い欧州において、冬のエネルギー危機は死者が出かねない危機。その切迫度合いに鑑みれば、冬期のBEV充電規制程度のことは起きても不思議は無い。その時、人々の中でBEVのイメージがどうなるかはまだ予測のしようもない。誤解されているのだが、筆者はBEVの順当な普及を願う立場なので、ここで大幅なイメージダウンは避けて欲しいところ。

 いずれにせよ、欧州は向こう数年はエネルギー問題と付き合って行くしか無いし、加えて激しいインフレで経済停滞は避けられない。国単位でもEU単位でも難しい舵取りになるだろう。

 ついで中国はどうかと言えば、不動産バブルはすでに崩壊が始まっている。様々な意味で、景気の大失速はおそらくもう回避できないのだが、あとはどの程度のハードランディングになるかが焦点となる。これまでの様なBEV優遇政策を続ける政府の原資が続くかどうか。見通しはかなり厳しいと思った方が良い。

 さて、では米国はどうかと言えば、こちらも激しいインフレの最中である。ここでバイデン政権が繰り出したのが「インフレ抑制法」。クルマに関係あるところだけ言えば、BEVに対して、圧倒的にアメリカを優遇する規制を掛けた。

 中身を見ていこう。制度のキモとなるのは税控除で、要するに「条件を満たすクルマは課税を控除する」政策である。条件その1はアメリカ、カナダ、メキシコのいずれかで組み立てられたBEVに対して3750ドルの控除が受けられる。そしてさらに、そのBEVのバッテリーに使われる主要鉱物について、米国もしくは米国とFTAを結んだ地域で生産された原材料が40%以上使われている場合はさらに追加で3750ドルの控除が受けられる。満額なら7500ドルの控除が受けられることになる。

 これまで「〝環境に良い〟BEVであれば産地にかかわらずうけられていた」控除が、米国もしくは米国と紐付いた国々にお金を落としていなければ受けられなくなった。

 狙いは言うまでもない。中国製BEVが米国内に流れ込むことに対する防波堤である。まあ本来自由貿易の旗手である米国がやるべき政策ではないが、やむを得ない。というのも過去の記事<BYDの日本上陸の前に政治が考えるべきこと【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】>でも書いた通り、中国は長年WTOのルールの横紙破りを続けており、トランプ政権時代からそのアンフェアなやり方に米国は非難を繰り返してきた。「やめろ」と言われているうちに止めれば良かったのだが、限度を超えた。

 中国は、バッテリーに関して、国際ルールの逸脱を積み重ねて圧倒的に有利な状況を作り上げてしまった。事ここに至れば、いまさらフェアプレイにされてもアメリカに勝ち目はない。だから米国政府は、中国製のBEVを米国で売らせないという、極端に保護主義的なルールを策定した。

 これによって米国内にBEV産業を育成して、 国富を増やすことでインフレ退治を狙おうとしているわけだ。当然だが、中国の巻き添えで、欧州も割を食う形になった。加えて、日本と韓国はバッテリーにそれなりに強みを持つ立場であるにも関わらず、排除される側になる。

 これを見て、米国と同じく中国製BEVに侵食されることが分かっている欧州も保護主義的ルールを策定するかもしれない。

 そもそも、こういう新しいブロック経済が立ち上がる以前から、地産地消の流れも始まっていた。第1にコロナ禍と物流の混乱である。グローバルでコスト的適地を選んで部品を生産し、品質と価格競争力を兼ね備えたクルマを作るやり方が続けにくくなった。部品の調達がままならないからだ。そこで部品にも組立地での地産地消化が求められ始めた。いわゆる経済安保的要求である。

 加えて、BEVに限った話をすれば、バッテリーはそもそも生ものである。製造後、放置するのはよろしくない。すぐに車両に搭載し、可能であればすぐ納車して走って、使ってもらいたいわけだ。車両搭載前にせよ、搭載後にせよ充放電をしない状態は劣化の元になる。

 なので、これまで行われて来た船便で数ヶ月かけて運ぶのは、生産量的にどこかで集中的に作る以外に方法がなかったことによる苦渋の選択であり、可能であれば、地産地消、つまり売る地域、地元で作りたい。そういう潜在的ニーズに対して、米国のこの新しい法律が背中を押すので、米国内でのバッテリー生産とBEV生産を後押しする形になるのは間違い無い。ただし、だからと言って需要以上に売れるというわけではない。

 さて、こうして目まぐるしく変わる各国制度下で、BEVを巡る状況は刻一刻と変わっていくわけだ。今回の規制で言えば、車両組立はともかく、量的に極めて限られた原材料の調達規制は厳しすぎる。米国ならびに米国とFTAを結んでいる国の資源メーカーはいくらでも値段がつり上げられる。「農産物の自由化」で起きたことの逆回しなのだから当然だろう。米国の自動車メーカーはそれらの会社の指し値で買うしかないし、全量が賄えるとも考え難い。さらに言えば、米国内にバッテリー工場を持たず、おそらくは原材料供給からも疎外される欧州や日本のメーカーは、米国のBEVマーケットを事実上諦めることになりかねない。

 という記事を書いている最中の8月31日、トヨタは米国でのBEV用バッテリー生産を発表した。原材料については不明ながら、そこに手を挙げられる可能性は掴んだことになる。生産開始は2025年なので、米国のインフレ抑制法が発動後、3年ほどは指をくわえているしかないだろうが、そこからは仕掛けの打ちようが出て来る。さすが全方位に投資をしているだけあって、今回の政策変更に最も早く対応したと言えるだろう。

 さて、今回のインフレ抑制法によるBEV税額控除を総合的にどう見るべきだろうか? 米国の経済安保政策としては間違っていないかもしれないが、BEVの普及とは相容れない可能性が高い。それもこれも中国が国際ルールを破り続けた結果である。先の記事にも書いた通り、外務省では、WTOのルールの意義について、以下の様に説明している。「1930年代の不況後、世界経済のブロック化が進み各国が保護主義的貿易政策を設けたことが、第二次世界大戦の一因となったという反省から、1947年にガット(関税及び貿易に関する一般協定)が作成され、ガット体制が1948年に発足しました」。

 世界が平和で、活発な経済活動を続けるためには、ルールを破る無法者が極めて困った存在であるという点については、戦前も今も変わりは無いようだ。

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池田直渡(いけだ なおと)

ライタープロフィール

池田直渡(いけだ なおと)

1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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