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| TOYOTA 2000GT トヨタ・2000GT |
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多くの伝説とともに国産車のレベルをイッキに引き上げた。
登場から40年近くを経た現在も名声は衰えず。 |
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| 当時としては圧倒的な高性能だったからこそ名車として語り継がれる |
古参のなかにも日本が世界に誇れる名車は数多くある。そのなかから1台、1967年(昭和42年)から70年(昭和45年)までの3年間にわたって造られたトヨタ2000GTを紹介しよう。
デビューから数えると40年も経つクルマだが、今も何らかの機会があれば名前やカタチを聞いたり目にすることもある元祖国産スーパーカー。
簡単におさらいすると、DOHC直6エンジンを長いボンネット下に納めたFRの2シーターGTスポーツで、排気量はその名のとおり2L、パワーはストックで150馬力、最高速は210km/h以上。エンジンをはじめボディ、足まわりに至るまでほとんどが手作りで生産された。
その内容が当時としてはいかに凄かったかは、価格が如実に物語っている。発売当時で238万円。当時大学卒の初任給が約2万5000円、現在の物価感覚では2000万円前後に匹敵するプライスタグになる。もうひとつ比較対象をあげると、2000GT1台で当時のクラウンがゆうに2台買えた。というより、今現在2000万円を超える国産乗用車を探すのは不可能だ。
それゆえ生産台数も極少なく、総数は337台だという。うち国内は218台、輸出向けは102台だ。
スーパーカーらしく、ラグジュアリー性も重視された内容の2000GTは、本格的な国内レース活動は行われていない。その代わりに市販前年に国際記録樹立のための72時間/1000マイルのスピード・トライアルに挑戦。5つの新記録を打ち立てて、ポルシェなどのヨーロッパ名門勢が持っていたタイトルを奪取する。
世界へのアピールはそれだけに終わらず、キャロル・シェルビーのマネージメントのもと1968年に米・SCCAクラスCシリーズに2台の2000GTが参加。全12戦中ワンツーフィニッシュ3回を数え、総合4位という好成績を残した。ボンドカーだけでなく、レースでも北米で強烈なインパクトをファンに与えたのである。
わずか3年でフェードアウトした2000GTは、その正当な後継車は現れず、また復活の兆しもないまま30余年の時を経た。が、高度な造りのエンジンや足まわりなど、その後の国産車に与えた影響は計り知れないものがある。 |
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| 当時の世界レベルでも最高といえる夢のスペックが盛り込まれた |
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| ほぼホイールベース内にエンジンを搭載するX型バックボーンシャシーに4輪ダブルウイッシュボーン独立懸架、4輪ディスクブレーキ、LSD、マグホイールといった海外スポーツカーに勝るとも劣らない当時では最高のスペック。もちろんほとんどが2000GT専用設計だった。ボディサイズやパワースペックは、1967年式ポルシェ911Sとほぼ互角の性能を持つ。 |
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中古車を探すなら!オススメ年式&グレード |
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| 2000万円 昭和43年式 |
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| 中古車が存在するか?と問われれば、ないこともない、というのが現状。つまりマニアの個人売買や専門ショップならば探せるかも、といった程度。近年は里帰り車もあるらしい。相場としては、1000万〜2000万円の間。かなり幅が広いのはクルマだけでなくパーツやレストアの程度が純正に近いがどうかが決めてだからだ。 |
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| ●ボディ全高は当時世界最低の1160mm。室内はラグジュアリー志向にまとめられ、木目パネルが贅沢に使われていた。また、5MTに加えてATもラインアップされた。エンジンは1988ccから150馬力を発生するDOHC直6。このエンジンをはじめ、2000GTの開発にはヤマハも大きくかかわっていた。 |
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