車の歴史
更新日:2018.10.22 / 掲載日:2017.11.30

名車探訪 スバル1000

「今までにないユニークなクルマを作れ」コードネーム63-A、スバル1000の開発はそんな号令の元に始まった。独創的なクルマには逆風も強い。苦労の末に実現した広い室内は、シンプルな内装を際立たせ、殺風景と揶揄される。技術者の理想を追求して採用された水平対向エンジンやインボードブレーキは、整備がしにくいとの不満がでる。カローラやサニーに比べ、販売的には決して成功とはいえなかったスバル1000。だがその挑戦は、その後の世界の自動車造りに大きな影響を与えることになる。

目指したのはスバル360に変わるハイウェイ時代の国民車

最初に販売するのは2ドアか4ドアかで迷っていたが、需要の多さが優先され4ドアセダンから順次発売。グレードはスタンダード(49.5万円)、デラックス(53.5万円)、スーパーデラックス(58.0万円)。

モータリゼーションが加速する中、スバルは小型車市場への進出を急ぐ。P-1すばる1500に続き始まったA-5プロジェクトでは、1L空冷水平対向エンジンを積む前輪駆動車が試作され、それがスバル1000へと受け継がれていった。

世界に通じる内容を備えてマイカー元年に発売された 技術者集団の渾身の小型車

 1966年を日本のマイカー元年とすることに、異を唱える人は少ないだろう。同年4月23日の日産サニーと、同年11月5日のトヨタカローラの発売が、日本の庶民のマイカー熱の起爆剤となったことは間違いない。
 しかし、自動車技術者やジャーナリストなどの専門家の目を惹いたのは、その2車の間となる5月に正式発表され、7月に全国での発売が開始されたもう一台の小型車、スバル1000だった。
 スバルの4輪市販車第一号は’58年に発売した360。富士重工業(現・スバル)は前身の航空機メーカー譲りの技術で広い室内や快適な乗り心地、必要十分な性能を実現。それ以前の軽自動車とは一線を画した、本格的なマイカー入門車として、日本の風景のひとつとなるほどのヒットとなった。
 しかし、それから8年の間に、’63年の名神高速一部開通を皮切りに、’64年の東京オリンピックを契機とした首都高速の建設、’67年の中央道調布~八王子間、’68年の東名高速用賀~厚木間の開通などを控え、一気に高速時代を迎えていた。日本の高度経済成長はピークに達しようとしており、それを支えるインフラや工業技術の面でも、いよいよ世界と肩を並べると期待されていたのだ。
 そんな中でスバル初の小型車として登場した1000は、日本初の水冷水平対向4気筒エンジンや、スムーズな前輪駆動などの高度な技術で、ひとクラス上の広さや高速時代にふさわしい性能を実現。世界に通じる小型車として、目の肥えたプロを唸らせた。
 スバル1000の開発を率いたのは、360と同じ百瀬晋六。戦時中は航空機エンジニアとして活躍し、戦後は日本初のモノコックリヤエンジンバスの開発なども手がけた彼は、’54年に試作した1.5Lの小型車、P-1や360の開発時と同様に、理想主義的な姿勢で1000を開発した。
 オースチンのノックダウン生産で得た技術や設備を使って作られたサニーや、クラウンやコロナ、パブリカなどの経験を経て生まれたカローラとは違い、スバルはまったくの白紙から設計され、志どおり、それまでの小型車にはない技術に挑戦していた。
 その新技術に注目したのは日本の専門家だけではなかった。イタリアの名門、アルファロメオも、スバル1000を参考にしたとしか思えないメカニズムを持つアルファスッドを後に送り出している。
 スバル1000は、名実共に世界に誇れる内容を持つ、画期的な小型車として歴史に名を残すにふさわしい一台だったのだ。

経営のプロが示した戦略は大メーカーと一線を画したユニークなクルマを作れ!

 航空機メーカーとしての活動を禁じられた戦後、スクーターのラビットやバスボディ、鉄道車両などに活路を見いだしていった富士重工業は、早くから小型車作りを志していた。スバルの車名を初めて名乗ったP-1がその起源だ。
 ただし、百瀬渾身のP-1は、銀行からの融資が得られず、量産・市販化は見送られてしまった。まだまだ経営の安定しなかった当時の富士重工業のメインバンクは、すでに自動車メーカーとして確固たる地位を築いていた日産と同じ銀行だった。彼らは、取引先の共食いを嫌ったのだ。
 ところが、そんな富士重工業の再挑戦にGOサインを出したのも、同じ銀行から’63年に送り込まれた経営陣だった。日本電信電話公社副総裁から転じた横田信夫社長と、銀行からやって来た大原栄一副社長のコンビが、販売を前提とした小型車の開発を命じたのだ。
 しかも、横田社長は「とにかくユニークなクルマを作れ」と指示。さらに百瀬に「一番必要なものは何か」と尋ねて「テストコースです」と即答されると、その建設費をふくめて300億円もの設備投資を決めたのだ。資本金50億円足らず、年間売上高367億円あまりの時代の300億である
 そうして、スバル1000の開発は始まり、その末期に完成したテストコースは、百瀬の願いどおり、世界に通じるスバルの走りを磨く原動力となった。
「ユニークなクルマ」とは、異能の技術者集団である富士重工業の強みを活かした、日産の商品ラインナップとは重ならない製品を意味したのだろう。それは今日のスバルのクルマ作りにもつながる、的確な判断でもあった。
 その一方で、’65年のモーターショーでの発表を決めながら、販売開始は’66年5月となった事実もまた、「大人の事情」を思わせる。銀行筋は日産が’66年春の発売を目指してサニーを開発していることを、当然知っていたはずだ。鳴り物入りで売り出されるサニーの前に、スバルが同クラス車を発売することが許されるはずはなかった。
 かくして、スバル1000は’65年10月に赤坂ヒルトンホテルで発表会を開き、直後の東京モーターショーに出展。さらに翌’66年5月に高輪プリンスホテルで正式発表会を開き、7月から全国発売という複雑な経緯を経て市場に出た。そして見事にサニーとカローラの販売合戦に吹き飛ばされた。
 オーソドックスだが優れた素性と廉価が武器のサニーや、わかりやすい高級感を表現したカローラと比べると、スバル1000の真価は庶民には通じなかったのだ。

半世紀の進化を積み重ねてスバル独創のメカニズムは世界が認める個性になった

軽自動車のスバル360でも実現させた4輪独立サスペンションは、スバル1000にも当然採用。前後ともに、スプリングにはトーションバーを使用してコンパクトに設計されていた。

 百瀬が率いる富士重工業の技術陣は、P-1ことスバル1500の市販化が頓挫した後も、ずっと小型車の研究を続けていた。
 ’61年には、P-1と同じ1.5Lながら、空冷の水平対向4気筒エンジンや、前輪駆動を採用した小型車の開発に着手。’63年には、試作車をほぼ完成させていた。社内ではA-5と呼ばれたその試作車が、1000の下敷きだ。
 ただし、その時点で1.5Lクラスには、手強いライバルが既に君臨していた。そこでひとクラス下に狙いを変え、A-4の呼称で開発計画を練り直す。新社長から小型車開発の下命が下ったのは、ちょうどそんな時期だった。
 とはいえ、A-5はまだまだ完成度が低く、未経験の前輪駆動も大舵角での発進でぎくしゃくするなど、難問が山積していた。すでに英国のミニやフランスのシトロエン、ドイツフォードのタウナスなど、前輪駆動の先例はあったが、それらもスバルが目指す理想像には至っていなかった。
 しかし、百瀬は困難に挑んだ。「長くて重いプロペラシャフトを使って室内空間も食われるFRは非合理的なメカ」と吼え、「FFのクセを消し去り、自然なステアリング特性を得るために、操舵軸をタイヤセンターと一致させよう。そのためにはインボードブレーキが必要だ」と、凝ったメカニズムを当然のように選択した。
 水冷化したエンジンは電動ファン付きのサブラジエター方式でファン損失を低減するとともに、当時の大衆車としては贅沢な、全車暖房付きを実現。スペアタイヤもボンネット内に収納し、上級車をしのぐ広い室内とトランクルームを確保した。発表直前に完成してスムーズな走りを実現した、伸縮可能な等速ジョイントは、その後の世界の前輪駆動車の標準となる。
 合理的で理想主義的なそのメカニズムのすべては、使い手のため。ところが、マイカー時代を迎えたばかりの当時のユーザーには、その高邁な思想や技術はオーバースペックだった。スバルは今も伝統となっている年次改良で、1.1Lのff-1、1.3Lの1300Gへと進化させ、ユーザーにわかりやすいスポーツ性も高めるが、サニーとカローラの人気に追いつくことはできなかった。
 それから半世紀。スバルの独創性は、日本でも世界でも認められている。高い理想から生まれたメカニズムは進化を重ね、シンメトリカルAWDという他に類を見ない個性に昇華。目の肥えた人々から名指しで選ばれる、プレミアムな価値となった。時代はようやく、スバルに追いついたのだ。



提供元:月刊自家用車

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グーネットマガジン編集部

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