車の歴史
更新日:2019.03.26 / 掲載日:2019.03.26

月刊自家用車とニッポンのクルマ60年

岐路に立った日本のものづくり

 日経平均株価が史上最高値に到達した翌年の1990年に、日本の自動車販売台数は史上最高を記録している。その数、777万7665台。しかしこの年をピークに、のちにバブルと名付けられる空前の好景気は終焉を迎えた。急激な経済縮小で、自動車市場も激変。メーカーは合理化や合従連衡を進める一方、バブル時代に蓄えた技術で、次のニーズを掘り起こすべく新たな商品企画に邁進する。
 ユニークなメカニズムのミニバンに、新たな発想のSUV、画期的なパッケージの軽自動車。そしてこれまでの常識にとらわれない、21世紀を見据えた動力源。生き残りを懸けたそれらの試みの中から、世界の自動車市場で認められる傑作車も生まれた。
 以来、失われた10年、20年と言われる景気の長期低迷は続くが、この時代に苦しみながら絞り出した英知が、今日の日本の自動車産業を、ひいては日本の国力をも支えている。環境の変化は日本車に、ふたたび最先端への進化のきっかけを与えてくれたのだ。

●第30回読者人気投票結果
稀代の名車がずらり!(1993年2月号)
読者の一票がその年のグランプリカーを決める「国産乗用車人気投票」もついに30回目。時代にあわせてカテゴリー分けも変化し、この年は総合部門(グランプリ)を含め8つの部門のナンバーワンカーが選出されている。ちなみに総合部門第2位はセルシオ。その後にRX-7、NSX、パジェロ、ソアラ、アリスト、シビックが続いた。

●急伸する軽自動車の販売台数
1990年、軽自動車の規格は排気量660cc、全長3300mmに拡大。軽乗用の販売台数は前年に比べ3倍を超える爆発的な伸びを記録する。家族旅行や長距離ドライブも苦にならないスペースと走り。ビートやカプチーノなど趣味性の高いモデルも登場し、もはや軽は我慢のクルマではなくなった。

●長期購入テストNSX
当時、編集部では毎年1台新車を購入し、1年間の長期テストを行なっている。1991年に選んだのがNSX。けれどそれまでのシルビアやスカイラインとは勝手が違うスーパーカー。人に見られるは、運転や駐車に気を使うはで気楽に使えず、走行距離は思ったほど伸びず……。

  • 複数のCDを格納、膨大な楽曲を自由自在に呼び出せるジュークボックス感覚が人気となったCDチェンジャー。低価格化やVICS渋滞情報の開始で普及が進むカーナビとともに大型カー用品店の売れ筋商品となった。

  • 大トルクと低燃費を謳うミラーサイクルエンジン搭載車がいよいよ登場。圧縮比に比べて膨張比を高めるこの理論はトヨタのアトキンソンサイクルも同じ。なお現行プリウス2ZR-FXE型もアトキンソンサイクルだ。



バブルの果実、ABC誕生

日本固有の規格で輸出台数はけっして多くない軽自動車に、相次いで本気のスポーツモデルが登場。価格は割高だし、ユーザーも限定されるピュアスポーツカー。その志を軽のサイズで実現したABCは、この時代だからこそ生まれた。

バブルが生んだ小さな本物

 1980年代の軽自動車市場は、1979年デビューのスズキアルトが先鞭をつけた、経済的な商用車規格のボンネットバンが牽引した。しかし、1989年の消費税導入で、物品税が免除される商用車規格のメリットは消滅。好景気と相まって、市場では軽自動車でも豪華で個性的な乗用車が求められるようになる。
 その頂点とも言えるのが、2人乗りのスポーツカーだ。1991年春に発売されたホンダビートは、8500回転まで回るNAエンジンをミッドに搭載。前年に誕生して話題となったNSXの弟分だ。同年秋に登場したスズキカプチーノは、軽初の4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションを備えた専用シャシーとツインカムターボエンジンを奢る、本格的なFRロードスター。
 そして1992年秋に登場したマツダオートザムAZ-1(OEM供給されるスズキ版の車名はキャラ)は、スズキから供給されるツインカムターボエンジンをミッドに積み、ガルウイングドアまで採用したマイクロスーパーカー。車名の頭文字を取ってABCトリオと呼ばれる、超個性派軽自動車が3台も発売されたのだ。
言うまでもなく、軽自動車は日本独自の規格。どれほど優れた出来栄えでも世界市場での量販は望めないし、いくら好景気の時代でも、スポーツカーは飛ぶように売れる車型ではない。にもかかわらず、贅沢な専用メカニズムを惜しげもなく盛り込み、軽自動車初の4輪ディスクブレーキなどを当たり前に装備する本格的な内容で、彼らは登場したのだった。
 その出来栄えは世界をも唸らせた。カプチーノは英国やドイツのディーラーからの引き合いで、小ロットながら海を渡ったし、ビートは、デザインもふくめてよく似たコンセプトのローバーMGFというフォロワーを出現させた。イタリアンスーパーカーのパロディのようなAZ-1の出で立ちも含めて、”ジャパニーズカー“の存在は、このクルマたちを代表格として世界に発信されたのだ。
 彼らは、バブル景気の遺産とも言える存在ではあった。けれど、1990年のホンダNSXと、同年に世界初の3ローターエンジンを積んだユーノスコスモ、バタフライドアを持つ小型車のトヨタセラ、さらに1991年のFD3S型RX-7などと同様に、ABCトリオはこの時代が遺した、日本の自動車産業のひとつの到達点だった。
ヤンチャにもほどがある3台のマイクロスポーツカーは、豊かで自由なカーライフのひとつの可能性を提示して人々の記憶に残る、日本人にしか作れない独創的な金字塔だったのである。

  • ホンダ・ビート
    NSX発売の翌年、1991年に突如発売された2シーターミッドシップ。オープン専用ボディは徹底的に剛性が追求され、エンジンは3連スロットルや凝った燃料噴射制御でNAながら64PSの高出力とスポーツバイクのような高感度のレスポンスを実現していた。

●主要諸元 ビート(1991年式)
○全長×全幅×全高:3295mm×1395mm×1175mm ○ホイールベース:2280mm ○車両重量:760kg ○乗車定員:2名 ○エンジン(E07型):水冷直列3気筒12バルブSOHC656cc ○最高出力:64PS/8100rpm ○最大トルク:6.1kg・m/7000rpm ○燃料タンク容量:24L ○燃料消費量(10モード):17.2km/L ○最小回転半径:4.6m ○トランスミッション:前進5段、後進1段 ○サスペンション(前/後とも):マクファーソンストラット式独立懸架 ○タイヤ:前155/65R13 73H 後165/60R14 74H ○価格(東京地区):138万8000円

スズキ・カプチーノ
1989年の東京モーターショーに出品され、爆発的な支持を得たことから市販化となった。フロントミッドシップのDOHCターボエンジンはアルトワークスからのF6A型だが、低速トルクを重視する改良が施されている。ショーモデルのカーボンシャシーとはいかないが、ボディは軽量化と低重心化を目的に一部がアルミ製。また専用の4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションも話題となった。

マツダ・AZ-1
こちらもお披露目は1989年の東京モーターショー。このショーカー「A550」はスケルトンモノコックと呼ばれる外板に依存しない骨格をベースに3つのタイプを展示。市販化となったガルウイングボディのほか、ノッチバッククーペやミニグループCカー仕様があった。リヤミッドシップのエンジンはスズキから供給を受けるF6A型。ABC3台の中でも、かたくなに理想が追求されたスーパーカーだった。


日本版スーパーカーもテイクオフ

ホンダ・NSX
居住空間からパッケージングがはじめられたという異色のスーパースポーツ。広々とした室内や実用的なラゲッジ、そして街中でも苦労しない運転のしやすさを実現しながら、ピュアスポーツらしい限界性能も併せ持つ。発売当初からAT車もラインナップした。

マツダ・ユーノスコスモ
1990年当時マツダの販社はじつに5チャンネル。その高級店ユーノスのフラッグシップとして発売されたのがコスモだ。全長4.8mを超えるボディに3ローター+ツインターボの最強REを搭載。本革やイタリア産ウッドパネルがふんだんに使われた豪華な室内も圧巻だった。

ル・マンへの挑戦

ロータリー耐久性の証明
紆余曲折を経て、1980年代にはスポーツカーに最適な動力源との評価を獲得したロータリーエンジンだが、メジャーレースでの栄冠にはなかなか至らなかった。1974年から本格的に参戦したル・マン24時間レースでも、1987年の7位が最上位。1990年には、後から参戦してきた日産とトヨタにも惨敗を喫する。しかもレギュレーションの変更で、翌1991年のル・マンがロータリーエンジン参戦の最後の機会となった。そのレースで、4ローターのマツダ787Bは、常勝のメルセデスやジャガーを抑え、日本車初となる悲願の総合優勝を飾ったのだ。


ユーティリティ革命、RVブーム、そしてトールの時代

1BOXや4WDが商用車の派生だった時代から、1990年代は純粋な乗用車としてのミニバンやSUVが登場する。ファミリーカーを中心にいよいよトールの時代がやってきた。

商品企画で未来を切り拓け

 1980年代のレジャーブームをきっかけとして生まれたRV=レクリエーショナル・ビークルの市場は、1990年代にさらに膨れ上がった。
 バブル景気による地価高騰でマイホームを諦めた都市生活者は、家族と乗り込むミニバンをもうひとつのリビングルームに見立てた。一方バブル崩壊でリフト待ちの時間が短くなったスキー場への足には、逞しい4WD車がかっこいい。
 ただし、1980年代はミニバンと言えば商用1BOXベース、4WDと言えばタフだが街乗り向きとは言えない本格オフロード車がそれぞれ主役だ。1BOXの広さやオフローダーの走破性は魅力的だが、乗り心地や経済性、ハンドリングなどには不満が残った。
それを解決したミニバンが、1990年のトヨタエスティマと1994年のホンダオデッセイ。そして、1994年のトヨタRAV4と1995年のホンダCR-Vが、本格オフローダーに代わって今日世界で支持される、オンロードSUVの先駆けとなった。
 乗用車専用設計のミニバンは、1982年に日産プレーリーが、1983年には三菱シャリオがそれぞれ登場していた。しかし、FF乗用車をベースとしたそれらは、いずれも5ナンバーの小型車サイズ。室内の広さは商用バンベースの1BOX車にはかなわなかった。
 ところが、ひと足先にミニバンが人気になった北米市場を見据えたエスティマは、エンジンを横倒しにして3ナンバーボディのフロア下に押し込む画期的なパッケージングを採用。広い室内とスタイリッシュなデザイン、安定したハンドリングを実現させた。
一方、ベースとなる商用1BOXバンを持たず、RVブームに出遅れたホンダは、アコードをベースに、同じラインで造れるオデッセイを企画。ホンダらしい独創的な使い勝手やデザイン、乗用車ライクな走りと快適性で、一気にミニバンブームを巻き起こしたのだ。
 SUVでは、セリカやカローラのコンポーネンツを巧みに組み合わせて生まれたRAV4が、舗装路での軽快で快適な走りと、レジャーユースには十分な走破性を両立。CR-Vはシビックをベースに、フラットフロアやウォークスルーといったミニバン的な使い勝手も実現。ともにモノコックボディの新しい概念のSUVとして、世界からも注目された。
 軽自動車でも、合理的な使いやすさを追求し、画期的なトールパッケージを採用したワゴンRが大ヒット。バブル景気とその崩壊の波に揉まれた日本車は、超高性能や豪華さより、既成概念にとらわれない斬新な発想による、等身大の価値観にマッチする商品企画で勝負する時代を迎えたのだ。

●超人気のRV!! しかしひとくちにRVといっても…
1996年4月の登録車販売ベスト10を見ると、2位にオデッセイ、4位にCR-V、7位にエスティマ、10位にはなんとハイラックス・サーフが入っている。ステップワゴンに続いてイプサムもデビュー、RV人気はますますヒートアップ。この頃は、毎号のようにRVの特集が組まれていた。

トヨタ・エスティマ(初代)
もともと北米市場をメインに開発されたエスティマ(北米名プレビア)だが、その未来感覚の内外装が功を奏し、日本でも話題に。しかし3ナンバー専用ボディの大きさや価格の高さから人気は頭打ち、そこで1992年に5ナンバーのルシーダ/エミーナを投入、人気はV字回復する。エンジンを75度傾けて床下に積むミッドシップにより、スタイリッシュな曲面シルエットを実現。「天才タマゴ」と呼んだ。 

●主要諸元 エスティマ2400ツインムーンルーフ(1990年式)
○全長×全幅×全高:4750mm×1800mm×1780mm ○ホイールベース:2860mm ○車両重量:1770kg ○乗車定員:7名 ○エンジン(2TZ-FE型):水冷直列4気筒16バルブDOHC2438cc ○最高出力:135PS/5000rpm ○最大トルク:21.0kg・m/4000rpm ○燃料タンク容量:75L ○燃料消費量(10モード):6.9km/L ○最小回転半径:5.7m ○トランスミッション:前進4段オートマチック ○サスペンション(前/後):マクファーソンストラット式独立懸架/ダブルウィッシュボーン式独立懸架 ○タイヤ(前/後):215/65R15 96H ○価格(東京地区):307万円

ホンダ・オデッセイ(初代)
RV開発で遅れをとったホンダは、苦肉の策でアコードのプラットフォームとラインを使い、急遽スイングドアの3列シートミニバンを開発する。キャブオーバーの1BOXに比べ広さでは勝てないが、セダンに近い運転感覚や流用による価格の安さが魅力。オデッセイはホンダの予想を遥かに超える大ヒットモデルとなった。

●主要諸元 オデッセイL・7人乗り(1994年式)
○全長×全幅×全高:4750mm×1770mm×1675mm ○ホイールベース:2830mm ○車両重量:1500kg ○乗車定員:7名 ○エンジン(F22B型):水冷直列4気筒16バルブSOHC2156cc  ○最高出力:145PS/5600rpm ○最大トルク:20.0kg・m/4600rpm ○燃料タンク容量:65L ○燃料消費量(10・15モード):10.2km/L ○最小回転半径:5.7m ○トランスミッション:前進4段オートマチック ○サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン式独立懸架/ダブルウィッシュボーン式独立懸架 ○タイヤ(前/後):205/65R15 94S ○価格(東京地区):245万5000円

クロカン四駆を街乗り車に変えた RAV4とCR-V

 コンパクトSUVで先行したエスクードが、フレーム付きボディに副変速機を備える本格クロスカントリーであったのに対し、RAV4はモノコックボディを採用。オンロード重視のSUVという新ジャンルを切り拓いた。運転のしやすさや燃費の良さなどで女性ユーザーからも支持され、同車のヒットによりCR-Vやランドローバー・フリーランダーなどが後に続いた。

  • トヨタ・RAV4(初代)

  • ホンダ・CR-V(初代)

広さと道具感で一世を風靡したワゴンR

 開発段階では月販3000台と見られていたため、潤沢な開発資金が使えず、社内の部品共有率は約70%。一時はお蔵入りが検討されるほど、このハイトパッケージワゴン計画は難産だった。ところが発売してみるとその飾り気のないスクエアなデザインや、道具感覚の機能はおおいに受け、年間20万台を売る大ヒットモデルとなった。今も続く軽のトールブームはこのクルマに始まった。

プリウスとエコロジーコンシャス

1.5Lセダンの10・15モード燃費が14~15km/Lだったこの時代、28km/Lという数値はあまりにも衝撃的だった。加えて、この小さなセダンは排ガスもクリーンで、CO、HC、NOXの排出量は当時の規制値の約10分の1というものだった。

21世紀に間に合った理想

 バブル崩壊後の日本人が、クルマに求めるようになった新しい価値。それが安全と環境だった。
 1990年4月に放送されたNHKスペシャルが、「第二次交通戦争」と銘打ち、クルマ同士の、いわゆる棺桶型の交通死亡事故が増えていることを伝える一方で、北米向けの日本車に装備されるドア内のサイドインパクトバーが、国内向けにはないことを指摘した。
まるで日本人の生命を軽んじていると糾弾するような番組内容は、メーカーにとっては青天の霹靂だったが、おかげでそれまでは売りにならなかった安全性が、クルマ選びの大きなポイントとなるきっかけとなったのも事実だ。
 かくして、トヨタが1995年に発売した6代目スターレットから、GOAと称する衝突安全ボディを採用するなど、各社が競って安全ボディや装備を導入。ABSやエアバッグも、1990年代後半から各社で標準装備化されていく。
 一方、バブル真っ盛りの1980年代から、当時の豊田英二トヨタ会長は「このままのクルマ作りでいいのか」と危機感を抱き、21世紀のあるべきクルマ像を模索していた。その意を受けて1993年に始動した「G21」と称するワーキンググループが、のちのプリウスの開発母体となる。
 後年にトヨタ会長も務めることになる内山田竹志CEが率いるグループは、当初は環境時代の次世代車として、高効率の直噴ガソリンエンジンで、従来の1.5倍の燃費を目指した。ところが、当時の和田明広副社長は、2倍の燃費達成を厳命。1995年の東京モーターショーでのコンセプトカーの発表を指示したのだ。
 その厳しい要件を満たすために白羽の矢が立ったのが、社内で研究されていたハイブリッドシステム。トヨタでは、1960年代からガスタービンなどの新しい動力源の研究を進めており、ハイブリッド技術もそのひとつだった。
 ただし、理論上の計算値で2倍の燃費をぶち上げたコンセプトカーをショーに出展したものの、じつは最初に出来上がった試作車は、発進さえできなかったという。エンジンとモーターの緻密な制御は、それほど難しかったのだ。
 1997年に「21世紀に間に合いました」と謳って登場した市販型の初代プリウスも、けっして洗練された走りではなかった。しかし、開発陣は弛まぬ改良を続けた。
バッテリーにモーター、インバーターに制御プログラム。多くを内製で開発した世界初のハイブリッド車は、技術的にも経済的にも逆風の中で船出し、20余年の地道な歩みで今日の成功へとたどり着いたのである。

●主要諸元 プリウス・ナビパッケージ(1994年式)
○全長×全幅×全高:4275mm×1695mm×1490mm ○ホイールベース:2550mm ○車両重量:1240kg ○乗車定員:5名 ○パワーユニット(1NZ-FXE型):水冷直列4気筒16バルブDOHC1496cc+モーター ○最高出力(エンジン+モーター):58PS/4000rpm+30kW/940~2000rpm ○最大トルク:10.4kg・m/4000rpm+31.1kg・m/0~940rpm ○燃料タンク容量:50L ○燃料消費量(10・15モード):28.0km/L ○最小回転半径:4.7m ○トランスミッション:電子制御式無段変速 ○サスペンション(前/後):マクファーソンストラット式/イータビーム式 ○タイヤ(前/後):165/65R15 81S ○価格(東京地区):227万円

デジタル表示のセンターメーターを採用。メーター下には5.8インチのモニターがあり、燃費データなどを表示、ナビパッケージ車ではナビのモニターとなる。

  • 前席中央にはCDチェンジャー収納も可能な5.9Lの大型コンソールを用意。後席にはセンターアームレストも付く。

  • 直流と交流の変換などを担うインバーター。

  • もともとは21世紀の量販セダンのパッケージングスタディが「G21プロジェクト」の目的だった。短い全長に長いホイールベース、車高の高さが際立つ。

  • 初代プリウスと内山田主査(当時)。

1995年の東京モーターショーに参考出品されたプロトタイプ

シルエットや外装デザインは市販車に近いが、蓄電装置にキャパシタを採用したコンセプトモデル。この後、ハイブリッドシステム開発を加速するため、分割されていた開発部署を一元化、1997年1月にはEV開発部とも統合され「EHV技術部」となった。THSの原型、シリーズ・パラレル型ハイブリッドが完成するのは同年3月。



1968年から始まっていたガスタービンハイブリッド計画
トヨタ最初のハイブリッド車開発は、あの初代クラウンの中村主査が1968年に着手している。小型、軽量、高出力のガスタービンエンジンを発電用に使い、モーターで走るシリーズハイブリッド。しかし当時は性能を満たす2次電池が存在しなかったこともあり、1980年代初頭にこのプロジェクトは中断されている。

他にもいる、ハイブリッド車のパイオニア

ホンダ・インサイト(1999年~)
トヨタのTHSに比べるとハイブリッドの構造はシンプル。ただ空力を追求した2シーターボディは燃費スペシャル的要素が強く、モード燃費はプリウスを凌ぐ、最高35km/Lを記録した。

スズキ・ツイン(2003年~)
軽自動車よりさらに小さいマイクロカー。2シーターで全長はわずか2735mm。660ccのガソリン車のほか、10・15モード燃費35.0km/Lのハイブリッドもラインナップ。

アウディ80duo(1994年~)
1994年、プリウスより早く発売されたハイブリッド車。しかし価格が高く、欧州ではディーゼルが省燃費車として認知されていたため、HVはあまり注目されなかった。


 1990年代になると、地球温暖化に関する論文などが発表され、人々の環境問題への関心が高まっていく。自動車メーカーも燃費向上や排ガスのクリーン化につながる新技術を次々に導入。クルマの技術進歩はいろいろだが、この時期最も劇的に向上したのが燃費性能だった。

●主な燃費向上技術
ガソリンリーンバーン
燃料に比べ空気の割合の多い混合気を燃やす希薄燃焼で、燃費を節約する。
ガソリン直噴エンジン
希薄燃焼よりさらに薄い混合気を使える。日本では1996年の三菱GDIが初。
可変バルブタイミング
低速と高速でバルブ開閉時期を変え、幅広い速度域で効率よくトルクを発生。
アイドリングストップ
1981年の2代目スターレットに採用されるも、本格的に普及するのは2000年以降。
無段変速機(CVT)
どんな速度でも最もおいしいエンジン回転域が使える。海外では普及していない。
ハイブリッド自動車
その歴史は古く、20世紀初頭はひ弱なエンジンを補助する目的が強かったという。



提供元:月刊自家用車



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