車の歴史
更新日:2018.11.08 / 掲載日:2018.10.26

名車探訪 MAZDA ファミリア(2代目)

ライトバンで始まった初代ファミリアは、ワゴン/セダン/クーペと車種を拡充、発売翌年の昭和39年12月には月産1万台を突破して東洋工業(現マツダ)の看板モデルにまで成長する。昭和40年代に入ると、大衆車にも高級、高性能が求められるようになり、昭和42年、ファミリアも2代目へ生まれ変わる。初代の重厚な四角いデザインから、丸みを帯びたモダンなデザインへと変身。しかしライバル達が何より恐れたのは、コスモスポーツに積まれた軽量で高性能なロータリーエンジン車の登場だった。

ラインナップの拡充と改良で強力ライバルに対抗

2代目ファミリアはまずセダンがデビュー。その後1年もたたない間に、バンやトラックに加えてクーペやロータリー車を投入。初代のワイドバリエーション戦略をさらに深化させている。また「オリジナル」と呼ぶオプション追加のベース車となる格安グレードの設定も大いに話題となった。

1L大衆車時代の牽引車は後発の強力なライバルに個性と技術で対抗した

 マイカー時代到来前夜の1960年代前半に、その本命と目された1Lクラスのトップセラーは、トヨタや日産のモデルではなかった。トヨタが1961年に発売したパブリカは、コストを重視した質素な内容が不評。日産は1959年に送り出したブルーバードこそ人気だったが、その下の1Lクラスは共食いを恐れた当時のトップが開発さえ許さず、タマがない時代だった。
 そうした中で、スタイリッシュなデザインと軽快な走りで好評を得ていたのが、1963年に初代が登場した東洋工業(現マツダ)のファミリア。サラリーマン層にはマイカーがまだ高嶺の花だったことから、商用バンを最初に投入する作戦が当たった。
 荷物車のイメージを覆すスマートなデザインのファミリアバンは、休日にマイカーとして乗り回す商店主たちのプライドを満たした。アルミ合金製の4気筒800ccエンジンも最新鋭なら、ダブルウィッシュボーン式のフロントサスペンションも当時の小型車としては贅沢な技術だった。
 翌1964年からは乗用セダンもラインナップされ、1965年には1Lエンジンを積むクーペやAT車も投入して、ライバルに先駆けたワイドバリエーション化を進めた。クーペには、クラス初のフロントディスクブレーキを装備するなど、その内容も先進的だった。
 一方、当時の日本では、国際競争力をつけるために、自動車メーカーを数社に統合しようという動きが通産省(現・経済産業省)から出ていた。もしもそうなれば、まだ自動車メーカーとしての実績の少ない東洋工業は、トヨタや日産に呑み込まれてしまう。
 そこで、政策が実現する前に世界で認められる独自技術を確立すべく、1961年に開発に乗り出したのがロータリーエンジンだった。特許使用権を巨費で買い、苦労して開発に成功した世界初の2ローターロータリーエンジンを搭載するコスモスポーツは、1963年に発表後、入念な信頼耐久性の実証を経て、1967年にようやく発売される。ただし、価格は148万円。現在の価値にすれば1千万円級の値付けだ。製造工程も手作業が多く、とても量産はできない。
 さらに、1966年にトヨタのカローラと日産のサニーが発売され、マイカーの本命の座を競って繰り広げた販売合戦の火の粉は、ファミリアにも容赦なく降りかかった。
 強力なライバルたちの激闘を指をくわえて見ているだけでは、やがて市場から追い出されてしまう。そんな危機感から生まれた企画が、2代目ファミリアへのロータリーエンジンの搭載だった。

1000 4ドアセダン
1967年11月に登場した2代目ファミリア4ドアセダン。曲面ガラスを使ったオーバルデザインに変身し、三角窓は廃止された。当初ボディカラーは白、レッド、ベージュ、ブルーなど7色を用意。1000ccクラスでは最大の室内スペースを誇った。
●主要諸元
1000 4ドアセダンデラックス・リクライニングシート(1967年式)
○全長×全幅×全高:3790mm×1480mm×1390mm ○ホイールベース:2260mm ○トレッド(前/後):1200mm/1190mm ○車両重量:730kg ○乗車定員:5名 ○エンジン(PB型):直列4気筒OHV987cc ○最高出力:58HP/6000rpm ○最大トルク:7.9kg・m/3500rpm ○燃料タンク容量:40L ○最高速度:135km/h ○最小回転半径:4.0m ○トランスミッション:前進4段フルシンクロ、後進1段 ○サスペンション(前/後):マクファーソンストラット式独立懸架/半楕円リーフリジッド ○タイヤ:6.00-12 4PR ○価格(東京地区):50万5000円

  • 指針が扇状に動く横長の速度計の左右に水温計と燃料計を配し、同じ高さの助手席側にラジオをレイアウト。同乗者からも操作しやすい。パネル上部はデラックスが柔らかな黒のビニールレザー張り。

  • デラックス(写真)はリクライニング式のセパレートシートも設定。高さが調整できるヘッドレストはオプション(5000円)。

  • サスペンションは前にシンプルな構造が特徴のマクファーソンストラット式を採用。

  • モーターショーモデルRX85(クーペ)のルーフ形状を変え、5人乗りセダンとしている。一番の特徴は三角窓がないこと。このため1Lクラスで初めて本格的な室内換気システムが採用されている。

  • 燃料タンクとスペアタイヤがあり、容量はそこそこのトランク。

  • 1965年、初代ファミリアに搭載、2代目にも流用された987ccOHVのPC型エンジン。

  • 運転席3点式シートベルト(1200に標準装備)やフロント合わせガラスなど安全装備も積極採用された。

  • 1000セダンでもフロアシフトが選べた。

ファミリア(2代目)変遷
●1967年(昭和42年)
11月 2代目ファミリア1000(2/4ドアセダン)発売。●1968年(昭和43年)
1月 2代目ファミリアバン発売。
2月 4ドアセダンにファミリア1200デラックス(68PS)を追加。
5月 ファミリア1200に2ドアデラックスを追加。ファミリア1000トラック発売。
6月 ファミリア1200にスーパードライブ車(2段AT)を設定。
7月 10A型ロータリーエンジン(100PS)を積むロータリークーペを追加。
9月 ファミリア1200クーペ追加。
●1969年(昭和44年)
4月 ファミリア1000の一部グレードを値下げ。
7月 10A型ロータリーを積む4ドアセダン「ロータリーSS」と平面インパネを採用した「ロータリークーペE」を追加。
11月 4ドアセダンにT型インパネ採用の「ロータリーTSS」を追加。
●1970年(昭和45年)
3月 一段上級の高性能ファミリーカーとして、SOHCエンジンを搭載した。ファミリアプレスト1300シリーズ(セダン/クーペ/バン)を発売。
4月 ファミリアプレストロータリー(セダン/クーペ)およびファミリアプレスト1000(セダン/バン)発売。
12月 ラジアルタイヤとレザートップを備える「ロータリークーペGS」と専用フロントマスクとT型インパネを備える「1300クーペGF」を追加。
●1971年(昭和46年)4月 1L車にSOHCの新型エンジン採用。
9月 上級版「グランドファミリア」発売。
●1972年(昭和47年)2月 マイナーチェンジ(1.3L車を87PSにパワーアップなど)。
●1973年(昭和48年)
8月 ロータリー車の生産を中止。
9月 セダン/クーペはフルモデルチェンジで3代目に移行。バンとピックアップは継続販売(1978年1月まで)。

  • RX85
    2代目ファミリアデビュー直前の1967年東京モーターショーに展示された10A型ロータリーを積むコンセプトカー。翌年ファミリアロータリークーペとして結実。

  • 1000 2ドアセダン
    1967年発売時の初期モデル。4ドアより2~3万円ほど安く買えた。最小限の装備の1000オリジナルは36.9万円という軽自動車並みの価格。リクライニングシート付きの2ドアデラックスでも48.5万円。

  • 1200エステート(欧州輸出モデル)
    初代で好評だった3ドアステーションワゴン。2代目では国内販売はなくなり、欧州輸出用のエステートとして売られている。

  • 1000トラックデラックス
    セダン/バンに遅れて1968年5月にモデルチェンジされたトラック(1.0Lのスタンダードとデラックス)。初代にあったクランクシャフトによる手動始動の機構はなくなった。改良を重ね1978年まで売られた。

  • プレスト1300バンデラックス
    バンは2代目になってもファミリアの販売の中核として存続。1970年にセダンやクーペとともにプレストへとマイナーチェンジ。2ドアのほか4ドアもラインナップした。

  • グランドファミリア1300Sクーペ
    同時発売されたロータリー専用車「サバンナ」とボディを共有するレシプロエンジンを積む姉妹車。ファミリアプレストの後継として企画されたが、人気のあるプレストは存続し、そのさらに上級の位置付けで1978年まで販売された。

ロータリーエンジンを 一気に普及させた功労者

満を持して発売された世界初の量販ロータリー車「コスモスポーツ」は大きな話題になったが、高価な2シータースポーツではロータリーエンジンの普及は無理。そこでマツダはファミリアにロータリーを積み、ライバルに対する性能面でのアドバンテージを武器にロータリーエンジン普及を目論んだ。

多くの人にロータリーの魅力を届ける使命を負って送り出された俊足クーペ

 東洋工業は戦前から自動車造りを志しながら、戦時中は大砲の弾などを作る軍需産業として生き延び、戦後はオート3輪のメーカーとして一時代を築いた。しかし、創業当時からその志は高く、先進的な技術で、他に類のない商品を生み出そうという気概に溢れていた。ファミリアへのロータリーエンジンの搭載は、そんな企業姿勢を体現した出来事だった。
 1967年5月に発売された初期のコスモスポーツのロータリーエンジンは、職人が汎用工作機械を使い、手作業でローターを加工する工程を経て作られていた。サイドハウジングも、アルミ合金に炭素鋼を溶射するという、手の込んだ工程を必要とした。
 しかし、巨額の開発費をかけたロータリーエンジンを、そんなコストや手間のかかる方法で生産していては、とても商売にはならない。より安く作り、より身近なクルマに搭載して、多くの人に買ってもらうことが急務だ。
 そこで開発陣は、専用工作機械を導入してローターの量産に成功する。サイドハウジングには、特殊鋳鉄に高周波焼き入れを施すというローコストで量産できる工法を開発。さらにシールなどの細かな部品に至るまで、コストと耐久性を両立させる改良を施した。
 そうして量産したロータリーエンジンを搭載する普及モデルとして、新型となるファミリアに白羽の矢を立てたのだった。
 まず1967年秋の東京モーターショーに、ロータリーエンジン搭載車のプロトタイプとしてRX85と呼ぶ小型クーペのコンセプトカーを出展。その直後の11月に、RX85をベースに1Lのレシプロエンジンを積む新型(2代目)ファミリアのセダンを発売した。
 さらに年明けの1968年2月に、カローラやサニーより上級となるファミリア1.2Lセダンを投入。同年7月13日に、量産ロータリーエンジンを搭載し、ホイールベースに至るまで手を加えて完成度を高めた後期型のコスモスポーツを発売すると、同時にロータリーエンジンをスタイリッシュなボディに移植した、ファミリアロータリークーペを発売したのだった。
 前期のコスモスポーツに搭載されたL10A型エンジンが110PS、後期の量産型L10B型エンジンが128PSを発揮したのに対して、ファミリアのM10A型エンジンは、街中での扱いやすさや信頼耐久性、燃費などを考えて、最高出力が100PSにデチューンされている。それでも、動力性能は圧倒的。しかも、コスモスポーツの半値以下、70万円という値付けは、狙い通り大きな話題となった。

プレストロータリークーペGS
1970年にファミリアはプレストに進化。ロータリーモデルは量産化がすすみ、2~6万円の値下げとなった。写真のプレストロータリークーペGSは1970年12月に登場。インテリアの傑作と言われたT型インパネやラジアルタイヤを標準装備したロータリークーペの上級モデル。
●主要諸元
プレストロータリークーペGS(1972年式)
○全長×全幅×全高:3830mm×1480mm×1345mm ○ホイールベース:2260mm ○トレッド(前/後):1210mm/1190mm ○車両重量:835kg ○乗車定員:5名 ○エンジン(M10A型):直列2ローター491cc×2 ○最高出力:100PS/7000rpm ○最大トルク:13.5kg・m/3500rpm ○燃料タンク容量:40L ○最高速度:180km/h ○最小回転半径:4.1m ○トランスミッション:前進4段フルシンクロ、後進1段 ○サスペンション(前/後):マクファーソンストラット式独立懸架/半楕円リーフリジッド ○タイヤ:155SR13 ○価格(東京地区):66万8000円

  • T型インパネは3連メーターやラジオ、各種操作スイッチのあるセンタークラスターが特徴。シフトもここにあり、フロアシフトというより現代のインパネシフトに近い。

  • コスモスポーツを思わせる白/黒のチェックシート。ヘッドレストと3点式シートベルトは標準装備。

  • コスモスポーツ後期型のL10B型と基本は同じだが、128PSから100PSへデチューン。同時に量産しやすいよう設計変更。当時のライバル、カローラが73PS、サニーが60PSなので圧倒的高性能だった。

  • 丸型テールランプが特徴のロータリークーペのリヤビュー。精悍な内外装と強力なエンジンとは裏腹に、足回りは硬めになってはいるが基本的にファミリア1000と同じ。

カローラより長い歴史 歴代ファミリアメモリアル

800ccエンジンを積む商用バンとして始まり、その後はマツダの中核を支える小型車として長い歴史を刻んできたファミリア。カローラ/サニーとはひと味違うそのクルマ造りの理念は、最新マツダ車にも息づいている。

時代に翻弄されながら欧米でも認められていったファミリア進化の歴史

 コンパクトなボディに強力なエンジンを搭載したファミリアロータリークーペは、発売と同時に人気を呼び、販売目標の月販1000台をたちまち達成した。ロータリー登場の2か月後には、レシプロの1.2Lを搭載するクーペも投入。幅広いバリエーションを揃えたファミリアシリーズは、カローラやサニーとはひと味違うマイカー候補として市場に認知される。
 さらに1969年7月になると、セダンボディのファミリアロータリーSSが登場。同年10月には13A型エンジンを積む、ベルトーネデザインの美しいルーチェロータリークーペが、1970年5月には12A型エンジンをヨーロピアン調のボディに秘めたカペラも誕生して、ロータリーエンジン搭載車はいよいよフルライン体制になる。
 生産台数増加によるコストダウン効果で、1970年春にはファミリアシリーズ全体が値下げされ、50万円台からロータリー車が選べるようにもなった。そうして、当初は月産5000台程度だったロータリーエンジンの生産能力は、1970年末には1万台に達している。
 1970年に成立したアメリカの排ガス規制、通称マスキー法をホンダのCVCCエンジンに続いてクリアしたのも追い風になり、ロータリーエンジン車は海外への輸出も本格的に始まる。
 ただし、その成長は1972年のオイルショックで振り出しに戻ってしまった。石油価格の高騰でヒステリー状態になったアメリカの市場は、ロータリーエンジンにガス喰いのレッテルを貼り、売れ行きはパタリと止まってしまうのだ。
 以後、東洋工業は実用車へのロータリーの搭載は諦める。1978年には、コンパクトで高性能という特性を活かしたロータリー専用スポーツカー、RX-7で注目されるが、ファミリアにふたたびロータリーが搭載されることはなかった。
 一方、ファミリア自体はその後も使いやすく、スタイリッシュで走りのいい小型車という本来の個性を伸ばしながら、世界の市場に着実に根を下ろしていく。中でも1980年に登場した5代目のFF2BOX車の大ヒットは語り草となっている。
 以後もフルタイム4WD車がWRCでも活躍した7代目や、ショートワゴンという新しい車型を生んだ9代目など、ユニークな商品企画で存在感を放った。
 ただし、乗用車としてのファミリアの歴史(商用バンとして継続)は、2003年まで造られた9代目で終わった。以後は海外においてはそれ以前から使われていたマツダ3の名で、国内ではアクセラとして、世界に通用する小型車としての歴史を刻み続けているのである。

1st(1963-1968年)
マツダデザインの源流とも言える美しいボディライン
 軽自動車キャロルをヒットさせたマツダは、そのエンジンを拡大したキャロル600で小型車市場に進出。さらに1963年、初代ファミリアを発売する。市場調査の結果を反映し、2ドアのライトバンを先行販売。しかしファミリアのネーミングどおり、その翌年には乗用タイプのワゴン、さらに2/4ドアのセダンを追加している。マツダはデザインこそ自動車という商品の最も魅力的な要素であると考え、乗用モデルのデザインをイタリアのベルトーネに発注するなどしていたが、ファミリアについては社内デザインの育成を考慮し、入社間もない若手デザイナーの案を採用したという。1965年には2ドアクーペを追加、さらに2代目ファミリアに継承された1Lエンジン車も登場。最高速度145km/hの高性能も大いに話題となった。
●主要諸元
初代ファミリア2ドアセダン(1966年式)
○全長×全幅×全高:3700mm×1465mm×1385mm ○ホイールベース:2190mm ○車両重量:690kg ○乗車定員:5名 ○エンジン(SA型):直列4気筒OHV782cc ○最高出力:45HP/6000rpm ○最大トルク:6.3kg・m/3200rpm ○最高速度:115km/h ○燃料消費率:24km/L ○最小回転半径:4.4m ○トランスミッション:前進4段フルシンクロ、後進1段 ○サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン式独立懸架/半楕円リーフリジッド ○タイヤ:6.00-12 2PR ○価格(東京地区):44万8000円

  • 3rd
    (1973-1977年)

     2代目よりボディを拡大し居住性を大幅に向上、「ワイド・プレスト」などとも呼ばれた。エンジンは1.0Lと1.3Lのレシプロ。カペラやサバンナの登場もあって、ロータリーエンジンの搭載は見送られた。相次ぐ排ガス規制に対応するための改良が加えられ、1.0Lモデルは消滅、1.3Lに一本化された。

  • 4th(1977-1985年)
    スクリーンで活躍した赤いハッチバック
     それまでの4ドアセダンから、ヨーロッパで主流になっていた2BOXのハッチバックをメインとし、若いユーザーにより積極的にアピールするモデルに変身。高倉健主演で大ヒットした映画『幸福の黄色いハンカチ』に真っ赤なハッチバックが登場し話題となった。マツダ323の名でヨーロッパでも人気に。

  • 5th(1980-1985年)
     FRからFFに大転換、マツダ初の横置きレシプロFF車となった。エンジンは1.3Lと1.5LのSOHC。後に115PSの1.5Lターボも登場。ボクシーで精悍なデザイン、電動サンルーフやソファを思わせるリヤラウンジシートなども好評、とくに「赤いXG」は空前の大ヒットモデルとなる。

  • 6th(1985-1994年)
    先代の大ヒットを受け、キープコンセプトで熟成がはかられた6代目。歴代ファミリアでは初となる1.6LのDOHCモデル、1.7Lのディーゼルもラインナップした。

  • 7th(1989-1996年)
    180PSを発生する1.8LのDOHCターボやフルタイム4WDなどを設定しスポーツ性能はさらに向上。WRCにも参戦しグループNの1989年マニュファクチャラーズチャンピオンも獲得。

  • 8th(1994-1999年)
    8代目は3ドアハッチバックと4ドアセダンに車型を絞り込み、小型車のあるべき姿への原点回帰を目指した。1.5Lと1.8Lに加え、後に1.3Lモデルも加わる。

  • 9th(1998-2004年)
    4ドアセダンと「S-ワゴン」と名乗るスポーティなステーションワゴンのラインナップ。ちなみに9代目発売後もしばらく8代目の3ドアHBとワゴンが併売された。

惜しまれつつ 消えていった 伊達者

  • ファミリアカブリオレ(1986-1989年)
     1986年3月に追加されたファミリアで唯一の4シーターカブリオレ。ロールバーを残す手動の幌トップで、エンジンは1.5Lのターボ、マニュアルミッションのみの設定とされた。幌は3層構造で、優れた耐候性と快適性を確保。幌を開けたときに風の巻き込みを抑える樹脂シートのエアロカーテンも設定(オプション)。

  • ファミリアアスティナ(1989-1994年)
     7代目ファミリアの5ドアハッチバックは「アスティナ」と呼ばれ、日本はもとよりヨーロッパ(欧州名はマツダ323F)でも大人気となった。リトラクタブルヘッドランプを採用したクーペのような流麗なスタイル。それでいてショートワゴンのような使い勝手も併せ持つアスティナを今なお評価する声は多い。




提供元:月刊自家用車



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