車の最新技術
更新日:2021.11.22 / 掲載日:2021.04.09

日本がトヨタに見捨てられる日【池田直渡の5分でわかるクルマ経済 第1回】

文●池田直渡 写真●ユニット・コンパス、トヨタ、日本自動車工業会、マツダ

 トヨタは日本での自動車生産を止めてしまうかもしれない。自動車産業は60兆円。関連雇用550万人の日本経済の大黒柱である。これが消えた時、日本の経済は完全に立ちゆかなくなるだろう。

 何故そんな話になるかと言えば、菅内閣の打ち出した2050年までにカーボンニュートラルを達成するという世界一厳しい目標設定にある。環境問題という反論しにくい問題をベースに圧倒的な正義を盾にマウントを取っているこの話。まあ正直なところ、言いたいことは切り無くあるので、どう考えるかはこの後を読んだ皆様の判断にお任せする。

世界バッテリー戦争のいま【池田直渡の5分でわかるクルマ経済 第2回】

現実離れした「パリ協定2050目標」実現のために、日本は独自の罰則規定を設定しようとしている

「カーボンニュートラル」とは、社会、生産活動により排出されるCO2の量が、森林が光合成のために吸収するCO2と同量であることを示す

「カーボンニュートラル」とは、社会、生産活動により排出されるCO2の量が、森林が光合成のために吸収するCO2と同量であることを示す

 カーボンニュートラルの震源地は、誰もが耳にしたことのあるパリ協定だ。パリ協定には2030年の中期目標と、2050年の長期目標がある。分かり易く単純化すれば、現実を見つつ「死ぬ気で頑張ればできるかもしれない目標」が2030年目標なのだが、2050年目標は不可能を可能にしない限り達成できない。2013年の排出量から80%削減というもので、具体的数値を見れば、2013年のわが国のCO2排出量は約14億トンだから、約3.6億トンに削減せよということになる。

 これは経産省が「具体的な方策の未確立」と絶望するほどの目標で、最新技術どころか、まだ萌芽すらない未来技術に期待せざるを得ないプランである。2050年目標について、経産省が発表した2017年の報告書からその厳しさを抜粋してみる。

 「80%という大幅な削減を現状及び近い将来に導入が見通せる技術で実現すると仮定する。この場合、業務・家庭部門におけるオール電化又は水素利用、運輸部門におけるゼロエミッション車又はバイオマス燃料への転換、エネルギー転換部門における再生可能エネルギー・原子力・CCS(CO2回収・貯蔵)付火力による電力の100%非化石化等、エネルギー関連インフラを総入れ替えすることが必要となり得る。これは、巨額のコスト負担と、痛みを伴うエネルギー構造の大転換を意味する。外交、防衛、財政の健全化、社会保障、エネルギー安全保障といった他の重要政策を全うしながら、上記の負担を負い、構造転換を進めていくには、非常な困難が伴う」中略、「産業部門や農業部門の中には、製品や作物の生産に付随して排出される温室効果ガスがあり、2013年度には産業部門で約3.6億トン、農業部門で約0.4億トンの不可避の排出がある。このため、仮に業務・家庭・運輸・エネルギー転換部門をほぼゼロエミッション化できたとしても、80%削減という水準においては、農林水産業と2~3の産業しか国内に許容されないことになる」。

 今の生活を続けながらEV化すればクリーンな世の中になるなどという考え方がいかに甘いかがわかるだろう。ありとあらゆる新エネ技術を全部実現してさえ「農林水産業と2~3の産業しか国内に許容されない」。当然自動車産業はその経済規模ゆえ、絶対に許容されない。何より医療産業や教育産業など、最後の最後まで残さざるを得ない産業が優先されるのは当然だからでもある。

 でもそれは世界中一緒なのでは? という疑問は正しい。要するに出来ない目標なのだが、そんなことは議論の過程で十分わかっているので、パリ協定には罰則規定がない。つまりこれは「なったらいいな」的な理想論で、あくまでも目標を高く持ちましょうという話なのだ。ところが菅内閣はこの話を全部真に受けて、その大事なポイントに爆弾をしかけようとしている。世界中で日本だけ、これを法制化するという愚行へと邁進しているのだ。

 ここに昨年10月26日の菅首相の所信表明演説の抜粋を並べるとその浮き世離れした理解が見えると思う。

「もはや、温暖化への対応は経済成長の制約ではありません。積極的に温暖化対策を行うことが、産業構造や経済社会の変革をもたらし、大きな成長につながるという発想の転換が必要です」。

 経産省のレポートとの乖離は極めて大きい。

ものづくりの現場ではどうにもできない「電力」の質

2021年3月11日の日本自動車工業会記者会見にてスピーチを行う豊田章男会長(日本自動車工業会YouTubeより)

2021年3月11日の日本自動車工業会記者会見にてスピーチを行う豊田章男会長(日本自動車工業会YouTubeより)

 さらに悪い報せがある。今、欧州はCO2排出量の算定基準を現在のタンク to ホイールから、ライフサイクルアセスメント(LCA)へとあらためようとしている。こうなると日本は圧倒的に不利だ。東日本大震災以降、原発の多くが停止しており、日本のインフラ発電における化石燃料発電の割合は70%を超えている。ノルウェーやスウェーデンの化石燃料発電は限り無くゼロに近いし、原発大国のフランスは10%以下だ。
参照資料:自然エネルギー財団

 それが自動車メーカーにとってどういう意味を持つかについては、12月17日の日本自動車工業会の豊田章男会長が会見で次の様に述べている。

 「大きな電気を使っている事情を絡めて考えますと、例えば当社の例になってしまいますが、「ヤリス」というクルマを東北で作ってるのと、フランス工場で作るのは同じクルマだとしても、カーボンニュートラルで考えますと、フランスで作っているクルマの方がよいクルマってことになります。そうしますと、日本ではこのクルマは作れないということになってしまう」。

 つまり、パリ協定の無茶な2050年目標を真に受けたカーボンニュートラル規制が日本でのみ法制化されれば、日本では電力を使うありとあらゆるモノ作りに最悪な環境になるということだ。

ここがポイント!「タンク to ホイール」と「ライフサイクルアセスメント」の違いとは?

マツダでは、「ウェル to ホイール」でのCO2削減に向けた取り組みを行っている(図:マツダ)

マツダでは、「ウェル to ホイール」でのCO2削減に向けた取り組みを行っている(図:マツダ)

 ここでは、「タンク to ホイール」と「ライフサイクルアセスメント」の違いについて説明します。

 「タンク to ホイール」と「ライフサイクルアセスメント」は、どちらもCO2排出量の算出方法ですが、それぞれがカバーする領域が異なります。

 「タンク to ホイール」では、クルマの燃料タンクからタイヤを駆動するまでに排出されるCO2排出量を考えます。ですから、ガソリンエンジン車よりも、EVやPHEVはCO2排出量が少なく、「環境にいい」と判断することができます。

 一方で「ライフサイクルアセスメント」では、クルマ本体が排出するCO2に加えて、原材料を含めて車両を製造するために排出されるCO2、さらに廃棄やリサイクル時に排出するCO2も考慮します。

安易なCO2規制は日本のものづくりに取返しのつかない影響を与える懸念がある

トヨタ自動車 元町工場 組立生産ライン(写真:トヨタ)

トヨタ自動車 元町工場 組立生産ライン(写真:トヨタ)

 日本の自動車産業各社はいま、その現実を必死に訴えているが、政府はそれを理解しようとしないし、世論もまた冷ややかである。

 「環境意識が低いよね」程度の理解なのだ。何故自工会が特別に会見まで開いてこれを訴えているのか、ちゃんと考えた方が良い。自工会会長である豊田氏は日本の産業も雇用も支えたい。だから考え直して欲しいと訴えているのだ。それに聞く耳を持たないとすれば、トヨタのみならず、ほとんど全ての自動車メーカーは日本を出て行くしか選択肢がなくなる。

 本稿のタイトルには「トヨタが日本を見捨てる」と書いたのだが、その実態は「国が自動車産業を見捨てる」という方が正しいだろう。

今回のまとめ

・日本は独自でCO2排出削減のための法制化を目指している
・自動車産業の努力だけでは、カーボンニュートラルの実現は不可能
・CO2排出量の算定基準がLCAになると、日本はものづくりに不利
・カーボンニュートラル規制が実現すると日本の自動車産業は立ち行かなくなる

ライタープロフィール:池田直渡(いけだ なおと)

自動車ジャーナリストの池田直渡氏

自動車ジャーナリストの池田直渡氏

1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】は週刊連載です。次回のテーマは「世界で始まったバッテリー戦争」です。お楽しみに!

この記事はいかがでしたか?

気に入らない気に入った

池田直渡(いけだ なおと)

ライタープロフィール

池田直渡(いけだ なおと)

1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

この人の記事を読む

1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

この人の記事を読む

img_backTop ページトップに戻る

ȥURL򥳥ԡޤ