輸入車
更新日:2026.09.04 / 掲載日:2026.09.04
フェラーリ天国への階段【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】

「もっと売りたい」と思った時に、やっていいことと悪いことは自動車メーカーによる。例えばポルシェはマカンの様なエントリーモデルを作ることができる。911よりずっと安く、実用性も高いSUVを商品群に加えることで、それまでポルシェに手が届かなかった新しい顧客を取り込める。しかしフェラーリはそういうことをしない。例えば500万円とか800万円のエントリーフェラーリを作り、「さあ、あなたも今日からフェラーリオーナー」とやれば、短期的にはかなりの台数が売れるかもしれない。けれどもフェラーリはそれをやらない。正確には「やらない」のではない。「できない」のだ。
そんなことをすれば、フェラーリというブランドの希少性が損なわれる。燦然と輝く跳ね馬のエンブレムの価値ごと下がってしまう。つまりフェラーリという会社には、顧客層を下へ広げるという、ごく普通の自動車会社が使える成長戦略が封じられている。では、果たしてその中でどうやって成長するのか。

そこで効いてくるのが顧客である。フェラーリは、この世のほぼすべてのクルマ好きが認める最高峰の自動車ブランドのひとつだ。当然ながら、その顧客リストも自動車業界最高峰と言っていい。何千万円、あるいは数億円のクルマを何台でも購入できる人たちが世界中にはいる。そしてフェラーリは、彼らが何を所有し、何を好み、どんなフェラーリとの付き合い方をしてきたのかを知っている。
ならば、フェラーリを買いたい予備軍をちまちまと探し出して新規顧客にするより、すでに長年にわたってフェラーリと付き合い、何台も持っている優良顧客に「もう一台いかがですか?」とやる方が、ビジネスとしてははるかに効率がいい。実際、フェラーリのアニューアルレポートによれば2024年に販売した新車の約81%は既存のフェラーリオーナー向けだったという。さらに同年、上得意のコレクター層が所有するフェラーリの平均台数は前年比で約11%増えた。驚異的にすごい数字である。
つまりフェラーリの成長とは、必ずしも顧客の数を増やすことではない。同じ顧客に2台目、3台目、4台目を買ってもらえばいい。ただし、ただ同じようなクルマを次々と売るわけではない。ここからがフェラーリ商法のすごいところである。
フェラーリには、顧客とメーカーとの関係の積算データが不文律として存在する。通常、多くのニューカマーは、V8のカタログモデルからエントリーする。乗り出し価格で4、5000万円ほど。我々庶民には夢にしてもポケットに余るが、それでもフェラーリワールドにおいてはエコノミークラスみたいなものだ。そこはまだ入口に過ぎないのだ。12気筒へ行けば、同じく7、8000万円。そこで終わりではなく、さらに特別な仕様、スペシャルモデル、限定車、レーシング系へと世界が多方面に広がっていく。
面白いのは、実は単純に値段が高くなっていくだけではないことだ。金さえ持っていれば、ある日突然すべてのフェラーリをどれでも好きに買えるわけではない。特別なモデルになればなるほど、それまでフェラーリとどう付き合ってきた顧客なのかが重要になってくる。だから顧客の側にも「レベル上げ」がある。

新しいモデルが出れば買う。中には「これは絶対欲しい」と思わないクルマもお付き合いで買っておく。そうやって関係を積み上げた先で、レベルの上昇に応じて、普通には買えないスペシャルなフェラーリへの扉が開いていく。実際フェラーリ自身も商品をそういう階層で考えている。かつての年次報告書には、通常のパーソナライゼーション、その上の「スペシャルイクイップメント」、「テーラーメイド」、そして頂点に「ワンオフ」を置いたピラミッドまでが掲載されている。ワンオフについてフェラーリ自身が「パーソナライゼーションとエクスクルーシビティの最高レベル」と説明しているのだから徹底している。
テーラーメイドだけでも、専任デザイナーと相談しながら、ほとんど無限に近い素材や仕様から自分の一台を仕立てる世界である。さらに顧客のためのワンメイクレース、「フェラーリチャレンジ」に参加している人だけに提供される仕様まである。つまりフェラーリのビジネスは「誰でも金を出せば同じメニューから選べます」という商売ではない。表立って公開されることのないレベルが一定に達した人だけに内密に開かれる多様な扉があるのである。

もちろん、これは客だけにレベル上げを要求する一方的なゲームでは成立しない。フェラーリのビジネスに付き合って何台も買ってくれる顧客に対して、フェラーリにも守るべき信義がある。跳ね馬のマークを付けて売ったクルマをアンダーバリューな存在にしてはいけない。供給を増やしすぎて希少性を失わせたり、ブランドを安売りして「フェラーリなんて小金持ちでも持っている」と囁かれたりすれば、長年築き上げてきた顧客との信義をフェラーリ自身が壊すことになる。ここで話は最初に戻る。だからフェラーリはマーケット拡大で下方へ行けないのだ。数を追って、安いモデルを出さないことと、既存顧客に次々とより特別な商品を提供することは、別々の戦略ではない。同じビジネスモデルの表と裏なのである。
そして階段を上るほど、顧客が手に入れるものはクルマだけではなくなっていく。フェラーリには先に触れたレース、サーキットイベント、特別な催しなど、顧客をフェラーリワールドの中へ深く取り込んでいく仕掛けがいくつもある。フェラーリ自身も「長期的な顧客関係」を成功の鍵と明記している。その極め付きが、自分だけのために作られるワンオフである。現在のおそらくは頂点にあたる「スペシャルプロジェクト」では、顧客自身の「夢のフェラーリ」のアイデアを本家フェラーリ・スタイリング・センターのデザイナーたちが実際に形にして、本当に世界に一台しかないフェラーリを作る。もちろん顧客自身もデザインや確認のプロセスに深く関わり、丁寧に時間をかけて開発される。「ぼくのかんがえたさいきょうのふぇらーり」が本当に作れる仕掛けがあるのである。
そんなクルマの最初のオーナーになれば、話はもう「高いクルマを買いました」という次元ではない。そのクルマが将来フェラーリ史を振り返る書籍や雑誌に掲載されれば、「このクルマは誰の発案で、誰のために作られたのか」というところまでが全て歴史になる。クルマを買った本人まで、フェラーリという長大な物語の登場人物になっていく。勲章みたいなものだと思えばわかりやすい。そして勲章なら、階級はたくさんあった方がいい。ひとつ手に入れれば、その上が欲しくなる。
ではビスポークデザインのワンオフまでたどり着いてしまった人に、フェラーリは次に何を用意するのだろう。そこから先は、われわれ庶民にはもう見えない世界だ。しかし、この会社の恐るべきところは、たぶんその先にも階段を作ろうとしているところなのだ。
最高峰の顧客との関係をひたすら上へ上へと伸ばしていく。そう考えると、フェラーリが売っている本当の商品はクルマだけではないのかもしれない。次の扉が開くこと。それ自体が商品なのだ。そしてその階段を上っていった先には、ただフェラーリを所有するのではなく、自分自身がフェラーリの歴史の一部になる世界が待っている。まさに「フェラーリ天国への階段」である。
文●池田直渡 写真●フェラーリ