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更新日:2026.05.15 / 掲載日:2026.05.15
「SDVで出遅れた日本」は、本当なのか?【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】

文●池田直渡 写真●トヨタ、池田直渡
ここ数年、自動車業界では「日本メーカーはソフトウェア競争に出遅れた」という話が繰り返されてきた。特にEVブームと並行して、「SDV(Software Defined Vehicle)」という言葉が広まり、OTA(Over-The-Air=無線通信によるソフトウェア更新機能)こそがクルマの価値を決める、といった極端な言説まで見聞きされるようになった。
だが、その議論には見落としがある。ソフトウェアだけでは、クルマは進化しないのである。当たり前だが、ソフトウェアは何らかのハードウェアを制御するためにある。どれだけ優れた制御プログラムであろうと、制御対象となるハード側の性能や構造に限界があれば、それ以上どうしようもない。
例えばスマートフォンがわかりやすい。iPhoneは毎年新型にアップデートされる。確かにiOSというソフトウェアはOTAで進化するが、それと並行して毎年新しいハードウェアが投入される。CPU性能、カメラ性能、センサー性能、バッテリー性能。ハード側の進歩があるからこそ、ソフトウェアの進化にも意味がある。つまり、本来ハードとソフトは両輪なのだ。ところが近年のSDV論では、まるでソフトウェアだけが価値を持つかのような議論が多かった。言うまでもないが現実のクルマづくりは、そんなに単純な話ではない。

ソフトとハードを同時に進化させることを、極めて実践的に示しているのが、トヨタのGRシリーズである。4月28日、筆者は富士スピードウェイを起点に開催された改良版のGRヤリスとGRカローラに試乗した。どちらも、乗ればはっきりわかるくらい進化していた。そしてそれは今年だけのことではないのだ。
とくにGRヤリスは、2020年にデビューした最初の20式を起点に、24式、25式、26式へと継続進化しており、特に24式では、別のクルマと言って良いくらいの大幅進化があった。

GRヤリスとGRカローラは、「モータースポーツを起点とするクルマづくり」の思想から生まれている。ラリーやスーパー耐久などの現場で走れば、当然課題が見つかる。もっと冷却性能が欲しい。もっと駆動配分をリヤ寄りにしたい。ステアフィールの変節点を無くしたい。限界域での扱いを落ち着かせたい。
トヨタがすごいのは、そうしたモータースポーツ現場で日々蓄積される知見を、毎年まとめて市販車へフィードバックしていることだ。だからこそ2020年に登場した20式から始まり、24式、25式、26式なのだ。競技に参加し続ける限り、改善点は終わることなく生まれ続ける。そしてそれらの改善点が、市販車へ反映されるルートができたということである。
これは市場での商品競争力としても非常に重要な変化である。従来の日本車は、基本的にマイナーチェンジまで大きく変わらないものだった。しかし現在のGRシリーズは違う。毎年、継続的に進化していく。そしてトヨタは今、その対象となるクルマを拡大しつつあるのだ。

もちろん、その進化は、ハードウェアだけではない。ソフトウェアも同時にアップデートされる。例えば制御ソフトを書き換えなければ、4WDの駆動力配分制御は改善できない。ステアリング系のボルトのフランジ剛性を見直すことで、ステアリングの支持剛性を改良し、フィールを向上させる。あるいは空力の改善で超高速域の操縦性を変える。ダートのような低速高負荷域での冷却のため、外気の流れを変える。ソフトかハードかではなく、聖域なきカイゼンこそがクルマを進化させていく。
ソフトウェアだけで価値が決まるなら、極論すれば家電メーカーでもクルマメーカーになれる。だが現実にはそうなっていない。あのアップルでさえ、進出を取りやめた。
実はトヨタは、GRだけでこうしたことをやっているわけではない。現在、トヨタでは、多くの量販車でも継続的アップデートを前提とした体制づくりを進めている。その象徴のひとつが、 「TOYOTA UPGRADE FACTORY/LEXUS UPGRADE FACTORY」だ。

従来、自動車は「買った時が完成品」だった。だがGRの「モータースポーツを起点としたクルマづくり」によって、それは毎年アップデートできるものへと変わった。それをきっかけに、GR以外のクルマも購入後に機能追加や性能改善を行う方向へ変わりつつある。
安全装備、マルチメディア機能、運転支援、各種制御。こうした部分を、販売後も進化させていく。しかも重要なのは、単なるソフト更新ではなく、必要に応じてハード側まで含めてアップデートするメニューを持っていることだ。これは自動車の歴史の中でもあまりなかった発想であり、新しい進化の形である。
そしてこれは、実は極めて日本的な強みでもある。そもそも、シャシーナンバーで特定されるユニークな個体が、どういう仕様になっているか、どういう部品との互換性があるかを把握し、それを前提に部品を供給し、整備が行えるメーカーはグローバルで見てもそんなに当たり前ではない。
しかも日本メーカーは昔から「現場で改善する」文化を持っている。トヨタ生産方式の「カイゼン」は有名だが、本質は「完成品を固定化しない」ことにある。問題を見つけたら直す。もっと良くできるなら変える。そして、それを継続する。GRは、その思想を現代のSDV時代に接続した存在とも言える。
思い返せば、日本メーカーはこれまでも「遅れている」と言われ続けてきた。「EVで遅れた」。「自動運転で遅れた」。「SDVで遅れた」。
確かに、派手さでは海外勢が先行して見える場面もある。しかし一方で、日本メーカーは「量産品質」「耐久性」「安全性」「現場改善」「緻密なトレーサビリティ」という、自動車産業の根幹部分を握り続けてきた。そして今、その強みが、ソフトウェア時代に再び意味を持ち始めている。
なぜなら、ハードとソフトを統合し、競技の世界で徹底的に鍛えて壊す。壊して得た知見を注ぎ込んで改善すること。そこまで含めて成立させて、初めてクルマづくりなのである。
GRヤリスとGRカローラの年次改良を見ていると、トヨタは単に速いスポーツカーを作っているのではないことがわかる。彼らは、「クルマを継続的に進化させる仕組み」そのものを作っているのだ。もしSDV時代の本質が「販売後も進化し続けるクルマ」にあるのだとすれば、日本は本当に出遅れているのだろうか。むしろ今、トヨタがやっていることこそ、「進化し続ける工業製品」としての自動車の新しい形なのかもしれない。