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サスペンションの歴史

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サスペンション・足回り修理・整備
掲載日:2019.07.10 / 更新日:2019.07.31

サスペンションの歴史

馬車の時代から用いられたサスペンションは、その言葉どおり、車軸を吊し、路面からのショックを軽減するだけのものでした。自動車の発展とともにサスペンションは走行安定性を左右する重要なパートとなっていきます。
ここではクルマのサスペンションの誕生、発展の流れなど、サスペンションの歴史についてご紹介します。

ダイムラー1号車は馬車の車体に近いものだった。サスペンションはまさに車軸を吊るというそのもので、前後にリーフスプリングが用いられた。

1931年に発売されたメルセデス・ベンツ170のフロントサスペンション。リーフスプリングを横に置き、それをアームとしても位置づけたダブルウィッシュボーン。

 サスペンド、吊すという意味からも分かるように、サスペンションは車軸を車体に吊す構造物として作り出された。それは馬車から始まり、1886年のダイムラー1号車に受け継がれ、年を追うごとに新機構が考案され、今に至っている。
 ダイムラー1号車のそれはリーフスプリングを重ね合わせ、楕円形としたもので、前後方向にセットされた。最高速度が低いこの時代では、操縦性や車体安定性を追求するレベルにはなく、もっぱら乗り心地のみを求めた構造だった。
 いつの時代もテクノロジーの最先端を走るのはレーシングカーだったが、サスペンションも例外ではない。ステアリングナックルの考案に伴って、前輪の独立サスペンションが考案される。しかし使われたのはリーフスプリングだった。左右独立の場合、リーフスプリングは縦置きではなく、進行方向に対して横にセットされた。縦置きが2セット必要なのに対し、横置きでは1セットで済み、軽量化にも貢献した。最初にこれを採り入れたのはブガッティ・タイプ53で、上下に一対のリーフスプリングを配し、ダブルウィッシュボーンのようなレイアウトにした。
 前輪の独立サスペンションはリーフスプリングからコイルスプリングへと進化する。世界で最初に用いたのは1907年、アメリカのオークランドだったが、熟成されたのはレーシングフィールドでだった。1937年に登場したメルセデス・ベンツW125は不等長の上下アームの間にコイルスプリングを入れた、現在に通じるダブルウィッシュボーンを採用した。
 ダブルウィッシュボーンの時代は長く続くが、1951年、ブレークスルーが起こる。イギリス・フォードのエンジニア、アール・S・マクファーソンによって考案された新しい形式のフロントサスペンションがフォード・コンサルに採用されたのだ。新しいサスペンションとはマクファーソンストラット。
 コイルスプリングとショックアブソーバーを一体にしたユニットの上部を、アッパーマウントを介してボディに接続し、ユニットの下部はロワアームを入れて、ボディにつなげた。ダブルウィッシュボーンに対し、構造がシンプルで、コストも低く、しかも車体への組み付けも簡単ということもあって、またたく間にフロントサスペンションの定番として普及する。

1931年に発売されたメルセデス・ベンツ170のフロントサスペンション。リーフスプリングを横に置き、それをアームとしても位置づけたダブルウィッシュボーン。

リアサスペンション発展の歴史

 リヤサスペンションもフロントと同様に馬車のそれと同じリーフスプリングから歴史が始まった。前輪のように転舵機構を必要としないことから、左右の独立化はフロントより遅れ、レースフィールドでも長い間リーフスプリングを用いたリジッドサスペンションが使い続けられた。
 レースのスピードが上がるにつれ、高い接地性が要求され、それへの回答としてド・ディオンアクスルが採用されるようになる。重いディファレンシャルギヤユニットはボディに固定され、左右の車輪はド・ディオンアクスルで連結される。ディファレンシャルからは左右に、それぞれ独立したドライブシャフトが延びる。
 この方式だと、重いディファレンシャルユニットはバネ上の重量となり、不整地での車輪のバタ付きを抑え、接地性が向上する。1893年、フランス人のアルベール・ド・ディオンによって考案されたものだが、実際に自動車に採用されたのはインディ500用マシーンのミラーで、1924年のことだった。それ以後、ヨーロッパのGPシーンでもド・ディオンの採用が拡大し、1930年から50年代のGPカーのリヤサスペンションの多くがこの方式に変わっていった。
 市販車で最初に採り入れたのは1951年のランチア・アウレリア、続いて1964年にローバー2000。国産車では1957年のプリンス・スカイライン、1959年のグロリアなどの例があるが、製造コストの問題などから、ド・ディオンアクスルは退場を余儀なくされる。同時代には左右のドライブシャフトを構成材にしたスイングアクスルも採用された。代わって登場したリヤの独立サスペンションがセミトレーリングアームだった。BMWによって開発されたそれは上級セダンにとってはなくてはならない高級サスペンションとして、世界のメーカーに採用された。国産車ではブルーバード510がいち早く採り入れ、大きなセールスポイントとなった。
 FF車の普及に伴って、リヤサスペンションには様々な方式が採用されるようになったが、リジッドアクスルをツイストするトレーリングアームとビームで支持し、コイルスプリングとショックアブソーバーで支えるというものが主流になっている。
 現代のサスペンションは、その形式にかかわりなく、停止時でも、上下に動いている時でも、限りなくタイヤの接地面積を最大に保つように設計されている。どんなに複雑な構造のサスペンションでも、ハガキ1枚分程度のタイヤの接地面を常に100%有効に接地させることができなければ、その構造は意味のないものになってしまう。
 タイヤを接地させる。それはそう簡単なことではない。クルマには重量があり、それは走行中に常に前後、左右に移動する。ピッチングやローリングも発生する。静止状態で適正にタイヤが接地しているクルマでも、いざ動き出すと、アライメントも変わり、タイヤにかかる荷重も常に変化し、それらがバラバラになってしまうのだ。
 古い時代ではタイヤの幅も狭く、走行速度も低かったので、タイヤの接地に対する概念は今とはずいぶん異なったものだった。たとえば古典的なステアリング理論であるアッカーマン方式は、タイヤの直進性を高めるためにトーインを強くし、ポジティブキャンバーを必要とした。リヤサスペンションでは乗り心地を重視したセミトレーリングやスイングアームなどが考案されたが、それらはタイヤのバンプ、リバウンドによって著しくキャンバーやトー変化が起こるものだった。
 しかし、クルマの性能が上がり、タイヤの幅が広くなると、動的な接地性能について多くのメーカーが考えざるをえなくなった。

動的アライメントの概念

上下一対のアームでナックルを支え、コイルとショックアブソーバーが構造材となっていないダブルウィッシュボーン。剛性が高く、ショックアブソーバーの動きもスムーズにできる。RX-8、ロードスターなどの一部のクルマに採用されている。


 動的なアライメントに最初にこだわったのはポルシェだった。1977年に発表された928のリヤサスペションはバイザッハアクスルと呼称され、ブレーキングによってリヤタイヤにはトーインが付き、アクセルオフによってタイヤに後ろ向きの力が入った時もコーナリング外側タイヤにはトーインがつき、よりクルマを安定させた。
 これらのコントロールは複雑なアームによるものではなく、ブッシュのたわみをたくみに利用したものだった。これ以後、多くのメーカーがブッシュのたわみを利用するサスペンションやアームの長さの動的位置変化によってアライメントが変わるサスペンションを採用するようになった。
 ポルシェの場合はアクセルオフ時にリヤタイヤをトーインにして、タックインを防ぐものだったが、反対にトーアウトにして回転性能を向上させるクルマも現れた。主にアンダーステアの強いFF車に採用されたもので、コーナリングスピードを上げれば上げるほどリヤが流れ出すという不思議な感覚を持ったFFが現れたのだった。

3角形の2辺のように、ロワアームとコイルダンパーユニットで構成されているのがマクファーソンストラット。部品点数が少なくストロークを多くとれる特徴も持っている。FF、FRを問わず、多くのクルマに採用されている。

ハイマウントアッパーアームを使用したダブルウィッシュボーン。上部のピボット位置をタイヤに近づけることができ、キングピン角度を立てながら、キングピンオフセットを少なくできるという特徴を持っている。


 これらはクルマのG変化をブッシュの動きに活用するものでパッシブコントロールといわれるが、年を追うに従ってアクティブコントロールが現れる。世界に先駆けて市販車に採用したのは日産だった。HICAS(HighCapacity Actively controlled Suspension)とネーミングされたそれは、ステアリングを切り始めると同時に、リヤタイヤにもトーインを付けるもので、電子制御によってクロスメンバーを位相させることによって行われた。この方式は熟成され、路上最強のウエポンとも称されたスカイラインGT-Rにも搭載され、大きな評価を得た。また1989年には、転舵初期にトーアウトにしてヨーの発生を助け、いったんクルマの向きが変わり始めるとトーインへと制御するSuper HICASも開発された。

 リヤにマルチリンクサスペンションが最初に採用されたのはメルセデス・ベンツ190だった。複雑な構造を持ち、重量の重いそれは大衆車への採用ではなく、メルセデスのような高価なクルマでまず実用化されたのだった。上下のアームの長さを変え、それぞれのブッシュの硬度を変えることによって、タイヤのアライメントを自由に変えることのできるその方式はまたたく間に普及した。
 マツダもこの方式を早くから採り入れていたメーカーだった。1985年に発表されたRX-7のリヤサスペンションにはセミトレーリングをベースにしながらさらにもう1本、追加のロッドが装着されていた。これがタイヤのトーを自在にコントロールする魔法のロッドだった。日産のHICASが電子制御で行うのに対し、これはロッドと、トーコントロールハブによるパッシブコントロールながら、コーナリング初期にトーアウト、クルマが曲がり始めるとトーインになった。
 鋭いレスポンスに多くのファンが楽しみを見い出したが、いったんバランスを崩して、再度安定させるという方式は万人に受け入れられるものではなかった。これと似たようなものにリヤタイヤステアリング4WSもあった。これもコーナリング初期に一瞬タイヤにトーアウトを与えたり、ハンドルの切り角の多い市街地で回りやすくするためにリヤタイヤをステアするものだった。これらの方式はタイヤの進歩やサスペンション概念の進化に伴って姿を消していく。
 フロントサスペンションの形状はシンプルでパッシブな動きも入れにくいし、アクティブな動きも入れにくい。それはステアフィールにも大きくかかわっている。走行中にステアリングの感覚が変わったのではドライバーに不安を与える。しかし、フロントの動きに積極的に介入しようというメーカーが現れた。それはホンダだった。
 フロントサスペンションはマクファーソンストラットとダブルウィッシュボーンに大別されるが、ダブルウィッシュボーンはハイマウントアッパーアーム方式が主流になっている。この方式を世界で初めて採用したのが1982年に発表された2代目プレリュードだった。「ボンネットを100mm低くしたい」というデザイナーの要求に対するサスペンションエンジニアの回答がこれだった。
 このサスペンションはボンネットを低くしたいという要求から生み出されたが、そのレイアウトから優れた接地性をも生み出した。アッパーアームは高い位置に短めにセットされる。このアームは進行方向に対して斜めにセットされる。タイヤがバンプすると、ピボット位置は後ろに移動し、キャスター角が増加する。またコーナリングでステアリングを切り、ロールすると外側タイヤのキャスターが増加し、それに伴ってキャンバーはネガティブ寄りに移動し、アンダーステアを軽減する。一見単純なアームで構成されているサスペンションなのだが、タイヤが動くことによって、このようにアライメント変化を導くのだ。
 ホンダ方式は今ではフロントダブルウィッシュボーンの定番ともなり、国産車だけでなく、メルセデス、アウディなどのヨーロッパの老舗さえも採用するようになった。
 たんに乗り心地を改善するために考案されたサスペンションも、歴史を経るごとに操縦性の向上という、もう一つの仕事も担うようになり、現在に続いている。

マルチリンクは様々な解釈がされているが、基本的にはハイマウントアッパーアーム方式をベースに、各メーカーが独自のアームレイアウトを採り入れたものだ。動的に最適なキャンバー変化を可能にする他、キャスターも最適制御される。

グーネットピット編集部

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