車の歴史
更新日:2021.01.18 / 掲載日:2021.01.17

国産エンジン歴史絵巻 TOYOTA 創業期~1940年代編

クルマは様々な部品の集合体だが、その中でも最も重要なのは、クルマの性能を大きく左右するエンジンではないだろうか? 第一回目となる今回は、トヨタの創業時から1940年代までのエンジンに注目してみたい。

初代A型(製造開始年:1935年)

 トヨタ初の量産エンジンとなる初代A型は、米国シボレーのストーブボルト・シックスの愛称を持つ直列6気筒OHVを再現するよう開発された。完全自社設計にこだわらず、シボレーのエンジンを手本としたのは、動弁機構が当時としては新しいOHV式であること、部品点数が比較的少ないこと、さらに当時の国内市場でも調達が容易なシボレー用部品と互換性を持たせることも理由とされた。1934年5月から8月の3か月間で500~600個のシリンダーブロックを潰し、最初の試作エンジンはなんとか完成したが、その出力はオリジナルの60PS前後に対して45PS前後と残念な数値だった。ただその後の改良過程で、菅式シリンダーヘッドと名付けた部品を採用した結果、シボレーオリジナルを超える最高出力65PSを達成している。

  • 【トヨタ AB型フェートン】

  • 【トヨダG1型トラック】

初代A型は、1936年にトヨタ初の乗用車として世に送り出されたトヨダAA型乗用車に搭載されたほか、AA型をベースに製造されたAB型フェートンや商用トラックのトヨダG1型トラックにも搭載されているエンジン。動弁機構は当時としては最新であった頭上弁式のOHVを採用。排気量の割には燃焼室が小さくなるコンパクトな設計も特徴の一つ。エアクリーナーはエンジン上に配置され、比較的熱の影響を受けにくい位置から空気を取り入れる。エンジンボンネットはセンターヒンジを中心にフードが左右に開く、当時のクルマに幅広く採用されていた方式だ。

設計と製造技術を学びながらエンジン開発の基礎を固める

 トヨタ自動車の歴史は、1933年に自動織機を開発・販売していた豊田自動織機に自動車部門が設置されたことから始まる。その責任者は創業者・豊田佐吉氏の息子の豊田喜一郎氏。当時の日本国内は、1923年に発生した関東大震災からの復興需要を狙って、GMやフォードなどの実績を持つ海外自動車メーカーが積極参入していた。そのため国内の自動車メーカーにとっては厳しい状況だったが、自動車の将来性に着目した喜一郎氏率いるトヨタは、第二の祖業として本格的な自動車開発・販売に着手することを決意したのだ。ただ、エンジン開発は自動車部設立以前より進められており、1929年ころには開発部門の原型となる研究室が社内に設けられていたという。
 自動車部の設立から2年、トヨタ初の量産エンジンとなる初代A型は、1935年に初代DA型バスに搭載され、1936年には乗用車として最初のモデルとなるトヨダAA型乗用車にも採用されている。当時のAA型乗用車のカタログによると、エンジンスペックは3389ccの水冷直列6気筒OHV(オーバーヘッドバルブ)で、最高出力は65PS/3000rpm、最大トルクは19.4kg・m/1800~2000rpmを発揮。比較的低い回転域でピークパワーに到達する特性だった。また当時としてはなかなかの性能を持ち、最高速度100km/hというも記録も達成している。この初代A型の基本構造はシボレーエンジンをお手本に設計されているが、商用車向けに開発された初代B型も基本構造は踏襲された。この2つのエンジンは多くの車両に採用されることになる。ちなみに自動車部はDA型バスとAA型乗用車の発売により事業化に目処が付いたことで、1937年には本体から独立分社化されて、正式にトヨタ自動車工業株式会社と名乗るようになった。
 その後、トヨタは日中戦争から太平洋戦争にかけての戦時体制に組み込まれたこともあり乗用車の製造は制限され、軍部向けの国産トラックの開発・製造でフル回転を強いられる。だが、その動きとは別に商工省からもコンパクトで経済的な乗用車の開発を期待された。そこでその要望に応えるべく、もう少し排気量を抑えたエンジンの開発も進められ、1940年には2253cc直列4気筒の初代C型を搭載する新日本号を発表。さらに戦後まもない1947年には、小排気量エンジンの初代S型が完成した。このエンジンは、995cc水冷直列4気筒で動弁機構はSV(サイドバルブ)を採用。最高出力は27PS/4000rpmと控えめなスペックに留まるが、戦後の物資不足の市場において高い生産性が評価され様々なモデルに採用されていった。

初代B型(製造開始年:1938年)

  • 【トヨタGB型トラック】

 シボレーエンジンを手本とする手法や排気量は初代A型と同じだが、クランクシャフトの改良と圧縮比を高めることで、トヨタGB型トラックの最高出力は75PSまで高められている。1950年代までトラックやバス、ランドクルーザーなどのトヨタ商用モデルに採用されている。

初代S型(製造開始年:1947年)

 戦後に開発された、トヨタとしては初の小排気量エンジン。995cc直列4気筒に動弁機構はシンプルな側弁式(SV=サイドバルブ)を採用。小型車を念頭においた生産性と整備性の高さを意識した設計が与えられている。ただ、小排気量かつ時代遅れになりつつあったSVゆえに、この時代の純国内設計エンジンとしては、最高に近い性能を持つとはいえ、最高出力は27PSと非力なスペックに留まる。この初代S型に合わせて発売されたトヨペットSA型小型乗用車が販売的には失敗となってしまった遠因の一つと言われている。

 トヨペットSA型小型乗用車を皮切りに、1950年代半ばのR型の登場まで、苦しい時期のトヨタを支えた。OHVに比べると旧態的なSVを採用したのは、燃料や資材が不足した戦後のモノ不足時代の影響がかなり大きい。また当時はエンジン構成部品の材質の品質も低く、整備の回数が多かった時代だった。それゆえエンジン内部の整備が容易な構造を持つこともSVを選んだ理由とされる。

初代F型(製造開始年:1949年)

 初代B型に対してシリンダーボア(内径)を広げることで排気量を拡大。基本構造は初代B型の発展改良型であり、直列6気筒OHVや腰下まわりなどは、戦前時代の技術がそのまま用いられている。堅牢さが評価され、ボンネットバスやトラックなどの商用車に採用されたほか、歴代ランドクルーザーのガソリン車にもF型は改良されながら、1990年代初頭のランドクルーザー80まで長く採用され続けた。

 運転席前にエンジンを配置するトヨタ ボンネットバスは、1950年代から60年代にかけて日本のあらゆる地域で活躍していた。愛知のトヨタ博物館で動体保存されている1961年式の車両のエンジンは、3878cc直列6気筒OHVで最高出力130PS/3600rpmを発揮。

  • 初代ランドクルーザーの途中で追加されて以来、ガソリンのF型は歴代モデルに採用され続けた。写真は1957年式のランドクルーザー(FJ25L型)。

  • 3878cc直列6気筒OHVで最高出力105PS/3200rpm、最大トルク27.0kg・m/2000rpmを発揮。

 1989年に発売されたランドクルーザー80系にはF型の最終進化系となる3F-E型が搭載されている。EFI化された現代的な燃料噴射機構を持つ3955cc直列6気筒OHVは、最高出力155PS/4200rpm、最大トルク29.5kg・m/2600rpmを発揮。

提供元:オートメカニック

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グーネットピット編集部

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車検・点検、オイル交換、修理・塗装・板金、パーツ持ち込み取り付けなどのメンテナンス記事を制作している、
自動車整備に関するプロ集団です。愛車の整備の仕方にお困りの方々の手助けになれればと考えています。

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