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更新日:2025.10.27 / 掲載日:2025.10.27
ありがとうGT-R。日本が誇るリアルスポーツカーを振り返る【名車の生い立ち#19】

2025年8月、日産はGT-Rの最終生産車がラインオフしました。2007年から18年間にわたり、累計で約4万8000台生産されたGT-Rですが、最後の1台はミッドナイトパープルのクルマとのこと。スカイラインGT-R時代を含めると56年にわたって世界のスポーツカーファンを魅了した「GT-R」の称号は幕を下ろすことになりました。そこで今回は、「スカイラインGT-R」とその血統を受け継ぐ「GT-R」の歴史を振り返ってみましょう。
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伝説の走りを魅せつけたプリンス時代の英雄

GT-Rの歴史を語る前に、少しだけ黎明期のモータースポーツにも触れておきましょう。GT-R誕生の5年前となる1964年5月、鈴鹿サーキットで第2回の日本グランプリが開催されました。このレースではプリンス スカイラインGT(2代目)が、ポルシェ904を相手に壮絶なレースを繰り広げたのです。ポルシェといえば強豪のなかの強豪。なんの変哲もない4ドアセダンのスカイラインが、純然たるプロトタイプスポーツカー、ポルシェ904に敵うはずがありません。当初は誰もがそう思っていましたが、なんとスカイラインGTはポルシェと互角の走りを見せ、一時的にポルシェをリードするという離れ業をやってのけました。最終的にはポルシェに敗れたものの、スカイラインGTは2位から6位を独占するという大快挙を達成。このレースこそ、後に続くGT-R伝説の序章となるものでした。
プリンスから日産へ。そして勝つためのマシン「GT-R」の誕生

1968年7月、スカイラインはフルモデルチェンジを受けて3代目(C10型)になりました。日産とプリンスの合併により、車名は「プリンス スカイライン」から「日産 スカイライン」へと変わったものの、開発の大部分はプリンスが担当。4ドアのセダンボディは拡大され、ずんぐりしていた先代から一転し伸びやかなフォルムが好評を呼びました。「ハコスカ」の愛称で呼ばれた新型スカイラインのもうひとつの見どころは、リアドアからホールアーチ上端、そしてリアバンパーへと続くキャラクターライン(サーフィンライン)で、グッとスポーティな印象を与えてくれます。

1969年2月、3代目スカイラインに「2000GT-R」が追加されました。これは先代スカイラインGTの活躍を受けて設計された、純然たる高性能セダン。パワートレインは、S20型と呼ばれる2.0L 直6DOHCに5速MTが組み合わされました。このエンジン、なんとプロトタイプスポーツカーの日産 R380から流用したもので、市販モデルとして最適化された結果、最高出力は160馬力を発揮。7000回転まで許容するこの高回転型ユニットこそ、スカイライン 2000GT-Rの要といえる存在でした。1970年10月にはスカイラインシリーズ全体のマイナーチェンジが行われ、スカイライン史上初となる2ドアハードトップも登場。これ以降、2000GT-Rはハードトップ専用モデルとして販売されることになります。

スカイライン 2000GT-Rの緒戦は1969年5月のJAFグランプリ。当時のライバルは、コロナをベースとしたトヨタ 1600GTです。この前年のレースでは日産を打ち負かすほどの実力を備えた強敵でした。この緒戦は日産の雪辱を果たす重要なレースで、1600GTと2000GT-Rはまさに一騎打ち。先にチェッカーフラッグを受けたのは1600GTでしたが、ペナルティによりスカイライン 2000GT-Rが繰り上げ優勝。かたちはどうあれ、緒戦から勝利を掴み取りました。その後もスカイライン 2000GT-Rは勝利を重ね、国内のモータースポーツで輝かしい戦績を残しました。
戦いの機会が与えられなかった悲運のマシン、ケンメリGT-R

1972年、スカイラインはフルモデルチェンジを受けて4代目(C110型)になりました。ちょうどこの頃、環境問題が深刻化し厳しい排ガス規制が行われた時期。戦うクルマだったスカイラインも例外ではなく、そのあおりを受けることになったのです。新しくなったスカイラインは排ガス規制に対応しつつ、伸びやかでスポーティなボディが与えられました。特筆すべきは、2ドアハードトップとセダンのGT系グレードに与えられた丸型4灯のテールライト。ヨーロピアンな印象のこのリアデザインは、スカイラインのアイデンティティとしてこれ以降も長らく採用されることになります。テレビCMでは二人の男女(ケンとメリー)が旅をするというお洒落なもので、これに乗じてこの世代は「ケンメリスカイライン」と呼ばれるように。

そんなケンメリにも、ちゃんとGT-Rが準備されていました。翌年となる1973年1月、ハードトップに「2000GT-R」を追加。パワートレインは先代と同じくS20型を搭載し、排ガス対策として燃料蒸発制御装置も取り付けられていました。オーバーフェンダーの装着やリアスポイラー、4輪ディスクブレーキ、ラジアルタイヤなど走りのアイテムをしっかり盛り込み、その中身はGT-Rの名に恥じない完成度といっていいもの。しかし、公式のモータースポーツで使われることはなく、わずか4ヶ月ほどで生産終了に。生産台数はわずか197台に過ぎませんでした。GT-R史上、戦場が与えられなかった最初で最後のGT-Rとなってしまったのです。
Rの伝説が復活! グループA参戦向けに生まれたR32型GT-R

ケンメリ世代のGT-Rはモータースポーツに参戦しなかったものの、それ以降のスカイラインは度々レースに参戦して大きな活躍を見せてくれました。6代目スカイライン(R30型)はグループ5規定に合わせた純レーシングマシン「スカイライン スーパーシルエット」が参戦。7代目(R31型)は全日本ツーリングカー選手権にスカイライン GTS-Rが活躍するなど、レースへの挑戦は変わらず継続。しかし、スカイラインはどれほど高性能になろうと「R」のバッジが車名に与えられることはありませんでした。

そんななか、1989年5月にスカイラインがフルモデルチェンジ。通算8代目のR32型が登場しました。新しくなったR32型スカイラインは、先代とはひと目で異なるプロポーションを持っていました。リアのオーバーハングが切り詰められ、全長を70mm(2ドアクーペは130mm)も短縮。低くなった全高や丸みを帯びて筋肉質なフォルムは、見るからにスポーティな印象を与えていました。サスペンションは新たに前後マルチリンク式が採用され、走りは圧倒的に進化。とはいえスカイラインは実用的なセダンでもあるため室内の狭さを指摘する声もありましたが、この大改革はモータースポーツ戦略の新たな布石だったのです。

同年8月、スカイラインに待望の「GT-R」が登場。1973年のケンメリ時代から16年ぶりに復活したGT-Rの称号は、まさに伝説の再来といえるものでした。目指したのは当時のモータースポーツで主流だったグループAツーリングカーでの勝利。パワートレインは、専用設計となる2.6L 直6 DOHCツインターボ(RB26DETT)が与えられました。最高出力は自主規制いっぱいの280馬力、最大トルクは36.0kgmを発揮。足まわりにはアテーサE-TSと呼ばれる新機軸が盛り込まれたこともトピック。これは前後のトルク配分を電子制御で最適に分配する4WDシステムで、新世代GT-Rの強力な武器となるものでした。ほかにもあらゆる場所が強化され、時代を先取りしたハイテクスポーツカーとなったのです。

GT-Rのデビュー戦は、1990年の全日本ツーリングカー選手権。当時はフォード シエラRSがこのカテゴリーを席巻していました。GT-Rの目標は、もちろん打倒シエラ。その結果は……GT-Rの圧勝でした。デビュー初年度でありながら、なんとシーズン全勝。特に第1戦のカルソニックスカイライン(星野/鈴木)は、決勝レースで1/4を消化した時点で全ライバルを周回遅れにするという前代未聞の荒技を見せてくれました。以降4年間29戦29勝というパーフェクトゲームを達成し、無敗神話を打ち立てたのです。
ニュルブルクリンクで7分59秒の記録を達成したR33型GT-R

1993年8月、スカイラインは9代目(R33型)になりました。従来と同じく4ドアセダンと2ドアクーペが設定され、ボディサイズはひとまわり拡大。ホイールベースも105mm延長し、先代で不評だった室内の狭さも改善されました。1995年1月には待望の「GT-R」を追加。ベース車のボディサイズが拡大されたことで、GT-Rも大きくなったのが特徴でした。

パワートレインは先代と同じく2.6L 直6 DOHCツインターボ(RB26DETT)を搭載し、最高出力は280馬力と据え置きでしたが、最大トルクは1.5kgm大きい37.5kgmを発揮。コンピューターは8ビットから16ビットに変更されたほか、アテーサE-TSも改良を受けて走りは大きく進化。プロトタイプになりますが、ニュルブルクリンクのタイムはR32型より21秒も短縮した7分59秒を達成しました。肥大化したボディに賛否両論があったものの、その走りはGT-Rの名に恥じないものだったのです。

モータースポーツでは、世界の強豪がひしめくル・マン24時間耐久レースに参戦。NISMOが大幅にモデファイした専用マシン「NISMO GT-R LM」を開発し、1995年から1996年にかけてLMGT1クラスに出場しました。結果は、初年度は総合10位、その翌年は15位という好成績。また全日本GT選手権など活躍のステージは幅広く、多くの戦績を残したのです。
スカイラインとしては最後のGT-RとなったR34型

1998年5月、スカイラインは10代目(R34型)となりました。先代モデルはボディサイズが大きくなり、実用車としての快適性は上がりましたがスポーツカーとしては賛否両論に。その反省を生かし、R34型は全長とホイールベースを短縮。運動性能を高めるべく基礎設計から見直されました。翌年1月には待望のGT-Rが登場。力強いブリスターフェンダーや丸型テールライトなど、GT-Rらしいアグレッシブな見た目はそのまま受け継ぎつつ、中身も大きく進化したのが特徴です。パワートレインこそR32時代から続くRB26DETTが搭載されましたが、セラミック製タービンを採用したことで最大トルクは40.0kgmにアップ。トランスミッションはゲトラグ社製6速MTを組み合わせ、当時の国産スポーツカーのなかでもトップクラスの運動性能を誇りました。

もちろん、モータースポーツにも積極的に参戦。主戦場となったのは全日本GT選手権で、1999年から2003年までR34型がエントリーしました。1999年にはペンズオイル・ニスモGT-Rがシリーズチャンピオンを獲得。また、スーパー耐久シリーズやニュルブルクリンク24時間レースなどにも参戦し、好成績を収めました。しかし、平成12年排ガス規制への適合が難しくなったため、2002年8月をもってスカイラインGT-Rは生産終了に。すでに次世代型となる11代目(V35型)スカイラインが登場していましたが、これ以降スカイラインのラインアップにGT-Rが設定されることはありませんでした。
GT-Rが復活! 日本を代表するリアルスポーツカーR35型

スカイラインGT-Rの生産終了以前から、次世代GT-Rの可能性が模索されていました。それを後押ししたのが、ルノーとの資本提携により日産のCEOに就任したカルロス・ゴーン氏。「GT-Rは日産の象徴」という理念を掲げ、2001年の東京モーターショーにて「GT-Rコンセプト」を発表。2005年の東京モーターショーで公開された「GT-Rプロト」を経て、2007年の東京モーターショーで市販型がお披露目されることになったのです。その当時の日産ブースは人の山……プレスデーにもかかわらず近づくのが難しいほど大勢の人たちで溢れかえっていました。
なお、今回はスカイラインの1グレードではなく専用ボディが与えられたのが特徴です。高性能リアルスポーツとして生まれ変わった新型GT-Rは、「プレミアムミッドシップパッケージ」を採用。クラッチやトランスミッションを車体後方に配置して前後重量配分を最適化し、運動性能は飛躍的に高められました。

パワートレインは、新開発となる3.8L V6 DOHCツインターボ(VR38DETT)。最高出力は480馬力と、ライバルのポルシェ911ターボに匹敵する性能を実現。まさに世界の名だたる高性能スポーツカーに肩を並べる走りを獲得しました。また、2009年1月には専用の足まわりで強化した「スペックV」、2013年11月には最高出力を600馬力にまで高めたサーキットスペシャルの「NISMO」が登場。年次改良を繰り返すことで進化を続け、スポーツカーとして熟成されていきました。

また、多くのモータースポーツで活躍したことも見逃せません。国内ではスーパーGT(GT500)にワークス参戦しつつ、FIAGT選手権などにも活躍の場を広げました。さらにグループGT3カテゴリに適合した純レースマシン「GT-R NISMO GT3」が設定され、レース参戦の敷居を下げたこともトピック。新世代GT-Rがモータースポーツに与えた影響は計り知れません。それ以降、モデルイヤー制を採用して毎年のように改良を実施。2025年までの18年間生産が続けられたのでした。
最新のGT-Rの中古車市場は?各世代のバイヤーズガイド

さて、そんなGT-Rも2025年8月に生産が終了。日本のスポーツカーファンをワクワクさせてくれたこのクルマも、すでに新車購入は叶わなくなってしまいました。では中古車ならばどうでしょうか?最後に、歴代GT-Rの最新版バイヤーズガイドとして中古車相場を調査してみました。
上のグラフは、世代別の物件比率を示したもの。各世代の中古車事情は次のとおりとなっています。
C10型&C110型
中古車価格帯:不明
グーネット登録台数:0(2025年10月21日時点)
第1世代と呼ばれるC10/C110のスカイライン2000GT-Rは、ほぼ皆無。残念ながらグーネットの登録は1台も存在しなかった。この世代のスカイラインはGT-R仕様に仕立てた個体はありますが、本物のGT-Rグレードはなし。その多くは「2000GT」のようなスポーティグレードとなっています。とはいえこれらの相場も軒並み価格が高騰し、1000万円前後のものが大半。たとえGT-Rでなくても非常に敷居の高いモデルとなっています。
R32型
中古車価格帯:540万円~1800万円
グーネット登録台数:87台(2025年10月21日時点)
第2世代の最初のモデルがR32型。スカイラインGT-Rとしては最も多く、全体の15%を占めています。価格は高騰しており、走行距離改ざん車などを除けば最低でも540万円は必要。走行距離は10万km~15万kmが中心で、修復歴ありも多め。また、1800万円前後の高価格なものはハードなチューニングが施されたものが目立ち、改造が控えめな個体は逆に少し安いという状況です。コンディションはともかく、オリジナルに近いものが1500万円前後で入手可能となっています。
R33型
中古車価格帯:600万円~1520万円
グーネット登録台数:45台(2025年10月21日時点)
現役時代は不人気なGT-Rと言われていたR33型も、令和の時代は引っ張りだこ。相場はR32とほとんど変わりません。価格の最低ラインは600万円ですが、いろいろな物件を選ぶのであれば1000万円程度の予算は用意しておきたいところ。また、R32とは異なり改造の程度が控えめなものが多く、フルノーマル車もちらほら存在しています。2025年10月21日の調査では、走行距離1.5万kmの無事故無改造1オーナー車も確認できました。1520万円という高価格ですが、極上車がほしいなら検討したい1台です。
R34型
中古車価格帯:1780万円~7030万円
グーネット登録台数:57台(2025年10月21日時点)
相場が文字通り桁外れに大きいのがR34型。物件数はR32型に次いで多いものの、最低ラインは1780万円と高額で、コンディションにこだわるなら3000万円以上は必要です。とはいえメーター改ざん車や修復歴ありの個体も非常に多く、コンディションにこだわること自体が難しい状況。ちなみに、今回の調査では2002年式のMスペックニュルが7000万円以上のプライスタグが付けられていました。まさにファン垂涎の1台ですが、超プレミア価格となっています。
R35型
中古車価格帯:800万円~4700万円
グーネット登録台数:222台(2025年10月21日時点)
いまGT-Rを買うなら、R35世代をねらうのが現実的。スカイライン時代のモデルとは異なり物件数が豊富で、1000万円以下の予算でもそれなりのコンディションの車両が手に入ります。NISMOならば3000万円以上の予算が必要ですが、スタンダードなGT-Rであれば2000万円台で低走行車が入手可能。とはいえ、今年生産終了したことで、今後ほぼ間違いなく価格が高騰します。たとえ将来次世代型が出たとしても、それが内燃機関モデルとは限りません。現実的な価格でGT-Rを買うなら、今なのは間違いないでしょう。

