車の歴史
更新日:2025.01.24 / 掲載日:2025.01.24
令和に復活を遂げたスペシャルティカー、ホンダ プレリュードの歴史【名車の生い立ち#9】

2025年1月の東京オートサロンのホンダブースで、「プレリュード プロトタイプ」が世界初公開されました。プレリュードといえば、かつて多くの若者から人気を集めた2ドア・スペシャルティクーペ。2000年の生産終了から20年以上の月日が流れ、令和の世に復活を遂げることになりそうです。新型は走りを予感させるフォルムや上品なディテールが見どころで、発売が待ち遠しい1台なのは間違いありません。そこで今回は、ホンダ プレリュードの歴史を紐解いてみましょう。
▼あの歴史を振り返る「名車の生い立ち」記事一覧

国産車初の電動式サンルーフを備えた初代プレリュード

1970年代は自家用車が普及しはじめた頃で、個性豊かなパーソナルカーの需要が増していった時代でした。日本では日産 シルビア(2代目)、トヨタ セリカ、トヨタ カローラレビン(2代目)、三菱 ギャランクーペFTO、マツダ サバンナなど名だたる名車が次々と誕生。オイルショックの影響があったものの、クルマは単なる移動手段に留まらぬ魅力を備えていったのです。そんな百花繚乱のクーペブームに乗ろうと投入されたのが、1978年に登場したホンダ プレリュード。4人乗りながらフロントシートの快適性を重視した2ドアクーペは、ホンダのラインアップに華を添えました。

特に注目だったのは、国産車で初めて電動式サンルーフを標準装備したこと。これはスイッチひとつで開閉でき、手軽に開放感のあるドライブを楽しめるものでした。また、エンジンルームのサブフレームと車体のモノコックボディを一体化させ、軽量化と高剛性を両立。エンジンは53年排出ガス規制に対応した1.8L 直4エンジン(90馬力)を搭載し、軽快な走りを実現しました。外観はアコードやシビックを彷彿とさせる保守的なデザインだったものの、初代プレリュードは後に爆発的なブームとなるホンダの2ドアクーペの礎となったのです。
多くの新技術が投入されて進化を遂げた2代目

1982年、ホンダ プレリュードはフルモデルチェンジを受けました。この年の出来事といえば、ソニーから世界初のCDプレイヤー「CDP-101」の発売、テレホンカードの発行開始、500円硬貨の発行などがあった年。そんな新時代に生まれ変わったプレリュードの特徴といえば、新しいメカニズムを導入して走りの性能が高められたことでしょう。エンジンは、新開発のデュアルキャブ12バルブを採用。排気量は1.8Lと従来と同じながら、最高出力は125馬力にまでアップ。これに組み合わされるのは5速MTまたは高効率の4速AT。この結果燃費も向上しました。

足まわりにはフロントに新開発ダブルウィッシュボーン、日本では初の4輪アンチロックブレーキを採用して走行性能もアップ。外観はスタイリッシュなリトラクタブルヘッドライトを採用したほか、スポーティなボディラインは初代と比べてグッとスタイリッシュになりました。当時の若者がこぞってプレリュードに乗ったことから、この頃に「デートカー」という言葉も誕生。こうして2ドアクーペ市場はますます盛り上がっていったのです。
バブル景気で人気絶頂を極めた3代目

1980年代の後半、日本に好景気の波が押し寄せてきました。それと同時にハイソカーと呼ばれる一連の高級車、BMWやメルセデスなどの輸入車、そして2ドアクーペは空前絶後の大ブームに。そんななか、1987年には3代目プレリュードが登場しました。デートカーとしてすでに一定の人気を獲得していたプレリュードでしたが、この世代になってその人気ぶりはピークに達します。全高を1295mmにまで抑えたロー&ワイドなプロポーションは、当時のライバルと比べても群を抜いてスタイリッシュ。ボディから凹凸をかぎりなく削ぎ落とした曲面構成は美しさを一層引き立てています。

パワートレインは、排気量を2.0Lにまで拡大。直4 DOHC 16バルブ仕様(145馬力)と直4 SOHC 12バルブ仕様(110馬力)から選ぶことができました。スポーティなドライビングを重視せず、ゆったりと乗りたいというニーズに応えたことでユーザー層はさらに拡大。しかしながら足まわりには四輪操舵システムの「ホンダ 4WS」を導入するなど、スポーティな走りを好むユーザーにもきちんと訴求したことも見逃せないポイント。ホンダらしいスポーツクーペとしても高い評価を獲得したのです。
3ナンバー化で大人向けのクーペに進化した4代目

1987年に3代目プレリュードが登場して以降、このジャンルには多くの魅力的なモデルが投入されました。最大のライバルとなったのが日産 シルビア。特に翌1988年に発売された5代目(S13)は、精悍なルックスとFRによる軽快な走りが当時の若者に大ヒット。プレリュードと二分する人気を誇りました。また1989年に登場した5代目セリカは未来的デザインと高性能4WD「GT-FOUR」を設定し、こちらも強力なライバルに。そんななか、1991年にホンダは4代目プレリュードを送り出しました。この年はバブル経済の崩壊、ソビエト連邦崩壊、海部政権から宮沢政権への交代、湾岸戦争勃発など世界情勢の大きなターニングポイントとなった激動の1年。そしてプレリュードもまた、大きく変わることになったのです。

まず大きく変わったのが、ボディサイズが拡大されて3ナンバーとなったこと。全長こそ4440mmと短くなりましたが、全幅は1695mmから1765mmへと大幅アップ。エッジの効いた先代デザインから一転し、丸みを帯びたモダンなデザインとなったことも見どころでしょう。パワートレインは新開発の2.2L 直4 DOHCと同SOHCを設定。前者の最高出力は200馬力に達し、パフォーマンスはさらに向上。足まわりには新開発のハイパー4WS、新設計の4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションなど、メカニズムも大きくアップデートされており、90年代における最先端のクーペに相応しい技術が盛り込まれました。また、この世代では前席SRSエアバッグ、TCS、ABS、LSDなどの安全装備も充実。飽和状態となった激戦のクーペ市場でも決して見劣りしない高い商品力を持っていました。
クーペ市場の縮小で生産終了を迎えた5代目

スポーツカーブームの真っ只中である1996年、プレリュードは5代目にフルモデルチェンジしました。当時のホンダはプレリュード以外にもインテグラ、アコードクーペ、CR-Xデルソル、NSXなど多くのクーペをラインアップしていた時代。新しくなったプレリュードは、他モデルと差別化を図るべく走り、デザイン、快適性を高次元で兼ね備えた最新鋭のモデルとなってデビューしました。先代モデルは大人向け……だったとはいえ、走りやパッケージングにおいてやんちゃな性格を持っていたのも事実。そこから一転、5代目は優雅なノッチバッククーペとなり居住性は格段に良くなりました。室内はブラックで統一され、スポーティとラグジュアリーが共存したデザインに進化。また、ドライバーのヒップポイントを高めたことでクリアな視界と運転のしやすさを改善したことも特筆すべき点です。

これを聞くと快適性を重視しすぎて退屈なクルマになった?と思うかもしれませんが、そこはホンダ製。最上級グレード「タイプS」において、「SiR」の2.2L 直4 VTECエンジンをベースに専用チューニングを加え、最高出力はリッター当たり100馬力の220馬力を発揮。動力性能は申し分のないレベルとなりました。しかし発売当時、そもそもクーペが飽和状態。新型プレリュードはホンダクーペの集大成というべき内容でしたが、販売面では苦戦。さらに90年代後半からクーペ市場が下火になったこと、2000年代の排ガス規制も影響し、5代目プレリュードは惜しまれつつインテグラと統合される形で2001年に生産終了を迎えました。
20年以上の時を経てホンダ プレリュード復活へ

2001年のプレリュード生産終了後、スペシャルティカー市場は一気に冷え込みました。最大のライバルだった日産 シルビアも一年遅れの2002年に生産終了。トヨタ セリカも2006年にはカタログから消えることに。2ドアクーペはトヨタ86や日産GT-Rのようなピュアスポーツのみが辛うじて生き残りましたが、デートカーのようなラグジュアリーなクーペはほぼ絶滅してしまったのです。

それから20年以上経過した2023年10月、ホンダはジャパンモビリティショー(元東京モーターショー)で「プレリュード コンセプト」を世界初公開。あまりに唐突な発表に多くのひとが驚き、同時に懐かしさが込み上げてきたことでしょう。そして2025年1月の東京オートサロンに「プレリュード プロトタイプ」を出展。こちらは前回の「プレリュード コンセプト」をベースにエアロパーツを盛り込んだカスタムモデルで、パワートレインにはハイブリッドシステムを搭載しています。操る喜びを追求した新世代プレリュードは最新のメカニズムがしっかり盛り込まれることは間違いなさそうです。発売に関する情報は現段階で未定となっていますが、近い将来私たちの前に現れてくれるはず。そしてかつてのように、各メーカーが参入した令和のクーペブームがくるかもしれません。