車の歴史[2018.06.11 UP]

メカニズム進化論 ステアリング編 舵取り棒からスタート

馬車の車体の改造からスタートした初期のガソリン自動車の操舵装置は舵取り棒というのにふさわしい原始的なものだったが、走行速度の向上に伴い、丸型ステアリングへと進化した。

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ティラーといわれる一本の舵取り棒で前1輪の向きを変えた

 世界初のガソリンエンジンを搭載したカール・ベンツとゴットリープ・ダイムラーの自動車にはどのような操舵機構が付けられていたのだろうか。ベンツは3輪車のため、ティラーといわれる一本の舵取り棒で前1輪の向きを変えた。ダイムラーの4輪1号車は馬車の車体から大きく進化したものではなく、前車軸をセンターピボットとし、十字型のハンドルで操作した。走行速度が低かった時代だからこそ通用した形式だったといえる。
 1889年ダイムラーは4輪の2号車を発表する。ステアリング機構には、なんとアッカーマン方式が採用されていた。自転車と同形式のフロントフォークを2本平行にセットし、その上方をタイロッドで繋ぎ、タイロッドの中央からティラーを伸ばし、それを左右に移動することで操舵を行うという簡単な形式だったが、今に繋がる操舵理論が組み込まれていたのだ。

ステアリング機構の基礎、アッカーマン理論

ベンツの1号車。前輪は1輪で、転舵にはティラーと呼ばれたレバーを用いた。低速でしか走れなかったので、このような原始的な構造でも問題はなかった。

キングピンが開発されるまではセンターピボットの車軸が用いられた。図はダイムラー1号車。小さなレバーを操作することで、車軸を少しずつ回転させて方向転換を行った。

ベンツ2号車。前輪は2輪となったが、自転車のフォークと同形状のものを二つ備えたものだった。レバーを左右に動かし、連結ロッドを制御した。

黎明期に考案されたり実用化されたステアリングギヤ。左からウォームホイール式、ウォームローラー式、スクリューナット式、ウォームセクター式、カムレバー式。

ステアリングコラム、ステアリングギヤ ハウジング、ステアリング リンケージの構成。

1960年代までステアリング形式の主流だったボールナット式。今の水準から評価すれば遊びが多く、反応が鈍いステアリングだったが、ほとんどの車種に用いられた。

すべての車輪が同じ旋回中心を持たないとスムーズな回転が行えない。これを実現したのがアッカーマン理論。1889年に製造されたダイムラーの2号車から取り入れられた。

舵を取るだけのように思える前輪だが、さまざまなジオメトリーが与えられ、転舵フィール、接地性、復元性などがコントロールされている。

 今でもステアリング機構の基礎となっているのがアッカーマン理論。4輪車の場合、旋回すると、すべてのタイヤが同じ旋回中心を持つ。左右の前輪をタイロッドで連結し、左右の前輪がまったく同じ切れ角だとすると、どちらかの車輪に滑りが生じる。
 これをなくするために、操舵した時に、外側の車輪より内側の車輪の切れ角を多くする工夫がドイツの王室専用のコーチビルダーだったゲオルゲ・ランケンスベルガーによって考案されたアッカーマン理論。
 1897年にはフランスのパナールが丸型のハンドルを採用し、現在に繋がる操舵機構を実用化した。同年代、アメリカのチャールズ・デュリアが前輪にキングピン傾斜角とポジティブキャンバーを付けることを考案し、さらにキャスターを付けることによって直進性が向上し、操舵した車輪に復元力が生まれることも発見した。
 アッカーマン理論、丸型ハンドル、デュリアのジオメトリー理論が揃ったことで、操舵の理論はほぼ確立され、現在へと繋がることになる。
 パナールの丸型ハンドルの導入以降、左右の車輪を連結するタイロッドの制御にさまざまな方法が取り入れられてきたが、1901年、イギリスアルバニー社のランプロー兄弟が開発したスクリューナット型がその後のステアリング方式を決定づけることになる。
 この方式が開発されて以後、そのアイディアを基にしたギヤの組み合わせによるさまざまな方式が生み出された。
 1950年代に入るとそれらのギヤ方式に代わるものとしてボールナット型が登場する。基本形式は、初期に考案されたスクリューナット方式と同じだが、ウォームギヤとナットのネジ山との接触面に鋼球が挿入された。このボールがベアリングの役割を果たし、軽い操作力での操舵を可能にした。リサーキュレーティングボール式と呼ばれ1970年代までステアリング機構の主要メカニズムとして、多くのクルマに用いられた。

ボールナットに取って代わった、ラックアンドピニオン

ラックとピニオンを組み合わせたラックアンドピニオン方式。1900年代初期に考案されたものだが、ボールナット式に取って代わるのは1970年代になってからだった。

ラックとピニオンを組み合わせた構造。ボールナットに比べ部品点数が少なくコンパクト。搭載スペースに制限のある前輪駆動車への採用から普及が始まった。

1935年に製造されたベンツ130H。当時としてはユニークなリヤエンジ、リヤドライブ。ステアリングにはラックアンドピニオンが採用されていた。

 ボールナット式を淘汰し、ほとんどのクルマに採用され、ステアリング機構の主流となっているラックアンドピニオンの登場は意外にも古い。1896年、フランスの高級車メーカーであったレオン・ボレーが考案し、L・メギーというエンジニアの手によって現実のものとなったが、普及はしなかった。
 パワーステアリングのなかった時代では、重い操舵力が問題となり、さらに路面からのキックバックをステアリングになるべく伝えないという不可逆性に劣る形式は、まだ時代が求めているものではなかった。
 ラックアンドピニオンはその後、前輪独立サスペンションの登場、小型車の普及などによって陽の目を見る。まずヨーロッパの小型車に採用され、日本ではスズライトが1955年に採用し、スバル360、三菱500などの軽量車がそれに続いた。
 1970年代、FF車の普及が始まると、広い搭載スペースが不要なコンパクトさ、遊びのない正確な操舵性能が認められ、ステアリング機構の主流となっていく。その後、パワーステアリングが普及し、可変機構を加えたものも登場し、今に至っている。

提供元:オートメカニック



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