車の歴史
更新日:2023.06.09 / 掲載日:2023.06.09
【あの頃、あの車】39年前に発売したMR2ってどんなクルマだった?

1980年代前半、日本は大きな節目を迎えた年だった。1984年1月には日経平均株価は1万円を突破し、日本経済は右肩上がり。この後迎える空前の好景気を目前に控え、日本はまさにイケイケの空気が漂っていた。そんな世相のなかで生まれたのが、1984年6月発売のトヨタ MR2。今回は、この小さくて偉大なスポーツカーにフォーカスを当ててみたい。
1984年(昭和59年)ってどんな年?

トヨタ MR2が誕生したのは、1984年6月のこと。今から39年前である。冒頭でも述べたが、この年の1月、日経平均株価は初めて1万円に達し、バブル崩壊まで右肩上がりで伸びていった。
ちょうどこの年はロサンゼルスオリンピックが開催され、柔道、体操、レスリングなどで日本人が金メダルを獲得。また、日銀が1万円札に福沢諭吉、5千円札に新渡戸稲造、千円札に夏目漱石の肖像を採用し、新紙幣を発行した年でもある。福沢諭吉はもちろん、夏目漱石の千円札も記憶にあるひとは多いだろう。
TVでは、エリマキトカゲのCM(三菱 ミラージュ)が話題となり、視聴者に強く印象づけた。ヒット曲は、つぐない(テレサ・テン)、桃色吐息(高橋真梨子)、ギザギザハートの子守唄(チェッカーズ)、2億4千万の瞳(郷ひろみ)と、語り継がれる名曲揃い。そのほか、北斗の拳、風の谷のナウシカなどの名作アニメが放映・上映したのもこの年である。
自動車の世界では、なんといってもサファリラリーが熱かった。1984年から1986年、セリカが3連覇を果たし、トヨタの底力を見せつけてくれたのだ。
車名の由来は「ミッドシップ ランナバウト」

1984年6月8日、トヨタはMR2を発売した。MR2といえば本格スポーツカーというイメージがあるかもしれないが、当時のプレスリリースには「スポーティ パーソナルカー」という文言がある。MR2は、「Midship Runabout 2seater」の頭文字を取ったもの。Runaboutは「きびきびと走る」の意味だから、サーキットで過激に走るというより、街中をスイスイと駆け抜ける……そんなイメージのほうが正しいだろう。
しかしながら、当時市販車のミッドシップは極めて稀な存在。そもそもミッドシップレイアウトというのは、レーシングカーやフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに採用されるもので、国産の量産車では例がなかった。海外の量産車ではフィアット X1/9(1972年)が先鞭をつけ、MR2と同時期に登場したポンティアック フィエロ(1984年)などが存在していたものの、“トヨタ”が個性の強いクルマを発売したことに世は驚いた。ちなみに新車価格は139万5000円~179万5000円(1984年発売時/東京エリア)と、かなり手頃。20代の若者でも頑張れば手が届く価格帯ということもあり、当時のカーマニアはこの新しいスポーツカーに心を躍らせたのだ。

メカニズムにも軽く触れてみよう。ボディサイズは全長3925mm、全幅1665mm、全高1250mmとかなりコンパクト。室内は2シーターのみで、決して広いクルマではなかった。しかし適切なドライビングポジションにより、運転そのものは意外と快適。グレードによっては、ルーフを取り外してフロントのトランクに収納できる「リムーバブルムーンルーフ」を設定していたため、半オープンカーのような使い方もできた。
当初のエンジンは、1.5L 直4DOHC(3A-LU/83馬力・グロス値)、1.6L 直4DOHC(4A-GELU/130馬力・グロス値)が搭載されたが、後のマイナーチェンジでスーパーチャージャー搭載モデルも登場している。車両重量は1トンを大きく割り込む940kg(1.6L車の5速MT)のライトウェイトスポーツゆえ、その走りは軽快そのもの。当時1トン前後のモデルは少なくなかったとはいえ、小粒だけどちょっぴり辛口な走り味は、クルマ好きの若者を大いに魅了した。そして発売同年に日本カー・オブ・ザ・イヤーにも輝き、まさに大脚光を浴びたのである。
いまの相場はどうなってる?

さて、そんな初代MR2(AW10系)だが、現在の中古車相場はどうなっているだろうか。そもそも物件が残ってるのか気になるところ。
今回調査したところ、グーネットでヒットしたのはわずか16台(2023年5月現在)。これは2代目(SW20)の2割弱程度だ。ただし、80年代生まれの国産スポーツとしてみると、際立って少ないわけではない。ほぼ同世代のライバル、ホンダ バラードスポーツCR-Xなども同じ程度。つまり、80年代の国産スポーツは、90年代のモデルと比べてさらに探しにくい状況となっている。
価格帯は、100万円~460万円と幅がある。400万円以下の物件は走行距離が10万kmオーバーが大半だが、400万円台の高額な個体は5万km以下の低走行車も未だ流通している。各々見ると、オリジナルの状態を保っていると思しき個体が目立ち、チューニング車や使い潰されたものはすでに淘汰されているようだ。グレードは、より高性能な「G スーパーチャージャー」が半数以上を占めている。
まとめ

バブル前夜に生まれたトヨタ MR2は、その後やってくる国産スポーツカーブームの先駆けとなるような存在。当時の日本の勢いを象徴するようなクルマといっていい。なお、国産ミッドシップカーは、その後ホンダからNSXやオートザム AZ-1なども登場し、国産スポーツラインアップに華を添えた。
あれから39年、年号が昭和、平成、そして令和へと時代は巡った。それでもなお、初代MR2の元気いっぱいの走りは今でもまぶたに焼きついている。