スカイラインの名をはずし、インターナショナルなスーパーカーとしてリスタートした日産GTIR。しかし歴史を振り返れば、最初から世界を相手にしていたことがわかる。
忘れもしない1964年の第2回日本グランプリ。前年苦杯をなめたスカイラインは、スタンダードの1.5L直列4気筒にかえて2L直列6気筒エンジンを、ノーズを延ばして無理やり搭載した。もちろん勝利のために。しかしその願いは、急遽上陸したポルシェ904によって阻まれる。
屈辱を味わった彼らは、DOHC化した2L・6気筒をミッドシップマウントした国産初のプロトタイプスポーツを開発。次の日本グランプリでついにポルシェを破る。するとこのエンジンをデチューンしてスカイラインに搭載。1969年にデビューしたこのクルマこそが初代GTIRだ。デチューンしたといってもそのパワーは160馬力。当時の国産2Lで最強だった。
ヨーロピアンスポーツの雄ポルシェに勝つ。その思いがGTIRを生んだと言えるのである。
しかし、その後のGTIRは、セールスもレースも国内にこだわり続けた。そして排出ガス規制にパスできないことから73年に一度消滅。再び姿を見せたのは89年だったが、内容は大きく変わっていた。280馬力を発生する2.6L直列6気筒DOHCツインターボに電子制御4WDアテーサEITSを結合。ヨーロッパ由来のメカニカルチューンから、日本が得意とするハイテクで速さを得る方向に転換した。
目標はもちろんレースに勝つため。グループAツーリングカーレースを全勝で終えると、GT選手権では5度の年間タイトルを獲得した。さしものポルシェ911もまったく歯が立たなかった。でもこれらはすべて国内レースでの出来事。販売についても事実上日本専用車であり続けた。
ところがこのころになると、欧米のクルマ好きがGTIRの情報をキャッチし、個人輸入などで乗り始める。アニメの世界から飛び出してきたようなクールでメタリックなデザイン。超高性能を安心して解き放てる異次元のメカニズム。そこに彼らが感じたのは「日本」だった。世界に通用するスーパーカーというGTIRの精神を育てていったのは、彼らだったと言える。
だからこそ新生日産を率いるカルロス・ゴーンは、2002年にまたも排出ガス規制に阻まれるかたちで生産を中止したGTIRを、今度はインターナショナルモデルとして復活を明言。5年後の昨年、実行に移したのだ。
中身は持ち前のハイテクをさらに磨き上げた。エンジンは3.8L・V6ツインターボになり、280馬力の自主規制枠が撤廃されたこともあり、480馬力をマークする。電子制御4WDは、プロペラシャフトを2本にしてまでトランスミッションをリヤに搭載。カーボンやアルミといった軽量素材をノーズに集中投入したためもあって、理想的な重量配分を手に入れた。もちろんそのボディに、旧来の自動車観による情緒的な美はなく、兵器を思わせる機能主義的な造形で統一されている。
世界を相手にしたスーパーカーという精神と、日本固有のハイテク技術が、ここで初めて融合した。日本が世界に誇るスーパーカーという称号を、初めて使えるGTIRになったのだ。