第二次世界大戦後、GHQの統治下にあった日本は、工業製品の製造についてさまざまな制約を受けていた。これは自動車も同様で、戦後すぐには自動車の製造は許されなかった。とはいえ、自動車は国の復興には欠かせないものとして、1946年にトラックの製造規制を、翌47年には小型乗用車の規制が解除された。そのなかで多くの日本の自動車メーカーは、トラック車台の流用や外国メーカーとの提携によって乗用車の製造をしたが、トヨタはすべて自社による乗用車製造を目指した。
そして1955年。ついに日本発の純国産乗用車が発売される。これこそが初代クラウンである。
誕生からじつに53年という長きにわたり、日本車のリーダーとして君臨するクラウンの歴史はここから始まる。
クラウンが過ごしてきた50年を超える年月のなかには、高度成長期やオイルショック、そして最近のミニバンブームとさまざまな時代背景があった。
そうした変貌を遂げていく時代においても、クラウンは着実にファンを獲得してきた。それは、セルシオにフラッグシップセダンの座を明け渡したあとも同様であった。
クラウンがそれほどの支持を受けている大きな理由。それはクラウンが、「日本人のために日本の環境に合わせて造られたクルマ」であるからだ。
なかにはそれが気に入らないという人もいる。日本以外を見ていないクルマなどは論外という考え方だ。しかし、その逆に日本市場を見ていないクルマが存在しているのもまた事実である。
高級車イコール輸入車という意識は今に始まったことではない。戦後、国産車の品質やエンジン出力が低かった時代に根付いてしまった意識が今も残っている。
50年以上も前、日本人に高級車など造れないと思われていた時代に、純国産の乗用車を造りたいと願い、それに立ち向かった技術者たちがいる。彼らの技術とスピリットは、確実に次の世代へと受け継がれ、現代へと続いている。
どの世代のクラウンをサンプリングしても、その時代の日本にマッチしたクルマとして、見事なまでの完成度を見せるのがその証拠だ。
戦後の日本を生き続けてきたクラウン。ロングセラーという確固たる事実は、間違いのないクルマであることを裏付けている。