車の歴史
更新日:2025.10.18 / 掲載日:2025.10.18
クルマの楽しさを教えてくれたコンパクトカー、日産マーチを振り返る【名車の生い立ち#18】

10月18日は、日産 マーチが発売された日。今から43年前、斬新なデザインのコンパクトカーとして鮮烈なデビューを飾りました。それ以降、長らく日産のコンパクトセグメントを担ってきたマーチですが、2022年に日本市場から撤退。しかし2025年5月、欧州で新たな電気自動車「マイクラ」として生まれ変わり、門出を迎えようとしています。そんなわけで、今回は日産マーチの43年にわたる歴史を振り返ってみましょう。
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新型コンパクトカー、マーチ(K10)がデビュー

日本のモータリゼーションは、コンパクトカーを中心に広がっていきました。特に都市部の道幅は狭く、クルマは大きすぎないことも重要だったのがその理由。それゆえ1950年代から60年代にかけて軽自動車のスバル360や安価で小型な大衆車トヨタ パブリカが普及し、一般家庭のお父さんたちに親しまれていきました。そんななか、日産も成長の真っ只中にあったこの市場に1台のコンパクトカーを投入。それは1970年に発表された日産 チェリーです。サニーの下に位置するチェリーは、ライバルのパブリカよりも前衛的かつスポーティで、日本のコンパクトカー市場に新たな風を吹き込みました。
そんなチェリーの市場を引き継ぐ形で1982年10月に登場したのが、日産マーチ。1982年といえば、日本ではプロレスブーム到来、ソニーが世界初のCDプレーヤー「CDP-101」を発売した年。そんな新時代の幕開けとともにマーチはやってきました。デザインを手がけたのは、ジョルジェット・ジウジアーロ。丸みを帯びていたチェリーから一転し、エッジを効かせ、フラッシュサーフェスを強調したエクステリアは当時の流行を積極的に取り入れたもの。イメージタレントとして近藤真彦氏が起用され、「マッチのマーチ」というキャッチコピーは当時の若者からお年寄りまで口にする流行ぶりでした。

マーチのメカニズムは、前身となったチェリーに倣いFFレイアウトのベーシックなもの。パワートレインは1.0L 直4が搭載され、これに4速MTまたは3速ATが組み合わされました。パワーは低めながらもボディは軽量で、走りも軽快。運転ビギナーからベテランドライバーまで幅広い層に愛されました。1985年2月にはマイナーチェンジが行われましたが、これと同時にピリ辛モデル「マーチターボ」も登場。排気量は同じながらターボチャージャーを搭載し、85馬力を発揮。ちょうどこの時期はホットハッチブームで、国内外から高性能なモデルが続々と登場していました。日産もその流れに乗るべく、マーチターボを投入したのでした。

ホットハッチ戦略はここで終わりません。1988年8月、“ピリ辛”では飽き足らないユーザー向けに“激辛”モデル「マーチ スーパーターボ」もデビュー。これは当時の競技車両だったマーチRをベースに、ターボとスーパーチャージャー2つの過給機をドッキングしたツインチャージャー仕様で、最高出力は110馬力を発揮。近年ではフォルクスワーゲンが同様のパワートレインを採用していますが、それよりもずっと昔にマーチがこのメカニズムを採用していたことに驚きを隠せません。その走りはじゃじゃ馬でしたが、数年後にやってくる国産スポーツカーブーム前夜の1台として、今も記憶に残っているひとが多いことでしょう。
80年代後半、みんながこぞって買った魅惑のパイクカー

初代マーチには、多くの派生車も登場しています。その先駆けとなったのは、1987年1月に発売された日産 Be-1。これは初代マーチのプラットフォームを流用したコンパクトカーで、丸型ヘッドライトがチャームポイント。ボディラインには曲線を多用して柔らかなデザインを採用したのが見どころです。レトロだけどその新鮮なスタイルは、実用一辺倒なコンパクトカー市場で大いに注目されました。販売台数は1万台を予定していましたが、あっという間に予定台数の受注が埋まるほどの人気モデルに。このようなレトロ風の個性派モデルはパイクカーと呼ばれ、親しまれていきました。

Be-1発売と同じ1987年の東京モーターショーでは、日産のパイクカーシリーズ第2弾「パオ」が出展されました。Be-1と同じく樹脂製の外装パーツを採用しつつ、アドベンチャー気分を高めるミニワゴン風のボディを採用したのが特徴で、2年後の1989年から販売がスタート。受注期間は3ヶ月に限定したものの、5万台を超える予約を記録しました。さらに同年の東京モーターショーでは、マーチをベースとした2ドアクーペ「フィガロ」がデビュー。ターボを搭載して動力性能を高めつつ、エレガントな佇まいはたちまち高評価。1991年に2万台が販売されました。
キュートなデザインで女性ユーザーも増えた2代目(K11)

1992年1月、マーチはフルモデルチェンジを受けて2代目になりました。ちょうどこの時期はバブル経済が崩壊し、より小さくて経済的なクルマがもてはやされていました。誰もが安心して乗れる……そんなクルマが求められているなかで登場したマーチは、直線基調の初代から一転して丸みを帯びたデザインを採用したのが特徴です。ボディサイズは初代に近い大きさながらホイールベースは60mmも延長され、居住性は大幅にアップ。より快適な走りを手に入れました。パワートレインはエントリーグレードには1.0L 直4DOHCを搭載したほか、新たに1.3L 直4DOHCも設定。高速道路でもゆとりのある走りが可能となりました。

ボディタイプは3ドアと5ドアを基本としながら、カブリオレやショートワゴン「マーチBOX」も登場。特にカブリオレは電動開閉式のソフトトップを備えており、手元のスイッチ操作で簡単に開閉できるのが魅力でした。なお、先代に存在した「マーチターボ」や「マーチスーパーターボ」のようなホットモデルはモデルライフを通して設定されませんでした。とはいえ、10年に及ぶ販売期間のなかで改良を重ね、女性ユーザーにも好まれた2代目は90年代を代表する日産のヒットモデルとなったのでした。
コンパクトカーのデザイン革命を起こした3代目(K12)

1999年代後半から2000年代前半、世界の自動車メーカーは大規模な再編が行われました。その最たるはドイツのダイムラー社と北米ビッグ3のクライスラー社の合併です。しかし、日産もそれに劣らない大きな再編がありました。それは、1999年に行われたフランスのルノー社との資本提携。これにより、日産のCOO(後にCEO)としてカルロス・ゴーン氏が迎え入れられることになったのです。これ以降、日産のクルマ造りはドラスチックに変わっていきます。そのひとつの側面がデザイン改革で、デザイナーの中村史郎氏を中心に推し進められました。そんななか、2001年の東京モーターショーで1台の風変わりな小型車「mm」が登場。ミニマム・メカニズム-マキシマム・マンを意味するこのコンセプトカーは、翌年3月に新型マーチとしてデビューしたのです。

3代目となったマーチは、デザイン面では少し大人しかった先代を一気に過去のものとする強烈なインパクトがありました。ショーカーほぼそのままのデザインは当初賛否があったものの、見慣れたら好意的な意見が多くを占めました。モダンになったインテリアも見どころで、若い女性の心をキャッチ。パワートレインは発売当初は1.0L、1.2L、1.4Lの排気量で展開。駆動方式はFFが中心となりますが、2002年9月に電気式4WDも登場し積雪地帯のユーザーも安心して選べるようになりました。

2003年10月には待望のスポーティモデル「12SR」も登場。オーテックジャパンが開発したこのモデルは、専用サスペンションや強化されたエンジンが特徴です。さらに2007年5月には、メタルトップのオープン仕様「マイクラC+C」がデビュー。「マイクラ」はマーチの海外名ですが、これはイギリスからの逆輸入車。マーチをベースにした2+2のオープンカーで、電動開閉式メタルトップで気軽にオープンエアドライブが楽しめました。その後、マーチは1.5Lモデルを設定するなど改良を重ねながら、2010年まで販売が続けられました。
生産拠点はタイへ。シンプルさが光る4代目(K13)

3代目マーチが登場した2000年代前半は、空前のミニバンブームと重なります。ユーザーはより広くて快適なクルマを買い求めましたが、これはコンパクトカーとて例外ではありません。コンパクトだけど広くて快適、そんな新たな価値観を持ったクルマが多く登場すると、マーチの競争力は相対的に下がっていきました。特にライバルであるホンダ フィットは広いキャビンを売りにしており、ミニマムなボディのマーチは苦戦を強いられます。これに対する回答として、2005年に日産は新型コンパクトカー「ノート」を投入。以降、日産はマーチ、ノート、そして少し大きめのティーダの3本柱で激戦区となったコンパクトカー市場で戦うことになりました。
そんななか、2010年7月にはマーチがフルモデルチェンジ。日産のコンパクトカーの軸足がノートに移ったため、マーチは国内生産からタイ日産の生産に切り替わることに。ボディサイズはやや大きくなったものの、誰もが扱いやすい大きさに留められました。初代から続くフレンドリーさを継承しつつ、省エネ・省コスト志向を高めたコンセプトは、初代マーチに原点回帰したといってもいいかもしれません。パワートレインは、1.2L 直3DOHC+CVTを搭載。アイドリングストップを組み合わせることで、クラストップレベルのJC08モード燃費22.6km/Lを達成しました。

2013年12月には、スポーツモデル「ニスモ」とその高性能版「ニスモS」も登場。先代には「12SR」というホットモデル(オーテックジャパン製)がありましたが、今回はニスモが開発を担当。専用の内外装を採用したほか、「ニスモS」には116馬力の1.5Lエンジン+5速MTを搭載し、走りを楽しみたいユーザーにもアピールしました。しかし、市場のニーズはサイズが大きいノートに移り、マーチの販売は徐々に低迷。惜しまれつつも、2022年をもって生産終了となったのです。
海外市場向けに開発された「マイクラ Gen5」

ところで、4代目マーチが生産終了する以前から欧州市場向けである次世代型の開発は進んでいました。日本市場ではノートが主流でしたが、欧州市場では「マイクラ」というネーミングは依然強かったためです。2016年9月のパリモーターショーでは5代目となる「マイクラ Gen5」が発表されました。

コストを抑えた4代目とは異なり、5代目マイクラは全長を3999mmにまでアップ。全幅1743mm、全高1455mm、ホイールベース2525mmと、全高以外は全方位的にサイズアップして豪華になったのが見どころ。エクステリアは、Vモーショングリルを強調した今風の日産のトレンドを導入し、グッとスポーティに。ほかにもアクティブライドコントロールやアクティブトレースコントロールなどの先進技術も取り入れることで、走行性能も格段に向上しました。発表時はパワートレインは0.9L 直3ターボ、1.5L 直4ディーゼルを搭載。生産はルノーのフランス工場で行われました。
2025年、電気自動車として復活した新世代マイクラ

マイクラ Gen5として登場した5代目ですが、2023年に生産が終了。以降、初代マーチから続いた系譜は一旦途切れてしまいます。しかし、2025年5月、日産は次世代型マイクラを公開。数年のブランクを経て復活を表明しました。デザインを担当したのはロンドンのNDE(日産デザインヨーロッパ)で、流行りのクロスオーバー風デザインを採用したのが見どころです。また、特徴的なヘッドランプの造形やテールランプは、過去のマーチを彷彿とさせながらもデジタル感のある次世代モデルに相応しい印象を与えてくれます。

そしてなにより、最大の特徴なのはこれが電気自動車であるということ。リーフで培ってきた電動化技術が惜しみなく投入され、バッテリー総電力量は40kWhと52kWh、2つの仕様を設定しました。航続距離はそれぞれ308kmと408kmとなっており、従来のリーフに匹敵する実用性を確保しているのも見逃せません。発売は2025年末ですが、残念ながら日本での販売の予定はないそう。初代発売から43年が経ち、海外市場で今も続くマーチの系譜。日本での復活も期待したいところです。
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